ITOI
ダーリンコラム

<愚妻と主人>

先週は、自主カンヅメと称して、
また新しい単行本の仕事をしていた。
「ほぼ日」でも『吉本隆明・まかないめし』で
連載インタビューに登場してくれた吉本さんの、
雑誌に連載していた「人生相談」(?)を、
再編集して出版する予定なのである。

そのなかに、日本は歴史的にずっと母系社会で、
「男が偉い」ような風潮は、
明治以後のごく短い期間しかなかった、
というような話がある。

この明治以後、というのはなかなか曲者で、
いろんな「昔から日本では」と言われているようなことの、
かなり多くの部分が、明治以後に、
かなり人工的に創られた歴史であったりする。

学校だの軍隊だのの制度も、有名だけれど、
もっとわかりにくい部分が、
案外「明治以後の新参者」だったりしているものだ。

例えば、これから花見の季節だけれど、
桜といえば、「ぱっと咲いてぱっと散る」という花だ、
と思いこんでいるけれど、
これは、明治以後に大々的に植林された
「ソメイヨシノ」という桜の特徴であって、
それまでの日本に咲いていた桜は、
ゆっくり咲いてゆっくり散る種類だったという。
だから、特攻隊の思想になっている
「やまとごころ」の解釈は、ちがうんじゃないの?
というようなことを、小林秀雄(文芸評論家)が、
講演で語っている。

また、学校で歩行訓練を習うけれど、
あの習い方がなかった江戸時代までは、
右手と左手を交互に振って、
左足と右足を手と逆に踏み出すという歩き方は、
なかったのだいう話を、古武術の先生に聞いた。

話を元に戻すそう。
ぼくらは、どうも、この明治以後の新参者の思想が、
いかにも「昔むかしから動かずにあったもの」として、
とらわれすぎていたような気がするんだ。

そういうことはずっと長いこと思っていた。
だから、市民でも人民でもなく、
「町人」というコトバを、
ぼくは意識的に使ってきたつもりだ。
社会科学を多少でも囓った人の目から見たら、
「町人」というコトバは概念規定しにくい、
あいまいな幻のようなものに見えるだろう。
だけど、かまわない。
もっといいコトバがあるのならそっちに変えてもいいけど、
いまは「町人」というイメージを抱えていくぞ。

さて、やっとタイトルになった「愚妻」に話は移る。
「愚かな妻」というコトバが、
正常な社会人がパートナーを呼ぶときの
常識的な言い方として定着していることに、
ふと、不思議な気持になったのである。
なぜ、そんなふうに呼ぶのかと言えば、
自分の「持ち物」を誇ることはよくない、という
「常識」があるからなのだと思う。
自分の選んだ妻を、なぜ、他人の前で卑下するのか?
そうだ、「所有物」だから謙遜するのだ。
「豚児」という自分の子供の表現も同じである。

では男も女にとっての所有物ではないのか?
これが、ちがうんだなぁ。
「主人」というのだから、逆だ。

むろん、太古まで遡って、
女性が所有物であった時代について語ることも
できるのかもしれないけれど、
愚妻だの豚児だのという言い方を、
あちこちでふつうの勤め人がするようになったのは、
これまた明治以後のことなのだと思う。

たぶん、その前も、武士階級の間では、
そういうコトバが使われていたのかもしれない。
だが、それを「常識」にしてしまった歴史は、
そんなに古いものではなかったと思う。
よく耳にするけれど、「奥さん」というコトバも、
「奥」という役割からきたもので、
庶民の間にはなかったものだという。
奥さんという「高級」なコトバが、
あちこちに「おかみさん」に代入されたのだろうね。

町人の間で、自分の妻をなんと呼んでいたのだろう。
「かかぁ」「おっかぁ」なんてところが
落語好きのぼくからすると思いつく。
もうちょっと時代が新しくなると、
「かあちゃん」なんてのもあるな。
どれも、母を表すコトバだ。
愚やら豚やらといった過剰な謙遜の要素はない。
「おかみさん」「かみさん」などの言い方は、
「女将」とか、「上」からの変化だろうから、
これもくだけた尊称とも言えるだろう。

一方で、おかみさんのほうから、
夫をなんと呼んでいたかといえば、
これも落語から借りてくるけれど、
「うちのひと」「うちのダンツク(旦那)」、
なんてところが思いつく。
「やどろく」という言い方で謙遜することもあるが、
これは「うちのろくでなし」くらいの意味で、
多少ののろけの要素もあったようだ。

男と女の呼び方は、五分と五分だという気がする。
少なくとも「愚妻と主人」のような差はない。

ぼくはフェミズムの人でもないから、
女の権利が侵害されているなどとも言わないけれど、
いまの時代に「愚妻と主人」という言い方が、
常識とされているような社会ってのは、
まことに馬鹿馬鹿しいという気がしている。

そう言えば、なんだけれど、
政治家の先生方、森=失言=総理大臣ばかりでなく、
ほとんどの人が、「愚妻」って言ってそうじゃない?
選挙のときのアンケートに、
「夫人をなんと呼んでいますか?」
なんて項目があったらおもしろいだろうねぇ。
「かぁちゃん」なんて回答があったら、
ちょっと一票入れたくなっちゃうね。

「日本人を町人化する運動」は、
ワタクシひとりで、これからもコツコツと
やっていきます。

2001-02-19-MON

BACK
戻る