身近な医者の底力シリーズ かかりつけ医だから できること。

「かかりつけ医をおもちになるといいですよ」 本田美和子さんから折にふれ、そう聞いていました。 でも、持病などないうちはなかなかご縁もないもので。 あ、そうじゃなくて? ふだんから? 「日頃の健康管理に、とても役に立ってくれますから」  そもそも「かかりつけのお医者さん」って どんなことをしているの? そんなことから知りたくて、 かかりつけ医として働くお医者さんをお訪ねしました。 東京は世田谷、上野毛にある松村医院の 二代目院長、松村真司先生です。 この日実習に来ていた若いお医者さん、 綿貫聡先生にも加わっていただいて、 本田さんを聞き手に話をうかがったところ‥‥ いや、ほんとうに、 かかりつけのお医者さんがいるといいみたいです!

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もくじ
第1回 町のお医者さんになりたい。 2010-04-05-MON
第2回 ご近所さんだからわかる。 2010-04-06-TUE
第3回 健康を守る伴走者。 2010-04-07-WED
第4回 そこで終わりじゃない。 2010-04-08-THU
第5回 先端医療との架け橋に。 2010-04-09-FRI
第6回 よろず相談うけたまわります。 2010-04-10-SAT
第7回 目の前の問題だけでなく。 2010-04-11-SUN
第8回 そこに人の生活がある。 2010-04-12-MON
本田 きょうは松村医院の松村真司先生に
かかりつけのお医者さんの
お仕事について教えていただくために、
世田谷の上野毛にある松村医院に
おじゃましました。

ちょうどこちらに実習にいらしていた
東京都立府中病院*の綿貫聡先生にも
加わっていただきながら、
お話をうかがっていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
(註*:現・東京都立多摩総合医療センター)
松村 よろしくお願いします。
綿貫 よろしくお願いします。
本田 最初に、松村先生をご紹介するところから
はじめさせていただくと、
松村先生は、わたしが医者になって
はじめて勤めた病院の先輩で、
そのとき先生は総合診療科のレジデント、
わたしはその下で働く研修医のひとりでした。
もう、いろんなことを教えていただいて、
忘れがたいことがたくさんあるんですが、
そんな時代からお世話になっている大先輩です。
松村 そんな時代もありましたね。
本田 はい(笑)。
当時から先生は、
総合診療という、幅広くいろいろな病気をみる
かかりつけの医者として仕事をしようと、
目標を定めていらっしゃいましたね。
松村 はい。
本田 ゆくゆくはお父様の診療所をやっていこう、
「町医者になるのがぼくの夢なんだ」と
おっしゃっていて、
そういう先輩がいらっしゃるのは
とても心強いことだと思っていたんです。

先生はそこでのレジデントを終えたあと、
かかりつけのお医者さんになるために
さらに研究を深めようと東大に進まれて、
そこからアメリカの大学、UCLAに留学されました。
UCLAではどういうことをなさったんですか?
松村 UCLAでも同じです。
クリニカル・リサーチですね。
あそこには、
家庭医学、総合診療医学を学び始めて
5年目ぐらいの臨床医が
自分のキャリアアップのために研究をする、
臨床医のためのトレーニングプログラムがあるんです。
そのプログラムに参加しながら、
UCLAの大学院で公衆衛生を学んで、
ということを同時にやってました。

