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| 担当編集者は知っている。 |
伝説の天才バレエ・ダンサー、ニジンスキー。 100年近く前に活躍した彼の踊りは 映像に残っていないにもかかわらず、 いまでもあこがれたり、 興味を持つ人が後をたたないそうです。 本書はニジンスキーの日本未公開写真や、 当時の画家達に描かれた美しい姿を多数収録し、 語り継がれる舞台と彼の生涯を紹介する 初めてのビジュアルMOOKです。 担当された講談社の灘家さんにお話をうかがいました。 (「ほぼ日」渡辺) ********************************** 担当編集者/ 講談社 総合編纂局第二出版部 灘家薫 「跳んだまま戻って来なくて、 客が忘れた頃に降りてきた」 ──舞踊の神と自他共に認めたバレエ・ダンサー、 ワツラフ・ニジンスキー伝説その1、です。 なにしろその跳躍は傑出していて、 氷上でないのに、くるくるくるりと 3回転ジャンプができ、 跳んでぱたぱたぱたと左右の足を10回も交差させる アントルッシャ・ディスも難なくこなしました。 「なんでそんなに長く空中に留まっていられるのか?」 と質問するインタビュアーに、 「簡単なことだよ、 跳び上がったら止まればいいのだから」 と、事もなげに答えたほど、 ブブカやジョーダン以上に際立った “鳥人”だったのです。 (たとえが古い、ですね)。 「両性具有のようなフェロモン」 ──ニジンスキー伝説その2、です。 ニジンスキーは1889年に ロシアのキエフ(現ウクライナ)で生まれました。 9歳で同国の帝室バレエ学校に入学し、稽古場では、 「あの一人だけ降りてこない男の子はだれ?」 と、名プリマのアンナ・パヴロヴァに呆れられるほど 高く跳び、早くから頭角を現しました。 そして同校を卒業後、興行師のディアギレフと知り合い 彼率いるバレエ・リュス(ロシアバレエ団)の一員として 1909年のパリ公演に参加し、 迫力溢れる跳躍と抜群のテクニックで 一夜にして英雄になります。 『シェエラザード』での 虐げられた奴隷が放つエネルギー、 『薔薇の精』での両性具有のような 芳しいフェロモン‥‥。 ほら、この『薔薇の精』の姿をご覧ください。 ![]() ▲『薔薇の精』 むっちり筋肉張った太い腿、 がっしり骨張った肩や顎なのに、 花の精が憑依したようで、 ゆらゆら陽炎のように色っぽいでしょう? 『牧神の午後』も、こんなに指がいかつくっても もやもや蜃気楼のようなフェロモンを感じるでしょう? ![]() ▲『牧神の午後』 ごついのにたおやか、野獣のようでいて 華やかな色香に溢れ、 まさに、ひとり百花繚乱のなまめかしい幻獣ぶり。 これがニジンスキーの大きな魅力というか魔力なのです。 「彼の美は古代フレスコ画や彫刻の美である」 ──ニジンスキー伝説その3、です。 彼のただならぬオーラ&フェロモンに魂を奪われて ジャン・コクトーはおっかけとなり、 チャップリンやピカソも舞台を見て「神業」と感涙し、 その肉体の虜となったロダンは、 上のような言葉を残し、 せっせと舞踊の神の像を彫りました。 他にもマティスやルオー、ローランサン、 ココ・シャネルにストラヴィンスキー‥‥ そうそうたる若い才能がバレエ・リュスに集まり 衣装や音楽、舞台美術などでアートを競い合いました。 そしてそのアイコン(象徴)として芸術家の霊感を 刺激しまくったのがニジンスキーだったのです。 年は経ますが、 クイーンのフレディ・マーキュリーも然り! 『牧神の午後』の乳牛柄全身タイツでステージに立って ゲイ・ピープルたちをおおいに喜び震わせました。 そうです。美しきニジンスキーは 美しき男たちにとっても 比類なきアイコンとして崇められたのです。 実際、私生活でも彼は、興行師のディアギレフと 恋仲だったのでした。 「わたしの魂は病んでいる。 精神ではなく魂がである」 ──ニジンスキー伝説その4、です。 彼はダンサーとしてだけでなく振付家としても 『牧神の午後』や『春の祭典』などバレエ史に残る 画期的な作品を残し名声を高めます。 けれど。活躍したのはわずか10年。 1917年を最後に、 2度と舞台に立つことはなかったのです。 統合失調症が原因でした。 発病は、遺伝的なものとも “女性”と結婚したがゆえに “恋人”であったディアギレフから バレエ・リュスを追放されたことによる ショックだったとも、 第一次大戦で捕虜となり踊れなかったストレスが 原因なのではないかともいわれています。 