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| 担当編集者は知っている。 |
「書くことで食うこと。」というdarlingとの対談で、 「ほぼ日」でも人気の山本一力さん。 今度の小説は、帯の言葉を拝借すると、 江戸を舞台とした、 “心から愛されている一膳飯屋”の物語です。 いきいきと働く主人公の女性は、 すがすがしい気分にしてくれます。 もちろん山本一力さんですから、 人情噺に胸が詰まることもしばしば。 そして素朴な煮物や魚の料理が とてもおいしそうです! 紹介してくださるのは、 単行本ご担当の鈴木さんと、 掲載紙連載時ご担当の秋吉さんです。 (「ほぼ日」さいとう) **************************************** 担当編集者/光文社 鈴木浩 今、編集部に続々とこの本の 愛読者カードが送られてきています。 その冒頭に 「山本一力さんの小説は全部読んでいます。ファンです」 というメッセージのなんと多いことか。 読者を惹きつけてやまない魅力とは何なのでしょう。 刊行直後に姫路市で講演会がありました。 “知恵を使い、こころざしを捨てず、 ひたむきに汗を流す。” そんな山本さんの半生が語られました。 そしてそれは『だいこん』の主人公、 つばきの生き方そのものです。 この作品は「小説宝石」に2年半にわたって 連載されました。 連載時の編集担当者は3人います。 (筆者は単行本の担当編集者です。) 担当者たちと話して思ったのは、 1冊にまとめることより、毎月の原稿をいただくことの方が 何倍もドラマティックだったということ。 以下は初代連載担当・秋吉潮の述懐です。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 名残の桜が風に舞う2002年4月、 私は深川の富岡八幡の裏手にある、 山本一力さんのマンションを訪れた。 所属している「小説宝石」への連載を お願いに行ったのだった。 マンションのエレベーターに乗ると、 小学生の男の子が後ろから続いて来た。 マウンテンバイクを、重そうに両手で抱えている。 「すみません」と頭を下げてくる。 都会には去勢されたお座敷犬のような子どもが 増えているが、この子は見るからに違った。 礼儀正しいけれど、逞しくて元気も良さそうだ。 私は好意の眼差しを、その横顔や髪形に向けていた。 それにしても、似ている。 「君は山本一力さんの息子さん?」 そう訊くと「そうです」と即座に笑顔が返ってきた。 山本一力さんはすでに、 『あかね空』でその年の直木賞を受賞されていた。 いまさらノコノコとお願いに上がっても、 断わられるだろう。 正直、そんな危惧の念を抱いていた。 ところが、山本さんから二つ返事の快諾をいただいた。 それは、唖然とするくらいの呆気なさだった。 それと共に 「井上ひさし先生にいただいた、 『5年間は、来た仕事を断わっては駄目だよ』という アドバイスを守っていくつもりなんだ」 と語られた。 いま思い返せば、ご長男と偶然エレベーターで 行き合わせたのが、幸運の始まりだったのかもしれない。 原稿は一回120枚、毎月の4回連載で、 本にまとめることに決まった。 それまでの作品から考えても、 背筋の伸びた下町の人々を描いた、 心通う人情話になることは分かっている。 余計なことは言わない。 私の注文は一点、 『女性を主人公にしてください』だけだった。 山本さんの担当をしていて、 心に残っていることがある。 それはサインのことだ。 井上先生のアドバイスを忠実に守られた山本さんは、 その後も来る仕事は拒まずに、仕事量は鰻のぼり。 そのため、掲載量も下方修正を迫られた。 2002年11月号で終了する予定は狂っていった。 その年の暮れに、 私はミステリー季刊誌「ジャーロ」へ異動になる。 そこで、異動の挨拶と後任堀内への引継ぎを兼ねて、 山本夫妻と深川で昼食を、ということになった。 途半ばにして異動の挨拶をするのは、寂しいものである。 そんな気持ちを察したように、 山本さんは出たばかりの『深川黄表紙掛取り帖』を、 私に手渡してくれた。 厚情に触れて、胸が熱くなった。 表紙を開くとサインがある。 ああ、ちゃんと私の名前まで‥‥ところが、 その名は違っていた。 多分、有名な評論家と混同されたのだろう。 吉川潮になっていた。 それを、山本さんの奥さんが覗き込む形になった。 奥さん、沈黙。きっと気づかれたのだろう。 間が悪いものである。 『編集者は、作家にとって妻であり愛人であれ』 とのたまう先輩編集者がいた。 その体で行くならば、私は 「あなたと過ごした年月は何だったの? 名前を間違うなんて酷い、同床異夢だったのね!」 と取り乱し、泣き叫んでよかったのかもしれない。 しかし、なぜかその時、 ラフカディオ・ハーンが思い浮かんだ。 小泉八雲の名で親しまれる彼は、 英語教師として赴任していた出雲で、 「ヘルンさん」「ヘレンさん」と、 よく呼び間違えられたという。 そのたびに笑って、 「名前の呼び間違えなんて、 どうでもいい。みんなが呼んでくれるのが嬉しい」 と語ったそうだ。 ハーンの階段を一段でも上るためには、 冷静でいなくては。そう思って、私は面を上げた。 目の前に、満面の笑みがあった。 閻魔や鐘旭も頬を緩める、 あの山本一力さんの微笑返しである。 そしてバリトンの声。 「いやあ、本当にお世話になったからね。 アキちゃんには」 ――『アキちゃん??? あのー、そのアキちゃんって、 どこから持って来たとですか?』 と私・吉川潮改め秋吉潮は、 思わずツッコミを入れていた。 もちろん、心の中で。 結局その後、連載は2年半、29回にも及び、 担当も秋吉、それから堀内、小口の、 三人の編集者が引き継いだ(頭文字を取って アホトリオと呼ばんように)。 そして、文芸編集部の鈴木氏の手を経て、 『だいこん』は単行本となった。 締切りぎりぎりの綱渡りで、胃が痛くなることもあった。 ホントに、だいこんのジアスターゼに 助けていただきたいと、願うこともあった。 しかし一冊の本になってみると、 すべてがその瞬間にOKになってしまう。 感無量だ。 私は、山本さんの笑顔を思い出していた。 そして思わず、その笑顔に話しかけてしまう。 「今度はちゃんと、サインをしてくださいね」と。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 以上が『だいこん』誕生秘話(悲話?)です。 お茶目な山本さんを思い描きながら、 ぜひこの本を読んでみてください。 そうそう、傍らに炊きたての 白いご飯のご用意をお忘れなく。 ****************************************
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2005-03-03-THU
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