江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

駆け足で応挙の画家人生を。その4
最晩年のアヴァンギャルド。

ほぼ日 応挙には、何かそのあと
転機みたいなのはあるんですか?
そのままずっとテクニックを
磨いていく人なんですか?
たとえば弟子を育てたりは?
江里口 弟子は多かったですよ。
最後の方に目を患って、
だいぶ弟子たちが助けた部分も
あるようです。
ほぼ日 ということは、弟子を育てることを
きちんとした人なんですね。
江里口 そうですね。
ほぼ日 応挙派っていうのもあるんでしたっけ。
江里口 ええ。画系図を見ると、
もう、すごいですよ。
円山四条派と言われています。
ほぼ日 円山派と四条派。
江里口 応挙の弟子の中で呉春という人が
四条派の祖となりました。
今はこの四条派の方が優勢ですね。
ほぼ日 (図録の画系図を見て)
上村松園もこの系統なんだ。
川合玉堂も。ああ、はあ。
江里口 だから今の日本絵画の
基礎っていうことですよね。
ほぼ日 いまの日本の絵画の基礎は円山応挙なんだ。
応挙の教え方って、
どんなものだったんでしょうか。
江里口 応挙の弟子は狩野派と違った教え方を
されたようです。
狩野派はちゃんと描き方を教えるんです。
ちゃんと定本があって、
その型通りに習うんですけど、
応挙の場合はとにかく
写生を基本にしていれば、
あとは自分の好きなように
描いていいっていう、
わりと自由なところだった。
それだけにいろんな
個性のある人が出てきています。
例えば呉春は、
写生はきっちりとしてるんでしょうけども、
元は与謝蕪村についていて、
蕪村的な、感情や詩情を表すような絵で、
ちょっとまた応挙のきっちりした写生画とは
違うんですけど、
これも弟子であるということです。
そうやって弟子の精神を自由にするような
広い心っていうのもあったんでしょうね。
ほぼ日 すごいなあ。
あの、孫が多かったんですか?
子供の絵がすごいたくさん
最後の方に出てきてて、
みんなかわいい真ん丸だったんですよ。
これは応挙のお孫さんかなあと。


『郭子儀図襖絵』(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
江里口 子供は3男3女いましたけど
亡くなった子もいて、
結局残ったのは3人だけです。
でもやっぱりあれだけの子供を
描けるってことは、近くにいたってことで、
孫かもしれないですよね。
子供の絵も、かわいいですよね。
ほぼ日 ちょっと応挙の肖像画に似てますね。
江里口 あ、そうかもしれないですね。

『郭子儀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵


『円山応挙像』(部分)山跡鶴嶺 個人蔵

 
ほぼ日 最晩年の作品っていうのは、
金屏風に墨絵を描いたりするのが
そうなんですか?
江里口 そうですね。大乗院客殿孔雀の間の
『松に孔雀図襖絵』が、
亡くなる3カ月前の作品です。

『松に孔雀図襖絵』(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
*クリックすると拡大画像が別ウインドウで開きます。

 
ほぼ日 これ、背景が金箔なのに墨絵なんですよね。
すごく実験的、かつ、かっこいいです。
江里口 実際、佐々木先生も描法研究といって、
どういう描き方をしたかっていうのを
研究なさってますけど、
やはり金に墨を乗せるのって
すごく難しいんですって。
ほぼ日 技術的に難しいんですか?
江里口 難しいんですって。
はじきやすいらしいんですよ。
これだけ墨を乗せるっていうのは
相当な技術で、今、佐々木先生が
解析なさってますけど、
まだ解明できないっておっしゃってます。
ほぼ日 どういう顔料を使って
どういうテクニックでやったら
こうなるのかが分からないんだ。
江里口 ええ。墨も使い分けを
してるらしいんですけどね。
その墨を乗せるのには、
もっとニカワの溶き具合とか
調合の具合をいろいろ試してみないと、
本当にこんなに乗ることは
ないだろうっていう。
ほぼ日 そうですよね。そりゃそうですよね。
金属ですもんね、要するに金箔って。
江里口 ええ。で、墨でもちょっと
種類を変えているので、
幹に使ってるのと松の葉に使ってる墨が
違って、実際に近くで見ると、
というよりお寺の光の中で見ると、
この松が本当に緑に見えるんです。
そしてこの薄い方は
本当に茶色の幹のように見えるんです。

