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| 担当編集者は知っている。 |
全国津々浦々の地方写真家が、 昭和30〜40年代に撮った記録写真を発掘し、 全10巻にまとめた写真集。 著者の民族写真家の須藤功さんは、 師である民俗学者の宮本常―さんと、 高度経済成長以前から日本全国を歩き回り、 日本の移り変わりを 目と足で確かめて来た方だそうで、 写真に写されている出来事の 文化や歴史の背景をふまえて 丁寧に解説されています。 静かなベストセラーのこの全集について、 担当編集者の赤澤さんにおうかがいしました。 (「ほぼ日」渡辺) ************************************ 担当編集者 /農文協書籍編集部 赤澤久喜 FAX写真がスタートだった そもそも著者との出会いは、 2002年7月のFAX送信からだった。 長野県富士見市の百姓、武藤盈氏の 昭和30年代の写真展を見て「いいなあ」と感じ、 本にできないかと思った。 写真なぞには度素人の僕がいいなあと思ったとて 確信なぞなく、ましてや写真集は売れっこないのだ。 本にするには、写真だけでなくその解説も必要だと思った。 思い悩んだ末に、宮本常―が主宰していた 「日本観光文化研究所」に以前いた編集者のMさんに 電話で相談したら、 「それだったら今、須藤さんが家にいるから」と 教えてくれた。 須藤さんとは、『道具としてのからだ』(草の根出版会)、 『祖父時代の子育て』(草の根出版会)、 『写真で見る 日本生活図引全9巻』弘文堂、 『花祭りのむら』福音館、 『神と舞う俳優(わざおぎ)たち』青弓社など、 数十点の著作がある民俗学写真家、須藤功氏のことである。 怖いもの知らずの僕は、すぐさま電話した。 すると、その写真をFAXで送れという。 FAXで分るものか、半信半疑で送ると、即、返事がきた。 「いい写真だ。是非、私にやらせてくれ」 本の企画は「いいなあ」と感じることから始まる と勝手に思っている僕は、 まんざら俺の目、感性も悪くはないと嬉しかった。 そんなきっかけでこの本が世にでた。 増刷までこぎつけ、祝杯を挙げたとき、 気が大きくなった僕は 「須藤さん、この全国版をつくりましょう」 と申し出ていた。 それが、本全集の「前史」だった。 笑顔がいい頑固者 須藤さんは、昭和13年秋田県横手市に生まれ、 航空自衛隊写真班の仕事をしていたが、 昭和41年に設立された日本観光文化研究所に 押しかけるようにして門を叩き、 宮本常―に師事してきた。 「写真だけでは食えないから文章も書けるようにしろ」 「文章は手のうちを明かして書け」 「一枚の写真からさまざまなものを読める写真を撮れ」と 宮本常一にハッパをかけられたという。 「私は国内を隈無くあるき、庶民の生活を記録しつづけた 民俗学者の宮本常一の許で学んだ。 そのすべてを一口でいうのは難しいが、 あえていうならば、 庶民は偉大な力を持っていて、 その力が国を支えているということになろうか。 しかし、庶民の力は脚光をあびることも、 記録して残されることもない。 だから誰かがやらなければならない、 ということだった。」 (須藤功「生活に学び、伝える」 出版ダイジェスト2004年7月1日号より)。 昭和56年に宮本は死去するが、 その姿勢は頑固なまでに変わらず、 平成16年には『写真でつづる宮本常―』(未来社)を 発刊するなど、志はますます鮮鋭化しているかのようだ。 この10月23日には、『写真集 山古志村 ―宮本常一と見た昭和46(1971)年の暮らし―』 (農文協) を復興支援出版し、旧山古志村全681戸に寄贈した。 須藤さんは普段はちょっと取り付きにくいほどの 雰囲気があるが、 村に行き村人と話すときや酒場で見せる笑顔は、 本当にいい。 いつか、民俗映像文化研究所の姫田忠義氏が 「人が幸せかどうかは、 その人の頬がゆるんでいるか否かでわかる」 といっていたが、 須藤さんはその一人だと思う。 地方写真家が撮った 昭和30〜40年代生活記録写真 今年は戦後60年の節目の年に当たり、 新聞、出版社等マスコミは幾度となく特集を組み、 企画本も多数刊行された。 その多くは戦争の悲惨さを忘れまいとする内容が 多かったように思う。 期せずして本全集も、本年8月に 第1期全5巻が完結したが、 昭和30〜40年代をおもに扱ったこの全集では、 戦争そのものの写真はあえて収録していない。 あくまで、日本人の庶民の暮らしや生業の情景写真だ。 本全集の巻構成を、「1巻農村」「2巻山村」 「3巻漁村と島」「4巻都市と町」「5巻川と湖沼」 としたのも、暮らしや生業が、 いかに地域の風土、自然と深く関わっていたかを 表現できればと思ったからだ。 ![]() 物資の困窮した昭和30年代前後までは、 写真機もフィルムも高価で庶民が買えるものではなかった。 前述の武藤盈さんも、道楽者と後ろ指を指されながらの 撮影だったという。 しかも、記念写真や新聞に載るような出来事の 写真ならまだしも、ありふれた日常の暮らしの 記録写真なぞ、一銭にもならない。 だが、敗戦後、土門拳を初めとするリアリズム写真運動は 日本各地に広がり、熊谷元一など地方のアマチュア写真家が 身近な生活の情景を丹念に撮影していた。 しかし、撮影者が亡くなるとこうした写真は散逸し、 所在がわからなくなってしまう。 須藤さんは自分で撮影するばかりでなく、 全国各地の地方写真家を訪ね、 生活記録写真を発掘してきた。 