ITOI
ダーリンコラム

<多忙を怠惰の隠れみのにしない方法>

今日は、すっごいスピードで書いてみよう。

ずいぶん前に、ここで書いた
<「多忙は怠惰の隠れみのである」ということについて>
には、ずいぶんたくさんの反響があった。
30年以上も前に高校の国語の先生が言った一言が、
こうやって、いまでもおおぜいの人々に
何かを考えさせているということが、
なんだか感無量ではある。

ぼく自身も、この問題についてはずっと忘れずに
考えちゃいるんだけれど、なかなか、
これに続いて考えることって思いつかなかった。

忙しい時というのは、いわばルーティンワークに
なりやすいというところまでは、わかる。
そこは気をつけてきたつもりだ。

忙しいときには、なんだかわけわからん充実感が
わきあがってきたりして、
「もう、これで満足。文句はあるか?!」な
気持になったりもするが。
これだって、よくよく気をつけてきたつもりだ。

しかし、「怠惰じゃない多忙」っていうのが、
どういうことか、どうも、ひとつ実感できなかったのよ。
こんなに長いこと、先生の教えを考えている生徒なんて、
世の中そうざらにはいませんぜ。

で、先日、「あ、ちょっと、これかな?」と、
気がついたことがあったのだ。
いつものように、自分に向かってさ、
眠いじゃねーかバカヤロとか文句言いつつ(小声で、な)
いろんな仕事して、メール出して、本読んで、と
いつものようにやっていた時のことであった。
気分よく本を斜め読みしている自分に気がついた。
斜め読みなのに、真剣に読んでいるのだった。
ま、ちなみにそいつは、
『マネジメントを発明した男・ドラッカー』っていう本。
ま、今ごろそんな初心者みたいな、
って言われそうなものなのかもしれないけどね。

忙しくない時に買って、置きっぱなしになっていた
何十冊の本のうちの一冊で、
なんとなく気になって、読みはじめたのだった。
全部ゆっくり読んでいると時間がなくなる。
だけど、読みたいし、知りたい。
そんな感じだったんだろうと思う。
著者の真意には反するかも知れないけれど、
「ページをめくるために本を眺めている」時間が、
ほとんどなくて、読んでいる自分に気がついたのだ。

あ、そういえば、このごろビデオを見るときも、
同じような感じだし、居眠りするときも、
ぼんやりするときも、
なんか「それをするために、それをしている」気がする。
いやいや、そんなふうに言うと、
時間を有効に使うエグゼクティブみたいだなぁ。
ちがうんですよ、そういうんとちゃいます。

どう言えばいいんだろう?
毎日、偏った食事をしているうちに、
からだが自然と野菜を欲したり、肉を要求したり
するようになるじゃないですか。
そういう時の野菜、そういう時の肉って、
吸い込まれるように体内に入っていきますよね。

ああいう感じの「吸収力」って、
逆に、「非常」の時にしか発揮できないんじゃないかと。

いつでも読める本を、ゆっくり
読むという読み方もあるけど、がーっと
カツ丼かっこむように、吸いこむみたいに読むってことは、
忙しいときの特権的な読み方だよなぁ。
と、そう思ったら、
「多忙であっても怠惰に非ず」ということって、
ひょっとしたらできるんじゃないかと、
自分の現在に対してあんまりネガティブでなくなった。

ちょっとだけ公園に出かけたときとか、
ちょっと買い物に出たときとか、
それがそれなりに、行ってよかったなという気分に
なれるんだから、
忙しさが自分をダメにしていくんじゃないかと
必要以上に考えすぎるのってくだらないなぁと、
思えそうになっているんです。

さて、これを書き終わったら
いましろたかしのマンガ『ハードコア』を読むんだー。

2000-10-09-MON

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