ちょうど同じ時期だったんですよね、
本田さんがアメリカにいたのと。
本田 ええ、そうなんですよね。
わたし、そのときのことで
とても印象に残っているのが、
「アメリカに行ってぼくは痩せた」って
先生がおっしゃっていたことなんです。
松村 そう、痩せたんです(笑)。
本田 アメリカで暮らしたら、
たいていのひとは太るんですよ、いっぱい食べて。
なのに、先生は、
「あまりに研究がたいへんで、
 ごはんが食べれなかったんだ」
っておっしゃってて、
もう、なんて真面目なかたなんだろう、と
つくづく思ったんです。
松村 ぼくの人生の中でいちばん勉強した時期です。
寝てるときと風呂に入ってるとき以外、
ずっと勉強してたかもしれない。
本田 すごい。そうだったんですね。
そのときの研究のテーマは何を?
松村 研究テーマは「終末期医療」ですね。
終末期に延命治療を希望するか、希望しないかということが、
日本人と日系アメリカ人、
日系アメリカ人の一世、二世、三世で
どういうふうに違うのか。
それから、お医者さんと患者さんの
コミュニケーションの取りかたが
日本とアメリカで、どう違うのか。
それがメインテーマでした。
日本に戻ってこれを博士論文にして
東大を卒業したんです。
本田 日本に戻られたのが何年ですか?
松村 1999年の秋ですね。
本田 じゃあ翌年の春に卒業されて、
それからは‥‥?
松村 僻地で働きたいとも思ったんですが、
ちょうどそのころ、東大の医学教育改革の動きがあって、
「医学教育センター**」という機関が
新しくできるということで、声がかかったんです。
(註**:東京大学医学教育国際協力研究センター)
各科の専門医だけで医学教育をしてしまうと
どこかに歪みがでてしまうというはなしがあって、
「おまえは何でもできるだろ? 総合診療だろ?」
「はい、何もできませんけど何でもがんばってやります」
という感じで、その仕事をすることになったんです。
本田 じゃあ、いったんそちらにお勤めになって。
松村 そうですね。
で、じつは卒業が決まってから、そこでの仕事が始まるまで、
1カ月の間があったんです。
それで、うちの親父が
「おまえ、ヒマそうだからこの医院をやってくれ、
 その間におれは手術を受ける」と言い出したんです。
手術をしたら、親父がなかなか回復しなかったもので、
ぼくは、昼間は東大で働いて、
夜はここで診療をするというスタイルで
しばらくの間やってたんですよ。
本田 そうだったんですか。
松村 しばらくそのスタイルでやっていて、
1年ぐらい経ったあたりからかな、
患者さんに「大(おお)先生はいつごろ復帰‥‥?」
と聞かれるようになってきて。
まぁ、いつまでも両方ってわけにもいかないし
いずれやろうと思っていたことでしたから、
「すみません、じゃあそろそろわたくしが」
ということでスイッチしたわけです。
本田 完全に医院を引き継がれたのが何年ですか?
松村 2001年、34歳のときですね。
そこから3、4年ぐらいは
「大先生はいつごろ‥‥?」という声を
患者さんから聞くこともあったんですが、
2006年ころになって、
そう言われることもなくなりました。
本田 みなさんもう、
「若先生におまかせします」と。
松村 今は「大先生」といっても
知らない人もいますからね。
昔はよく、外来のドアをガチャっと開けるなり
「あなた、いつもの先生より若い」とか、
「前に来たときは、もうちょっと年だったような‥‥」
とか言われたりしてたんですけど(笑)。
「息子です、顔は同じですけど」って。
本田 そうですか(笑)。
きっとお父様の代からの患者さんになると、
ずいぶん長くかかってらっしゃるんでしょうね。
松村 そうですね、長い人で40年ぐらい。
だから、ご本人も子どものころから来ていて
今はそのお子さん、お孫さんも、
ってこともあります。
本田 さきほど少し医院の中を
見せていただいていて、
なるほど! と思ったんですが、
こちらは患者さんのカルテを
家族ごとにまとめてるんですよね。
家族ぐるみでかかっているかたは
多くいらっしゃるんですか?
松村 うちはご近所のかたがほとんどなので、
家族でかかってるかたも少なくないですね。
それでカルテも家族単位で管理してます。

だから、基本は電子カルテなんですが、
これまでの歴史が詰まっている
紙のカルテも併用しているんです。
家族ごとに、というのもあるし、
古くからの患者さんは、
昔のカルテに大事な記録がありますから。
本田 ところで、松村医院のホームページを拝見すると、
診療時間は午前、午後、夜間と
曜日によって変則的になっていて、
クリニックが終日開いているのではないですよね。
先生は、こちらで患者さんを診察するほかにも
お仕事をなさっていらっしゃるんだなと
想像していたんですが。
松村 基本的には研究をつづけていて、
そういった研究をしてることもありますし、
最近では、往診、訪問診療が増えてきたので
特に週の後半は往診に出ていることが多いですね。
ほかに、産業医として
この近くの職場の健康管理、
大学や都立高校の学校医もやってます。
本田 地域のかたがたの健康管理ですね。
松村 そう、職場で働く人の健康を守ったり、
学校単位での健康管理。
ようするに産業医や学校医というのは、
病気じゃない人の健康を守るという役割ですね。

(ルルルルル‥‥)
松村 あ、ちょっとすみません。

(「はい、松村医院です。
 ああ、◯◯さん、こんにちは。
 どうしました? ああ、いえいえ‥‥‥‥」)
本田 患者さんからのお電話のようですね。
綿貫 いつも松村先生、電話は
ご自分でとられるんですよ。
ふつう、かかってきた電話に
ファーストで対応する
看護師さんとかいると思うんですけど、
こちらは松村先生なんです。
だから、診療時間の問い合わせとかにも
先生が「きょうは2時からやってます」とか
答えてて(笑)。
本田 そうですか。

(「‥‥上が140。まだ高いけど、
 前回に比べると‥‥‥‥」
綿貫 いや、すごいなぁと思うんです。
ぼく、ここに実習にうかがって
勉強になることはいっぱいあるんですけど、
おもしろいなぁと思うのは、
こうしてここにいるだけで、
そういうところも全部見えるところなんです。
本田 そうですね。
大きな病院では見えない病院全体の動きが、
ここに立っていればすべて見えますね。

(つづきます)



2010-04-05-MON

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