『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
ほぼ日 遠近感が出ますよね。
この薄いのと濃いので。
手前に枝があって奥に幹があるって
分かるんですよね。
江里口 ええ。で、この角が斜めから見ると
本当に立体感があって見えるんですよ。
ほぼ日 あ、ここ。角で、枝が、
つながってるから。
江里口 ええ。枝が、自分の手前に
伸びてくるんですよ。

『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
ほぼ日 枝だけが手前に来る。
そしていちばん左手前の1枚は
「描かない」っていう
表現なんですね。ああ、すごい。

『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
江里口 しかもですねえ、この奥が仏間なので、
この襖が開けるんですよ。
開けるとこの枝がここにまたつながるんです。

『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
ほぼ日 あ、トリックアートみたいですね!
眼鏡絵にはじまった応挙が、
晩年にそういう作品を残したことが
すごく面白いですね。
江里口 開けてもつながるし、閉めてもつながるし。
ほぼ日 やりますね(笑)。
江里口 やりますねえ。
しかも死の3カ月前にこういうことを
応挙はしていたんですね。
ほぼ日 目もあまり見えなくなっていたと
言いますよね。
弟子の力も借りただろうけど、
この発想はすごいですね。
江里口 すごいですよね、ダイナミックで。
実はこの大乗寺の仏間、
これは応挙が描いた3つの部屋で、
あとはこれは弟子たちが
他の部屋を描いたんです。テーマを持って。
それでここの大乗寺の住職さんが
最近自分で研究した結果ですね、
ここはそれぞれの絵のテーマで
仏像を想定してる。
つまり立体曼陀羅だっていうことを
言ったらしいんですよ。
ほぼ日 はあー。
江里口 よくお寺に行くと四方に四天王がいますよね。
あれを表してるっていうんですよ。
それで四天王は持国天と増長天と
広目天と多聞天なんですけど、
それぞれ方位を守ってるんですよね。
東が持国天。持国天っていうのは
農業とかを司るっていうことで、
仏間の東は「農耕の間」なんですね。
南の増長天は政治とかそういうものを
司るっていうので、「郭子儀の間」。
郭子儀は中国の政治家ですね。
広目天は芸術を司るっていうことで
西の「山水の間」、美を表している。
北に当たるところが「仙人の間」
なんですけど、多聞天は仙人の、
不老不死とか薬を司るっていうことです。
つまり、応挙は、仏像の世界を
大乗寺の襖絵を使って
壮大に表したのではないかという
説なんですよ。
ほぼ日 すごい‥‥
江里口 で、さらにほんとの最晩年っていうか、
絶筆って言われるのものがあるんです。
『保津川図屏風』。
ほぼ日 保津川図屏風。すっごい荒々しい!

『保津川図屏風』(重要文化財)円山応挙 株式会社千總蔵
*クリックすると拡大画像が別ウインドウで開きます。

江里口 川の流れがすごいですね。
ほぼ日 うねってますね。
江里口 ええ、これが亡くなる1カ月前です。
7月に亡くなるんですけど、
6月頃描いたっていわれてます。
保津川っていうのは、
自分の生まれ育った亀岡に流れてますから、
やっぱり故郷の川を描いたんですね。
ほぼ日 うわあ、かっこいい。
たぶんこれが彼の集大成かもしれませんね。
江里口 そうかもしれませんね。
ほぼ日 すごいです! 応挙という人は、
すべてをやり切って、
亡くなっている感じですね。
「志、半ば」ではない気がします。
きっちり自分の人生に落とし前を付けて
大往生なさったっていう
感じがするんですよね。

今回はここまでです。
次回からは、幽霊画へといたるまでの
応挙の「描こうとしたもの」について
あらためて、お聞きしたお話を
連載していきます。どうぞお楽しみに!

2004-03-08-MON

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