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| 担当編集者は知っている。 |
マンガ学の第一人者として 国際的な評価も高い夏目房之介さん。 マンガ作品の表現手法を緻密に分析し、 作家の真意や隠れたメッセージを 見事に解き明かす独自の批評スタイルを お持ちの夏目さんが、 今回初めて、祖父・夏目漱石の名作 『坊ちゃん』から『明暗』まで 16作品の批評に挑戦! 「そこまで言い切ってよいのですか?」と ドキドキするくらいバッサリと しかし、愛情を持って、書かれています。 私はこのご本で、夏目漱石作品の イメージが変わりました。 このご本の担当をされた鈴木さんに お話をうかがいました。 (「ほぼ日」渡辺) ************************************ 担当編集者 /実業之日本社 文芸編集部 鈴木宏昌 本書は2003年に小社より刊行した 『漱石の孫』に続く、 マンガコラムニストの夏目房之介さんの 「夏目家シリーズ」好評第2弾である。 いうまでもなく、 著者の夏目さんは日本を代表する マンガ批評の第一人者であり、 ある意味では、祖父の夏目漱石以上に 海外では名を知られているほどの存在である。 が、いまでも、近代日本を代表する 文豪・夏目漱石の孫が、 マンガの批評で有名になる、という構図が、 人々の興味を引くようで、 その夏目さんが漱石文学をどうみるのか、 という一般の関心は高いようだ。 そこに目をつけたのか、 前著『漱石の孫』を目にした 熊本日々新聞が、「孫が読む漱石」という 月1回の連載を、夏目さんに依頼したのだ。 熊本は、漱石が第五高等学校教授として4年間暮らし (ちなみに『坊っちゃん』で有名な松山はわずか1年)、 名作『草枕』の舞台として登場するなど、 漱石と縁が深い。 そのため、「熊本漱石会」という 熱烈なファンクラブが存在するほど、 漱石文学の愛好者が多い土地なのだという。 漱石ファンにはがっかりされるかもしれないが、 実は夏目さんは、それまで漱石の作品を 批評的に読んだことがなかった。 漱石文学について 意見を聞かれることも多かったようだから、 「いつかはちゃんと読まないといけないな」 とは考えていたようだが、 立場上、下手なことは答えられないという プレッシャーもあってか、 半ば意識的に避けてきたようだ。 なんせ、日本には漱石の研究に 一生を捧げているような 学者もたくさんいるので、 軽はずみなことは言えないわけだ。 もちろん、『漱石の孫』で描かれたような、 漱石に対する反発も 少なからず影響していたことも疑いない。 しかし、たまたまテレビの仕事で訪れた ロンドンの漱石の下宿跡での感動を体験し、 それがきっかけで『漱石の孫』を発表するに及んで、 漱石文学に向き合おうという意欲が芽生えてきた。 そこにタイミングよく、 熊本日々新聞からの連載依頼があったので、 夏目さんは「ちょうどいい機会」だとして、 思い切って引き受けたのだった。 1回の連載で、漱石の作品1作をとりあげていく というかたちとなり、それがまとまったら、 小社が書籍化させていただく ということになったわけだ。 ところが、作品の発表順に、つまり時系列的に、 しかも批評のために漱石の作品を読む、というのは、 夏目さんにとっては、 覚悟していた以上に辛い作業だったようだ。 彼のマンガ論を読んだことのある人ならわかると思うが、 表現の細部にまでわたり、論理的に分析していくのが 夏目さんの姿勢だからということもあるが、それ以上に、 やはり自身と祖父漱石との関係を考えてしまうからだ。 徹底した自己分析を基にした漱石の作品を 深く読めば読むほど、その過敏なまでの繊細さは、 夏目さんに「イヤになるほど自分と似ている」 と感じさせることが再三あったと言っている。 そうこうしているうちに、連載は2005年秋に終了する。 既にその年の春から書籍化のために 「プロローグ」の執筆をはじめてもらっていたのだが、 これがまたひと騒動。 「どうしてこんな本を書くことになったのか」 ということを冒頭に紹介しておく (夏目さん風に言えば「言い訳しておく」) 必要があるだろうということだったのだが、 どんどん長くなってしまう。 