その後、入退院を繰り返し、 なんと33年も隠遁生活を送ることになるのです。 ![]() ▲『レ・オリエンタル』 コリン・ウィルソンの名著『アウトサイダー』で ニジンスキーという天才ダンサーの名は知っていました。 けれど去年の夏、舞踊研究家で バレエ・リュスが専門の芳賀直子さんと知り合い、 芳賀さんがキュレーターとして関わった 『ルオーとローランサン〜パリの踊り子たち』展を ご一緒して、総合芸術としてのバレエの奥深さに目覚め、 また、管理されている薄井憲二バレエ・コレクションの 秘蔵写真を見ながら話を伺っているうちに、 「跳んだまま降りてこなかったニジンスキーが ぼくの心に降りてきた」ように思えたのです。 いや本当に。 写真ごとに容貌が異なって見える、懐の深い多面性。 見る者の魂を奪い取るかのような謎めいた視線。 そしていかついのになまめかしい両性具有のパラドクス。 コクトーやピカソ、フレディらが 惚れ込んだのも納得です。 バルビエやモンテネグロら当時の気鋭画家たちも 舞踊の神が舞う姿を聖像(イコン=アイコン)のように 歓喜あふれて描いています。 ![]() ▲ジョルジュ・バルビエ作「シェエラザード」 ![]() ▲ロバート・モンテネグロ作「青い神」 舞台プログラムもアール・ヌーヴォーで美しい。 ![]() ▲バレエ・リュス 特別プログラム 「これらの図版をまとめた本はどこで売ってますか?」 ぼくが聞くと、芳賀さんは残念そうに首を振って 「そういう本はまだありません」と。 ──ならば一緒に作りましょう! バレエ・リュスを率いたディアギレフが 映像を信用しなかったこともあって、ニジンスキーには 動いている映像がひとつも残されていない。 写真や図版、人の記憶でしか たぐることができないのです。 つまり紙媒体でしか伝説は伝えられない! ならば紙媒体の利点を最大限に生かした構成にしようと、 まずはビジュアルの説明を極力省きました。 雑誌慣れした人は、キャプションを読むと妙に納得して もう一度写真や図版を味わい直すことをしないで 次のページをめくってしまいがちですよね、機械的に。 それだとせっかくのビジュアルがかわいそうです。 この本ではニジンスキーのジャンプのように 読者の目が滞空時間長く ページ上に留まってほしかったので、 ぱっと見てわかるような情報写真や画像は避けて、 ニジンスキーの“気”がこもった 後を引くビジュアルだけを選びました。 余計なキャプションは載せない、 「編集側の自己満足」になりがちな 写真に重ねる見出し(キャッチ)も省くことで、 ビジュアルだけをじーっと 長時間眺めていただける作りにしたんです。 巻頭ではニジンスキーの写真のみをずらり29ページ、 後半も舞台画のみを13ページ連続して並べてみました。 芳賀さんがこだわった「出演リスト」には、 演目と公演日だけでなく 振付、美術、衣装、台本、音楽家の名前まで網羅して バレエ史における第一級の資料にもなっています。 またカバーには、 無理を頼んで特色のゴールドを使いました。 費用がかかって関係者には迷惑をかけましたが、 タイトルに「アイコン」とつけた以上、 舞踊の神を讃える宗教画的要素を演出するために カバーは金色でまとわなくてはいけないと思ったのです。 他にも熊川哲也さんのインタビュー、 ヌレエフやジョルジュ・ドンら男性ダンサーの系譜と、 丸ごと1冊絢爛豪華なニジンスキーの祭典! 「ニジンスキー、むかしの競馬の馬やろ?」 と得意げにボケをかましてくれた 芸術音痴の関係者もいたのですが、 ゲラや色校紙を見せるうちに、 だれもがしだいに妖しの魔力に吸い寄せられて、 黙り、うなり、やがてはため息をついたので、 「ああ、この人にもニジンスキーは着地したのだなぁ」 と、しみじみ嬉しくなりました。 みなさんもぜひ本をご覧になり、 ひとりひとりの中でニジンスキーを空高く跳ばし、 心射る視線を放たせ、妖しく舞わせてください。 **********************************
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2007-09-14-FRI
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