デザイン会社ドラフト所属の時代から
デザインを志す若い人たちの憧れ、
スター的な存在だった
渡邉良重さんと、植原亮輔さん。
ふたりが「キギ」として独立してから、
丸4年が経ちました。
そこで、植原さんは新卒から15年、
良重さんにいたっては
25年もの年月をともにすごした
ドラフト代表・宮田識(さとる)さんと
あらためて、お話しいただきました。
キギがドラフトで学んだこと、
宮田さんのデザイン観、人材論、組織論。
親密な雰囲気のなかにも、
一流同士の間で交わされる「厳しさ」や
尊敬の念を感じる座談会。
全4回、「ほぼ日」奥野が担当します。

デザイン会社ドラフト所属の時代から
デザインを志す若い人たちの憧れ、
スター的な存在だった
渡邉良重さんと、植原亮輔さん。
ふたりが「キギ」として独立してから、
丸4年が経ちました。
そこで、植原さんは新卒から15年、
良重さんにいたっては

25年もの年月をともにすごした
ドラフト代表・宮田識(さとる)さんと
あらためて、お話しいただきました。
キギがドラフトで学んだこと、
宮田さんのデザイン観、人材論、組織論。
親密な雰囲気のなかにも、
一流同士の間で交わされる「厳しさ」や
尊敬の念を感じる座談会。
全4回、「ほぼ日」奥野が担当します。

渡邉良重(わたなべ よしえ)


1961年、山口県生まれ。
山口大学(教育学部)を卒業し、
1986年にDRAFT入社(~2011)。2012年にKIGI Co.,Ltd.を設立。

企業、ブランド、商品などのアートディレクションを手掛けるほか、
KIKOFをはじめ、プロダクトブランドD-BROS、
洋服のブランドCACUMAなどのデザインコンテンツをいくつか持ちながらも
プライベートで作品を制作し発表するなど、
自在な発想と表現力であらゆるジャンルを横断しながら、
クリエイションの新しいあり方を探し、生み出し続けている。
2015年7月、東京・白金にギャラリー&オリジナルショップ
「OUR FAVOURITE SHOP」をオープンさせた。
http://ofs.tokyo/

植原亮輔(うえはら りょうすけ)


1972年、北海道生まれ。
多摩美術大学(テキスタイル)を卒業し、
1997年にDRAFT入社(~2011)2012年にKIGI Co.,Ltd.を設立。

企業、ブランド、商品などのアートディレクションを手掛けるほか、
KIKOFをはじめ、プロダクトブランドD-BROS、
洋服のブランドCACUMAなどのデザインコンテンツをいくつか持ちながらも
プライベートで作品を制作し発表するなど、
自在な発想と表現力であらゆるジャンルを横断しながら、
クリエイションの新しいあり方を探し、生み出し続けている。
2015年7月、東京・白金にギャラリー&オリジナルショップ
「OUR FAVOURITE SHOP」をオープンさせた。
http://ofs.tokyo/

宮田 識(みやた さとる)


日本デザインセンター退職後、1978年に宮田識デザイン事務所(現・株式会社ドラフト)を設立。
「キリン一番搾り」、「麒麟淡麗<生>」、「ウンナナクール」、「世界のKitchenから」などの
商品・事業開発の企画を中心に、広告・SPの企画デザイン、ブランディングを手がける。
1995年に「D-BROS」をスタートさせ、プロダクトデザインの開発・販売を開始する。
東京アートディレクターズクラブ会員。

──
宮田さんの「ドラフト」を拝見していて
すごく特徴的だなと思うのが、
キギさんをはじめ
いい人材を‥‥いい人材であればあるほど、
「外に出している」ことですよね。
宮田
まあ、「フランチャイズ制」と言って
それぞれ独立してはいるけど、
ドラフトから
完全に離れたわけでもないんですよ。
──
でも、どうやっていい人を集めよう、
優秀な人材は抱え込もう‥‥というのが、
一般の組織だと思うんですが、
宮田さんは、なぜ、あえて真逆のことを?
宮田
いや、この先の会社のことを考えたら、
真逆だとは思ってない、別に。
──
くわしく、聞かせてください。
宮田
まず、キギのふたりもそうだけど
独立したって、同じ仕事をやってたりして、
決別したわけじゃないでしょ。

