Drama

第7回 ぼくは「誰にでも伝えたい」のかな?


沼澤尚さんとdarlingの対談です。
ご好評のようで、とてもうれしいです。
今日は、割とボリュームのあるところなので、
前口上はそこそこにして、すぐに本文に入ります。

前回のおわりに出てきた、
キャスティングで99%が決まるかも、
という話をきっかけにして、それなら、
伝わらない奴には、永久に伝わらないのかな?
という話題について思うことを、
ふたりで喋るのが、これからの対談内容。
今回は、かなりじっくりお楽しみください。


糸井 「キャスティングで99%決まる」
っていうのは、そりゃ実際に、そうなんです。
つくづく、そうなんだよなあ、それ。

だけど、一方で、もうひとつ
ぼくには、仮題というか、壁があって・・・。

何かというと、ぼくはこのあいだ、
NHK教育テレビで小学校の先生をやったんだけど、
その時、つくづく考えさせられたことがあった。

ぼくは、何にもやらないくせに
難しいことばっかり言っている
インテリの会話のようなものには、
前からずっと批判的だったんです。
だから、さっきの小学校の先生でも、
もしかしたら、むつかしいことを言わなければ
通じるんじゃないか?という期待がありました。

一緒に過ごしている時間の中で
何かを感じてくれればいいや、と思っていたけど、
そうは言いながらテレビの放送なので、
その場のお客さんである小学生が、
どれだけブラボーと言ってくれるのかも、
ちょっと、気になりもしたんです。
・・・そしたら、苦しくて苦しくて!

スタッフは
「とてもよかった」と言ってくれたけど、
それはただ単に俺が必死だったから
というだけでさあ・・・。
やっぱり、伝わらないに決まっている人は、
絶対に世の中にいるんだと感じざるを得なくて、
その日は朝から12時間くらい、変な汗をかいてた。
絶対に伝わらなかったり、
無条件に批判的な奴に対して、
そいつと仲良くするための努力なんて、
ほんとのことを言うと、時間がもったいないから
あんまりしないんですよね。

「ほぼ日」にしてもほんとうはそうで、
ろくでもない投書をしてくる奴に対しては
いちいち関わる気もないし・・・。
だからぼくが「フラットに伝える」ということを
ずっと言い続けてきたのは、きっと、「ほぼ日」の
読者の質の良さのなかでやってきていた・・・
それがよくわかって、これまでぼくが
「誰にでも伝えたい」と言ってきたその矛盾が
小学校の授業で、出ざるをえなかったんですよ。

ディレクターは、生徒が変化したと言ってたけど、
それはぼくにはわからなかったから、
変な汗を出しながらパンク寸前で・・・。
撮影が終わったら、
「もう、この日のことは一日も早く忘れたい」
といって帰ってきたぐらいなんです。
その後、他の仕事で忙しかったから
緩和されて助かったけれど、もしぼくが
あまり忙しくなかったら、苦しんだと思います。
評論家的に偉そうに言ったって、
そんなもの、近所のおばさんには伝わらないよ!
とぼくは文句を言ってきた立場だったのに、
実は、それを薄めたレベルで、
ぼくの伝えていることも同じなのかと思うと、
何か、もう、つらくってさあーっ・・・。

でも、あきらめるかというとそうでもなくて、
一方で、そうじゃない例が、いっぱいあるよね?
例えばぼくがすげえなあと思うのは、
フランシスコ=ザビエルです。
あれ、オランダで難破して、漂流寸前で
日本に流れついてきたわけでしょう?
たまたま流れついちゃって、
首のところにジャバラなんかつけて、
顔は赤いわ、日本語わかんないわ、で、
インドネシアで拾った海賊のような日本人と
組んだ数人のチームだけで、日本に入ってさあ。

そんなやつらが、いちから
キリスト教を広めようなんてやってたわけで。
武家屋敷に貢ぎ物を渡しながら仲良くしたり、
街の辻に立ってキリストの教えを説いたり・・・。

ザビエルの話していることを、
隣りにいるもう茂吉だかなんだかわかんないけど、
インドネシアで拾ったっていう海賊がさあ、
「・・・カミ様ハ、イマース!」だとか
何とか、訳したりしてたんでしょ? きっと。
沼澤 そこに暮らしている人には、
何の接点もないものを、
伝えようとしたんですよね。
糸井 接点、全然ない。だから、
「あいつらは俺の言うことをわかってない」
「だめなやつらだから嫌だ」
とかは、言ってらんないわけですよね。