本全集は、地方写真家が昭和30〜40年代に撮った 生活記録写真の集大成でもあるが、 須藤さんの地道な営為がなければ実現できなかった。 昭和30年代ころまでは、まだ江戸時代生まれの方もおり、 日本人の暮らしの原風景が色濃く残っていた 最後の時代だった。 昔話「桃太郎」の「爺さんは柴刈に婆さんは川に洗濯に」も 日常的な光景だったし、 文部省唱歌「ふるさと」に詠われたような風景も 健在だった。 私たちは、昭和30年代後半から始まる 高度経済成長の過程で、 このような暮らしも自然もドカドカと切り捨ててきた。 そのことが何であったのかを、 この「写真ものがたり 昭和の暮らし」で 問いたかったのだ。 編集をしていて悲しかったことは、 インターネットで撮影地などを確認したが、 市町村合併で市町村名の変更が多く、 合併された町村のホームページが 次々と閉鎖されていったことだ。 効率のよい行政を目指しての合併であろうが、 寂しいことだった。 肉体を使って働き、共に力をあわせ、 おおらかに生きていた 敗戦後から十数年間は、 食糧不足でもっとも困窮した時代であったが、 悲惨な戦争から解放され、旧体制の枠組が崩壊し、 人々がいままで自由に発露できなかった 人としての本来の幸せを必死に求めた “良き時代”であったと思う。 本全集に収録した写真からは、 そんな情景を「いいなあ」と感じて写し撮った 地方写真家の思いが伝わってくる。 収録した写真の中から、数枚紹介しよう。 ![]() ▲鼻取りの少年 長野県阿智村 昭和28年 撮影・熊谷元一 (「1巻農村」より) 丸坊主の学童服の少年が、牛の鼻面につけた棒を操り、 牛を真直歩かせようとしているが、 曲がってしまい往生している。 マンガ(※)を押さえた親父からは叱咤が飛んでくる。 毎日草を刈って餌をやってかわいがっていた牛なのに、 田んぼに入るということをきいてくれない。 ぬかった泥に足を取られて、なかなか大変なのだ。 でも、やり遂げて帰る野良道で、親父から、 「お前ももう一人前だ」といわれたときは 嬉しかったものだ。 今では田んぼの代かきもトラクターで簡単にでき、 子どもの出る幕はない。 (※マンガ:馬鍬。田を鋤く(代かき)ために、 牛に引かせる農具) ![]() ▲オシメの架かる路地でキャッチボール 東京都中央区佃 昭和26年 撮影・石井彰一 (「4巻都市と町」より) 2階から向き合った長屋の屋根に物干し竿がかけられ、 古着から作ったいろいろの模様のオシメが 風に揺れている。 その下で下駄を履いた少年がキャッチボールをし、 女の子が私もやりたいと見つめている。 当時はあまり車も通らなかったから、 道は子どもたちの遊び場でもあった。 子どもも多かったから、遊び仲間は自然とでき、 日が暮れるまでみんなで遊び呆けた。 今よりもみんなで遊ぶ術に長けていたし、 いじめもあったが情も厚かった。 僕ら団塊の世代の幼年時代は、 どこでも同じだったような気がする。 ![]() ▲山の神様の前で「こっから舞」を踊る女衆 秋田県横手市 昭和35年 撮影・加賀谷良助 (「1巻農村」より) なんとおおらかな光景か。昔の大人は皆一芸を持っていて、 なにかという集まりでは必ず披露され、場を盛り上げた。 ロウソクの灯る山の神の神社の前で踊っているのは、 秋田県でよく踊られていた「こっから舞」。 「こっから」は「ここから」の意味で、 ここからの「ここ」は男女のあそこ。 「‥‥そもそも天地ひらけてこの方、 いざなぎいざなみの尊より、子孫繁盛の今日も、 やっぱり原因(もと)はここからだ‥‥」と歌いながら、 腰を突き出す。 山の神は嫉妬深い女神だから、普通は女禁制で、 供物も醜いオコゼが定番だったが、 この女衆の男根踊りには笑い転げたに違いない。 皆の視線が一点に集中するのも無理がない。 こんなことができる女衆は今もどこかにいるのだろうか。 写真を見ると甦る大切なこと ここまで辛抱して読まれた方、とくに団塊の世代の方は、 自分の幼少期の映像が 脳裏にたくさん浮んできていることだろう。 楽しかったことばかりではないが、 あのころの思い出は忘れることはできない。 実は、本全集は、老人ホームや介護施設で 静かなベストセラーになりつつある。 認知症で無口になった老人も、 この本を見ると目を光らせ、しゃべり出し、 それが生きる力を回復させるという。 今日、昨日の記憶は苦手になったが、 昔の元気で張り切っていたころの情景は、 小脳に焼き付いている。 それは、それらが自分のいままでの人生を支えてきた、 大切な事柄だったからに違いない。 僕たち団塊世代は、戦後のこのような苦しくも活気ある 幼年を過ごし、東京オリンピックの前から始まる 劇的な高度経済成長をしゃにむに突き進んできた。 そしてバブルの崩壊でひと休みする間もなく、 コンピューターによる情報化社会、資本や経済効率の グローバリゼーションに翻弄させられてきた。 これからもその潮流は強くなっていくだろうが、 それだけじゃないんだ、それはちょっとおかしいぜ と思う感性だけは研ぎ澄ましておきたいと思う。 本全集がそれぞれの方の回想を髣髴させ、 昔に戻るのでなく、その暮らし方の智恵、思いを 今に生かし引き継ぐ契機となることを願っている。 ************************************
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2005-12-06-TUE
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