CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第4回 テレビドラマでは悪役です

内田 それでも最近は、先生方がやっと
わたしのいうことに
耳を傾けてくれるようになったんです。
わたしが校長として高島高校に来た当初は、
えらい先入観があったようですから。
糸井 どんな先入観が?
内田 わたしは管理が厳しい日立から来た。
そういう人間が教育庁のお墨つきで
自分たちを「管理」しに来たと。
糸井 ああ、それじゃあ、
「嫌なやつが来るな」と思われますね。
内田 そう。最初の3か月はそのイメージで
とらえられていました。
でもわたしは、
先生方からの意見は吸い上げるし、
悩みを抱えている先生の相談を聞いたりする。
糸井 そうすると、
あ、違うな・・・と。
内田 嬉しいものですよ、相談を受けたときは(笑)。
そういうことを
ひとつひとつ積み重ねていって、
やっと信頼感が出てきました。
糸井 管理をしにきたわけじゃない、と。
内田 ええ。
「管理のためじゃなくて
 現場のために来たんだな」
というイメージが出てきた。
校長室へもいろんな先生が
相談に来るようになった。
糸井 たった3か月間で、
自分のそういうキャンペーンが
できるものなんですか?
内田 結構騒ぎましたからね、わたしも(笑)。
3か月は、長いと思っています。
周囲から「焦るな」といわれたくらい。

先生方の自己申告に基づいて
校長とその先生とで個別面談をやって、
そのうえで授業を見に行く、という
制度があるんです。
これはもう2回繰り返しましたよ。
お互いに見合う機会があるものですから、
それでだいたいわかってきましたね。
やっぱり話をしなきゃ、だめなんです。
糸井 テレビドラマの学校ものでは、
内田さんみたいな人って絶対悪役ですよね。
内田 (笑)悪役です。
糸井 金もうけのために送り込まれて、
正義の先生と戦う役回り(笑)。
内田先生が紹介されている文章を
斜め読みすると、それだけで
「教育は企業じゃない」といって、
反発する人もいると思うんです。
そのイメージをとりはらうカギは
何だったんでしょう? 
内田 やっぱりお互いに話をすること。
コミュニケーションでしょうね。
これまでそうとう話をしましたよ。
今では、「校長、酒飲みに行こう」と
いってくれる人が何人かいます。
企業にいたときからそうだったんですが、
わたしは、いったん仕事を外れたらフリー(笑)。
そういう気質をみなさんが
わかってきたということもあると思うんです。

先生方の間では長いこと、
「校長とべったりすると、
 その人は特別評価される」
というような文化があったらしいです。
そんなの全くない。
一緒に御飯を食べようが、飲もうが、
校長として話をしても、
それは単なる情報交換、人と人の関係。
評価としては通らないということが
少しずつわかってきているみたいです。
その辺が従来の校長とは違うと
よくいわれますよ。
糸井 先生方の世代は?
内田 都立の平均は46〜47ですよ。
うちの学校は47.7。
糸井 ああ、そんなに高いんですか。
内田 実際、30歳代が3人ぐらいしかいませんから。
20代が2人。
わたしは都庁に
「先生方の平均年齢を41〜42まで
 下げないとだめです」
といっているんですよ。
行政はそのあたりがなかなか中途半端で・・・。

もとはといえば、
都が「特徴ある学校づくりをしたい」と
いっているわけです。
例えば進学重点校があったり、
受験で特色ある学校があったり、
チャレンジスクールがあったり。
でも実行は、先生方にまかされている。
都が先生方の得意分野を峻別して、
適材適所に配しているかというと、
そんなことは全くない。
それは校長任せなんです。

我々は与えられた素材で
それらの計画を遂行していかなくちゃならない。
そんなこと、
短期間でできることじゃないですよ。

だからわたしが今、提案しているのは、
1万何百人いる都立の高校の先生を
簡単でいいから、適したところに
振り分けることなんです。

進学指導を得意とした先生、
文武両道で生徒を活気づかせるのが得意な先生、
チャレンジスクールでものすごく苦労してきた先生、
いろいろな先生がいます。
先生方を分けて適所に入れていくと、
自然と改革が進むんじゃないかなと思って。
やはり事を実行するのは人であり、
教壇に立つ先生方です。
糸井 それは、実際にひとつずつ
見やすいショーケースができていかないと、
わかりにくいことですよね。
商品が見えてこないと・・・。
内田 そうですね。
糸井 私立じゃない難しさって、
あるんでしょうね。
内田 大きいですよ。
私立なら、改革は実行しやすい環境にあります。
最初にもいいましたが、
公立の先生方はローテーションで
何年か経つと他の学校へ転任していきます。
あれを断ち切りたい。

わたしはね、日立にいたときに
1,000人〜1,250人でやっていた仕事の人数を
400人に減らした男なんですよ(笑)。
まあ、それが自然と先生方の耳に入って、
リストラをやっていた男だという
噂になったんですが(笑)。
糸井 リストラじゃないんですよね、
結局適所に配置した。
内田 ええ。わたしは、企業という場で、
そうやって仕事をしてきた人間ですから。
今までの先生だったらこんなことは、
行政にはいえないですよ。
糸井 適材適所は、企業ではあたりまえのこと
ですものね。
その考えを基本に、斬新な人事をしたり
かきまぜたりするんですから。
内田 校長室で、わたしは
先生方の顔写真を机に置いて
仕事をしているんですよ。
そこに、生徒が来る。
話をすると、生徒がいろいろ教えてくれます。
「この先生の授業、すごくわかりやすい」
「なぜわかりやすいの?」
「授業の中身をメモできるような単位で
 最後にまとめてくれるから。
 ひと通りのことを授業でいっておいて、
 きょう習ったことはこれだな、という、
 けじめあるような区切りある教え方をしてくれる」
「わからないのはどういう授業だ?」
「だらだらだらだらやって、
 きょう何を習ったかわからなくなちゃう、
 ポイントがない授業」だと。

わたし自身も授業観察をして、
わかったことがいくつかありました。
先生にそれを指摘して
直してもらったこともあります。

例えば世界史で、
ヨーロッパの中世についての
授業があったんです。
わたしは生徒と一緒に1時間聴きました。
いい授業だったんですよ、じつに。
でもなかなか印象に残らない。
担当の先生と廊下を歩きながら、
「先生、大変いい授業だったけども、
 あの時代で、前後のいろいろな背景があったから
 ああいう事件になったのだから、
 それがわかるような表があるといいね。
 ほんとなら年表みたいなものでしょうけれども。
 先生がひとつつくって、
 この時代にはこういう事件やこういう事件があって、
 きょうは、こことここの間にあった事件のことを
 説明します、というと、
 もっともっと印象的になるよ」
わたしがそういったら、
先生は、立派でしたよ。
素直に「それ、いいですね」といってくれて、
すぐ取り上げてくれた。
糸井 そういうことは、先生自身が
外界の人に接しないと
気づけないわけですか。
内田 いままでのやりかたが当たり前と
思っちゃっているんですね。
わたしは生徒の立場になって授業を見ます。
時代の流れや事情を知ると、
もっと歴史への印象が強くなるでしょう。

(つづく)

2002-05-05-SUN

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