貿易船に乗っかってきたわけだから、
珍しいものだとかのツールは持っていたので、
「・・・コレハ、火ガ点キマース!」
とかお客を寄せていたのかもしれない。
それにしてもさあ、文化も言葉も倫理も違うし、
こいつら相手にしたってしょうがないぜ、
とザビエルが思っていたら、
いま伝えられている彼らの姿は、ないわけで。
沼澤 ぼくらの今の生活もないかもしれない。


そうですよね。
でも彼らは、そんな中なのに
農民をキリスト教にしてみたり、
最低限でも天草の乱を起こさせたりぐらいの
でかいことはしているわけですよね・・・。
そう考えると、どんなに伝わらなさそうでも、
やっぱり気持ちを伝えたいと思っちゃいます。

でもまあ、ぼくはその小学校の授業では、
この中でひとり伝わってくれればいい、
という授業しかできなかったんだけど・・・。
コピーライターの授業なら、それでいいんです。
それを目的に集まっている奴らなら、
100人だめでも一人だけいい奴が出たら、
それで教える目的は達成できた、
という言い方はできるんだけど。
沼澤 100人いて1人いたらOKというのは、
それはドラムでも、まったく一緒です。
糸井 でも、その小学校の時には、
言葉をテーマにしたものだったから、
できればみんなに、聞いてほしかった。

あの子には聞こえていないなあ、
みたいなのをしょっちゅう感じたり、
叩いても叩いても魂をゆさぶれていないのが
わかる時があったから、つらくってさあ。

例えば、無教養な人からぼくの本を読んだ、
というファンレターが来る場合は、伝わってる。
それは、無教養とは言っても、
感覚はむしろ豊かだったりするから。
でも、すっごい嫌な親に育てられたガキに、
「何言ってるか、わからないよ」
と言われるのは、知的教養とは関係がないところで
通じる可能性がずいぶんなくなるんですよね。
そこは捨てるのか・・・これは自分の課題だけど。

「伝わる奴にしかいいたくない」と
「全員に伝えたい」というのは、どっちもきっと
正しいことだと、ぼくは思うんですよ。

全員を納得させられるものなんてないわけだし、
その無理なことをするために寄り道をしてたら、
ぼく自信が前に進めないわけです。
横に行ったり後ろに戻ったり、ばかりをしてたら
俺の人生じゃないよ、という感じになると思う。
だから、嫌な奴は嫌だとは、
言うべきだとぼくは考えてもいるんです。

でもさあ、一方で、ザビエルや親鸞や、あとは
木の仏を彫っては「宿代だ」と言って
各地に渡っていった円空がいたりして・・・。
そいつらが、いたじゃないか、とも思うんです。

あ、でも、喋ってて思ったけど、
いま出てきた人には、
共通してみんなツールがあるなあ。
仏像を彫るとかバテレンのカステラ持ってるとか。
それはちょっとヒントになるかもなあ。
沼澤 ツールって関心のなかった人にも、
興味を持たせるもののこと?
糸井 そういうのがあったほうがいいんだろうなあ。
「あっちのほうが、幸せそうに見える」
「あの人たちのほうが、俺を幸せにしそう」
と、農民に思わせるような、
マッチをすったら火が出たぜ、
みたいな飛び道具は、あったほうがいいよね。
やっぱ、楽器で言ったら、
ピアノを弾きながら女の子は口説けるけど、
例えば、ドラムとかベースって、難しいじゃない?
沼澤 それはそうですよっ。
沼澤 ピアノの前でふたりだけでいて、いい雰囲気で、
「・・・じゃあ・・・弾いてみようか」
なんていうのは、横にさせる力があるもん。
でも、「・・・じゃあ・・・ドラムを・・・」
「ジャーン!!!チキチキチキチキ!!!!!」
ってさあ、人間の体を横には、しない(笑)。

女の子も「よし!!もう一曲ぅ!!」なんて。
逆に立ち上がらせちゃいますもん。
沼澤 (笑)ピアノもそうだけど、ギターもいいですよ。
糸井 ふふふ。いいよねえ。


(このまま、対談は、明日につづきます)

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