アートディレクターどうし、
協力してできることは、たくさんあるから。
──
2011年に、キギさんをはじめ
6名ものアートディレクターが一気に独立して
それぞれ、ご自分の会社を立ち上げました。
宮田
そうですね、こいつには、
もう俺がついてないほうがいいかなと思ったら、
ドラフトの外に出てもらってる。

まだ、うちにいといた方がいいなと思うときは、
「お前、もうちょっと待て」と。
──
同じキギさんでも、外の人として仕事をすると、
それまでと関係性も変わってきますか。
宮田
当然、変わるよね。もう、別の人だから。
甘えとかも、前よりないと思うし。

一緒にやってる仕事も多いけど、
別の言いかたをすりゃあ、ライバルでもあって。
──
そうか。‥‥そうですよね。ライバル。
宮田
だから、実態としては
ただ、自分のところの都合が悪くなることを
やってんのかもしれないけど(笑)。
──
ライバルを増やしてる、という意味で。
宮田
でも、それでやれなかったら、それまで。

まあ、考え方しだいでは、
ライバルであっても
「ちょっと応援に来てくれないか」って、
助け合える関係でいられたら、
百人力の味方ができたのと同じでしょう。
──
そうか、ライバルが味方になることほど、
心強いものはないですよね。
宮田
そうなんだよ。
──
優秀な人たちが外に出てしまったあと、
残った若い人たちは、
奮い立って、がんばるものなんですか。
宮田
そういうふうに、期待してる。

そんなにうまくはいかないものだけど、
でも、若い奴には、きっかけになる。
おかげで、
今、気合い入ってるのが3人くらいいますよ。
──
田中竜介さんの「ノーチラス号」に、
内藤昇さんの「Noboru」に、
御代田尚子さんの「MA’AM」に、
富田光浩さんの「ONE」、そして「キギ」。

独立したみなさんの会社とドラフトの関係を
「クリエイティブ・フランチャイズ・システム」
と呼んでらっしゃいますが、
どうして「フランチャイズ」なんですか?
宮田
日本で「フランチャイズ」っていうと、
コンビニとかファミレスを思い浮かべるけど、
ぼくらの場合は
アメリカの大リーグのフランチャイズ制を
イメージしてるんです。
──
西地区とか、東地区とかある、あの。
宮田
コンビニとかスーパーのフランチャイズ制だと
フランチャイザー(本部)と
フランチャイジー(加盟店)とが、
必ずしも「いい関係」にあるとは限らない。

ザーがもうけるだけもうけて、
ジーのほうは、けっこう苦労してたりとか。
──
大リーグの場合は、ちがうんですか。
宮田
簡単に言うと、
ザーとジー、たがいに責任を持っています。

大リーガーって、一定の年数プレーすれば、
引退してから年金がもらえるんだけど、
それもザーとジーが
「自分勝手なことをするなよ」
「俺たちもちゃんとしなきゃ」
という信頼と責任をたがいに持ってるから、
そういう構造を維持できてるわけであって。
──
そうなんですか。
宮田
本部と加盟店とが、
おたがいに「いい関係」を築けることが、
フランチャイズ制において
本来は、非常に重要なことなんです。
──
そういう意味での「フランチャイズ制」、
なんですね。
宮田
まあ、ドラフトのフランチャイズには、
残念ながら
一生を保障してあげられる年金は
出せませんけどね。

毎年、売上の1割くらい収めてくれたら
プールできるかもしれないけど(笑)。
──
会社名を「宮田識デザイン事務所」から
「ドラフト」に変えたことも、
「組織」に対する宮田さんの考えかたと、
何か関係しているんでしょうか。
宮田
ぼくの名刺には何にも肩書ないんだけど、
うちの名刺には、名前の傍らに
アートディレクターとかデザイナーって
入ってるんですよ。まあ、ふつうに。
──
ええ。
宮田
で、こうして名刺をお渡しするときに
「宮田識デザイン事務所で
 デザイナーやっているワタナベです」
って言うとするでしょう。

