Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

「ダーリンコラムを読んで」

糸井重里さま

ダーリンコラムを読みました。
土曜日、デヴィッド・ルヴォー演出
「愛の勝利」を見に行って、興奮されたこと。
モノポリーの大会と、前田選手の引退試合を隔てて、
日曜日の夜に書き出そうとしたら、
書きたいという気持ちが消えてしまったこと。
とても率直に書いていらして、
「ああ、そうだよなあ」と頷けました。

私の主な仕事は、エッセイではなく批評ですから、
逆に、興奮をさます時間がどうしても必要です。
「見巧者」と呼ばれる人がいて、
芝居を見に行ったあとに食事にいくと、
実に要領のいい、しかも鋭い感想をのべるのですが、
私にはそれができません。
その場でしゃべってしまうと、
なにかが消え失せてしまうような気がして、
おおよそありきたりで、鈍なことしかしゃべれません。

批評の場合は、理想をいえば一週間から二週間くらい
寝かせておくといいようです。
興奮がさめ、細部を忘れたあとでも、
なおまだ、残っているものを再度、じぶんなりに
組織し直して書いたときに満足がいくようです。

もっとも、この間、お渡しした
『傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー演出の技法』
のような仕事は、97年の時点で、93年にはじまる
T.P.T.の仕事を回顧したわけですから、
さらに突き放した目で書くことになりました。
ただ、それでは「褪めすぎている」ので、
97年の春、デヴィッド・ルヴォーの主宰した
ワークショップに、役者さんたちにひとりまじって、
二週間みっちりつきあい、からだを「いぼいぼのある」
状態に上げていくプロセスが必要でした。

20代前半の役者さんたちにまじって、かけっこはする、
演技を必要とするゲームにまじる、即興で芝居をつくる。
トレーニングウェアで稽古場の床に座り込んでいると、
いままで経験したことのない状態に
からだが変わってきました。
私なりに安定していたからだとことばの距離が、
すっかりバランスを崩して、
劇評などの原稿がぴたっと書けなくなりました。

からだに、見えない「いぼいぼ」ができている感触
といったらいいのでしょうか、
不思議な感覚を味わいました。
これは、もしかしたら役者さんには、
なじみ深い感じなのかもしれません。

ワークショップの最中、
野田秀樹の夢の遊眠社解散の記念に
もらったトレーナーを着ていました。
まわりの役者さんたちは、昔、夢の遊眠社にいて、
いまだ芝居の夢を忘れられないおじさんだと
思っていたみたい。
遊眠社あがりにしては、からだが堅いのは、へんだなーと。

見学にきた松浦佐知子さん(遊眠社出身)に、
「劇団の神話が崩れるから、それ着るのやめて」と
ちょっと真顔でいわれてしまいました。

二月二十五日

長谷部浩

1999-03-02-TUE

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