しかも、これがまた非常におもしろいものだから、 削ることもできない。 お蔭で、ほとんど1章立てたのと 同じような分量になってしまった。 ヘンな本だと感じる人も多いと思うが、 夏目さんにとって、漱石とは それほどやっかいな存在なのだと理解してもらいたい。 おまけに、既に新聞に発表した原稿の手直しに入ると、 これがまた、ちっとも進まない。 夏目さんによると、漱石に関する仕事にかかると、 他の仕事が手につかなくなる。 それでは生活できない。 だから、まとまって時間がとれたときにしか、 手をつけられない‥‥ということだった。 夏目さんは「漱石スイッチが入ってしまう」 という言い方をするのだが、 このあたりは、我々常人には理解の及ばないが、 おそらく愛憎相半ばする祖父漱石への複雑な気持ちは、 そう簡単には抜けないのだろう。 『漱石の孫』を読んだ人ならよくわかると思うが、 余りに偉大な祖父とことあるごとに比較される というプレッシャーは、物心ついて以来、 夏目さんを苦しめつづけてきたものなのだから。 という次第で、出版予定は後ろにどんどんズレていき、 いくら説明したって夏目さんの苦しみなど 理解できるはずのない会社の上層部からは 「連載をまとめるだけの本なのに、 いったいいつになったら出るのだ」と責めたてられて、 正直非常に辛かった。 まあ、それだけ会社の期待も大きい本だった ともいえるわけだが。 もちろん、夏目さんが苦しんでいるのを知っている 私自身としても、催促するのが非常に辛く、 あの手この手を駆使して励ましてみたが、 夏目さんの「特殊事情」に対しては、 ほとんど効果がなかった。 だが、苦労の甲斐あって、夏目さんの人生にとって、 貴重な記録というべき本に仕上がった。 振り返ってみれば、 「深い井戸にでも降りてゆくように 自分がのめりこむ過程は、 一方でたしかに一種の愉悦であった」 と夏目さん自身が「あとがき」で書いているが、 いずれはやらねばならぬことを、 ようやくやりとげたという、 何かホッとした気分を味わったんじゃないだろうか。 それに、脱稿直後は、漱石のことを考えるのも イヤだったようだが、 最近は、ようやく漱石と自分のことを 明るく語れるようになってきた。 しかも、目からウロコが落ちた、というより、 ツキものが落ちたように、 漱石文学を冷静に語れるようになってきた。 ところで、本書の『こころ』の章で、 夏目さんは「(漱石は)『ジコチュー』だった」と書き、 私は漱石ファンを敵に回すのではないかと、 表現の変更をお願いしようかとも思ったが、 結局、手をつけなかった。 思ったとおり、様々なメディアが、この表現に注目した。 が、予想に反し、どれも賛同する意見ばかりで、 『こころ』の先生が、奥さんを残して自殺してしまう 身勝手さに対する違和感を、 思いのほか多くの人が感じていたことを知った。 このことは、夏目さんも実は内心心配していたようで、 「ホッとした」と言っている。 もちろん、一般の漱石ファンが、 どう受け取ったのかは、いまも心配なのだが‥‥。 ともあれ、この本を執筆した経験は、 夏目さんの何かを大きくかえたように思う。 夏目さんの漱石をみる目は、格段に温かくなり、 漱石の偉さを素直に認めることが できるようになったようだ。 夏目家の人々に長く暗い影を落とすことになった 漱石の「ジコチュー」も、 「彼は自分の問題を取り扱うので 精一杯だったのだろう」と仕方がなかったこととして、 一種の「赦し」の気持ちを抱くようになっている。 いま、私は、本シリーズの次回作は、 これまでの2作をはるかに上回る 「決定版」を書いてもらえると確信している。 ぜひ期待していただきたい。 ************************************
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2006-10-24-TUE
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