それって、ちょっとおかしいじゃない。
渡邉
おかしい? 何で?
宮田
だって、
せっかくデザイナーのワタナベさんなのにさ、
「宮田識」って人の名前があったら、
「結局あんた、自分の名前で出してないじゃん」
というか、
「宮田という人の下にいるだけのデザイナーか」
というふうに見えちゃうよね。
──
では、それが嫌で?
宮田
嫌。嫌だよ、すごく。
で、個人の名前とは関係ない社名にしたの。
──
そういう気持ちが、あったんですね。
宮田
デザインという表現には、
デザイナーの個人的な意識が要ると思うんです。

で、ウチのデザイナーには、
ぜひ、そういう個としての意識を持ってほしい。
──
宮田さんが、社員のかたに
デザインについて具体的に教えることって
あるんでしょうか。
宮田
ゼロ。
──
ないんですか、まったく。
宮田
それは、個々人の「脳」の問題だからね。

どんな表現だったら、
たくさんの人によろこんでもらえるかは、
個々の脳が考えることで、
そこには、俺は、入り込めない。
──
なるほど。
宮田
問題は、自分の「脳」を、
どうやって自分でコントロールできるか。

個人個人、みんな違うデザインなのに、
手取り足取り教えて、
ぼくと同じ人間をたくさんつくったって、
おもしろくないし、意味がない。
植原
うん。
宮田
それぞれが、それぞれ自由に発想して、
好きなことをやるのが、いいんです。

それには、自分で勉強してくんないと。
小説家に文章のことを教えます? 
──
教えないと思います。
宮田
最終的には、個人個人の問題にしないと、
表現って、突き抜けないです。

だから、ぼくは、できるだけ、
そうできる場をつくってやろうと思ってる。
──
それ以上のことは、自分でガンバレと。

社名から宮田さんのお名前を外したことも
「場をつくる」ということと
すごく密接に、関わっていそうですね。
宮田
それは、そうですね。
──
おふたりは、そういうドラフトという場で、
どんなことを学んだと思いますか?
渡邉
うーん‥‥よく思うのはね、宮田さんほど、
クライアントに対して真剣になれないって。

わたし、25年もいたし、
学んだことはすごくたくさんあるんだけど、
クライアントと真摯に向き合って
仕事をする宮田さんの姿勢、
そのことが、いちばん心に残っているかな。
──
なるほど。
渡邉
それは、
最近のウエさんにも感じることなんだけど。
植原
俺の場合は‥‥そうだなあ。

何かね、まだ、客観視できない感覚がある。
何かを学んだといいより、
DNAのように染みついている、というか。
宮田
でも、それでいいと思う。

俺が彼らに何かを教えたとしたら、
それはデザインの技術うんぬんじゃなくて、
たぶん「志」みたいなものだから。
──
それは、どのような「志」ですか。
宮田
たとえば、まずは「伝えたいこと」が
頭に浮かんでくることの重要性‥‥とかね。
植原
ああ、はい。
宮田
デザインというのは、
デザイナーの頭に浮かんだ「伝えたいこと」を
表現に置き直す作業で、
極端に言えば、かたちは、変わってもいい。

だから、まずは、
「頭に浮かぶこと」じたいが重要なんです。
植原
そういう意味では、ドラフトにいたときには
気がついたら
「どうしたい」って欲望が湧いてた、ずっと。

それは、自分でも不思議だったんだけど、
今から思えば、宮田さんが、
うまいこと操ってくれてたんだなと思います。
宮田
今、ウエの言ったことが、すべてかもね。

どんな問題を目の前にしても、
最終的には「あなたは、どうしたいのか」が、
どういうデザインになるのかも、
成功も、失敗も、いろんなことを決めるから。
渡邉
うん。
宮田
そういう、自分なりの世界観を持たない人が、
何を表現したって、
宇宙まで突き抜けることは、できないと思う。

<終わります>