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山形浩生 『新教養主義宣言』
昨年末、糸井さんにとある本を送っておいたら
「このコーナーを利用しませんか」というメールを
ありがたくもいただきまして、
それではとばかりに使わせてもらっている次第です。
ブツは山形浩生さんの『新教養主義宣言』という本です
(ちょっと気恥ずかしいタイトルですが)。
いま世の中はタイヘンなことになっている気がします。
年金制度はあてにならないことがはっきりし、
介護も含めて老後の問題が重くのしかかる、
学校は崩壊している、アブナイ事件は頻繁に起こる、
えっと思うような大企業が倒産したり、
ガンガンリストラされたりしている、
政治家は信用できない、官僚は無能、
ワカモノは働かない、コドモたちは野放しのまま。
まあべつに「日本を憂う」みたいな話にしなくとも、
自分自身のことで言うと、いま私が働いている
「人文系出版社」というところも、かなりアブナイです。
もともと出版の世界とは、かなり前近代的で、
融通のきかないシステムで成り立っていまして、
本を作る出版社、流通を受け持つ取次、小売りする書店、
それぞれが深刻な問題を抱えています。
そのしわよせが「本屋さんで本がみつからない」とか
「注文したら本が届くまでにすっごい時間がかかった」
とかいう形で、読者のほうにはねかえってくるわけです。
これは構造的な問題で、
かなり思い切った改革をやらないと解消されない話ですが、
それに着手しないまま放置しておくと、
出版社、流通、書店ともども
バタバタ倒れるという事態が早晩起こると思います。
ちゃんとした本を作って、しかるべき読者に
それを届けたいと考えて働いている人間にとっては、
かなりヤバイ事態です。
たまたま自分が働いている環境の話をしましたが、
たぶん金融業界で働いている人も、
不動産業界で働いている人も、
学校で生徒に教えている人も、公務員の人も、
製造業の人も、サービス業の人も、フリーターの人も、
学生さんも、みんなそれぞれの立場で
危機感を感じているのではないかと思います。
このままじゃアブナイなあ、不安だなあって。
そんなふうに感じながらも、いったんできてしまっている
システムはなかなか変えにくい。
だからこれまで「まっ、そのうちになんとか」とか
「とりあえずいまはこれで」みたいな話で
お茶をにごされることが多かったわけですが、
さすがに山一が倒れたり日産が大々的リストラに
なったりすると、ほんとうにダメかもしれないと
実感として思うようになる。
では、どうしたらいいかってことを考えるための
とっかかりになる本を作りましょう、
この本を編集しながら考えていたのは、そんなことです。
おおげさに言うと、世直しの本です(笑)。
そのための方策として、
この本にはいろいろなアイデアが紹介されています。
選挙権なんか欲しい人にだけあげて、
参政する気のない人は選挙権を放棄してもらって
その分税金を安くしてやればいいんじゃないかとか、
国家の運営は官僚にまかせるんじゃなくて
民間企業に委託したらいいんじゃないかとか、
不況を脱出するには消費税を連続して上げて
駆け込み需要を喚起しようとか、
生産性を上げるためには1年を10カ月に縮めて
「締め切り」を繰り上げようとか、
ちょっと暴論っぽいんですが、
考えてみる価値アリの提案がたくさんつまっています。
「ワハハ、そんなバカなこと」と
笑いながら読んでいくうちに、
いろいろなことを考える手がかりがみえてくる。
そんな手がかりを経済や政治だけではなく、
マンガや文学やSFやコンピュータやインターネットなど、
さまざまなフィールドからひろいあげてみせてくれます。
その手口は、はっきり言ってわくわくするくらい
あざやかで愉しい。
著者である山形浩生さんは、
ふるくはW・バロウズの翻訳をやったり、
F・K・ディックの翻訳をやったり、
オルタナティブ・ロックについて書いたりと、
わりとカルト的なジャンルの物書きという
イメージが強かった人だと思います。
それがこの何年かのうちに、
フィールドが経済やインターネット、
Linuxなどのフリーソフトウェア、
サイエンス、建築と広がり、
グローバルな知識を備えた物書きになってくれました。
同世代から、こんなスタイルの知性が
生まれてきたということに対しては、
職業意識を離れて、すごくうれしく思います。
編集していて感じたことですが、
山形さんの文章は「半生」っぽいんです。
完全に固めてしまうのではなく、
読み手が自分なりに考えたり、
勝手な解釈をしたりする余地を
たくさん残している文章だと思います。
「生乾きの部分が残ってるんですけど、
あとは自分で完成させてね」って感じでしょうか。
これは山形さんが、フリーソフトウェアの運動に
深くコミットしていることとも、
無関係ではない気がしますが、
物書きのスタイルとしては新しい。
文学であっても、評論であっても、
ともかく文章というものは考えに考え、練りに練り、
推敲に推敲を重ねて完成に至るものというのが、
これまでの物書きの常識でした。
その圧縮度が高いほど、よい文章だという評価も受ける。
でも山形さんの文章はどうもちがっている。
文章そのものの質を高めることになんか目もくれていない。
読み手の側にいかに効果的に「種子」を植え付けるか、
そのことにのみ重きが置かれていて、
駆使されるさまざまな話芸は
その目的を達成するためにこそ使われている。
これまでの、「魂を込めて/身を削って」書くことを
よしとする物書きや読者たちからは、
ぜったいに嫌われそうな文章です。
彼らにすれば、こんなヘナヘナなもの、
認められるかってところじゃないでしょうか。
でも、いま、どちらの文章がしっくりくるかというと、
山形さんの文章のほうがしっくりきて
伝わる力も強いと私は思っています。
完全に固めてしまわない、どこかユルい部分を残した
山形的「半生」文章は、インターネットなどとの
親和性からしても、強い伝染力を持つものと信じています。
まあ私がいろいろ説明するより、
晶文社のホームページ
http://www.shobunsha.co.jp/
の新刊案内コーナーで「立ち読み」ができますし、
また山形さん自身のホームページ
http://www.post1.com/home/hiyori13/index.html
でもほぼ全文が読めますので、
まずは読んで体験してもらうのがいいでしょう。
山形的「知性」が少しでも多くのひとたちに
伝染することを祈っています。
(株)晶文社 安藤聡(ANDO Akira)

『新教養主義宣言』
著者:山形浩生
出版社:晶文社
本体価格:1800円
ISBN4-7949-6415-3
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