ITOI
ダーリンコラム

<土足厳禁のJAPAN>

部屋で犬を飼っていると、
外に散歩に行ってきたあとで、犬の足を洗うことになる。
ぬれ雑巾のようなもので拭くだけでも
いいのかもしれないが、
それと洗うことと面倒くささは変わらないので、
玄関でさっと抱きあげて風呂場に連れていって、足を洗う。
うちの犬は、祖先はイギリスで、
おそらくオーストラリアで育ってきた家系なので、
この「足を洗う」という習慣は、
日本に来てからやることになったものだ。

あたりまえのことのように、外から戻ってきて、
足を洗う前には玄関から上がってこない。
そういうことをくりかえしているうちに、
ルールとしておぼえたのだと思う。

そんなことを思っているうち、
外と内を出入りするいろいろのものについて、
気になってきた。
それで、そのことを『今日のダーリン』に書いた。

鉄腕アトムって、和室に入るときに足洗うのかな?
土足のままで入れる家ばかりじゃないと思うんだよね。
「おじゃましまーす」なんて玄関であいさつして、
あの火を吹くブーツを脱ぐのか脱がないのか。
それを考えるとね、オバケのQちゃんだとか、
ドラえもんだとかも、足は洗うのか。
「いちおう、濡れた雑巾で拭くんですけど」くらいの、
軽い決まりがあるのかもしれませんけどね。
気にしはじめると気になるんですよね。

ぼくは、自宅では靴を脱いで過ごす生活をしています。
外に出るときには靴を履いていて、
土だろうが、コンクリートだろうが踏んで歩きます。
いろいろ何でも踏んだけど、それは靴のしたこと。
素足のぼくは、靴の内側しか踏んでないんです。
ぼくの足の裏は、ぼくのほっぺたと同じくらい
ぜんぜん汚れてないんです。
多くの日本人の生活というのは、
そういう足下感覚で成立しているものです。

アトムもオバQもドラえもんも、
ぼくんちにやってくることがあったら、
足を洗ってくれなきゃ困るンですよねー。
犬のブイヨンだって、
ちゃんと足洗いのルールを守ってます。
あ、鬼太郎はいいです、鬼太郎はゲタ履いてるから。



このあとで、ずいぶんたくさんの人から、
「ドラえもんは、地上から3ミリくらい浮いているから、
 足が汚れてないんですよ」
というようなメールをいただいた。
メールのなかには、「おそらく」と仮定したうえで、
「土足で家に上がるのは教育的によろしくない」と
クレームがついたのではないかというような
想像をしている方も少なからずおられた。
「オバケのQ太郎」については、
もともとオバケなので実体がないから汚れもしない、
という説が語られたりもしていた。
どちらにせよ。日本で、
これらのマンガを読む子どもや大人にとっては、
外と家の中では、靴を履いたり脱いだりするという
境界があるということは前提になっているようだ。
それは、これらのマンガが描かれた時代のみならず、
いま(2008年)の現在でも、
ほとんどの日本人の生活は、外に出るときには
外を歩くための履物を履き、
家にいるときにはその「外のための履物」を脱ぐ
という生活をしているという「常識」にもなっている。

しかし、と、ぼくは思うのだ。
鉄腕アトムについては、履物問題は語りにくい。
アトムが生れたのは、2003年という設定らしいから、
現実のいまはもう、アトムの暮らしている時代だ。

マンガのなかのアトムが暮らす21世紀には、
日本にも、もう和室は存在していなかった。
おそらく作者である手塚治虫の想像する未来というのは、
「日本も、欧米のようになって発展していく」
ものだったのだろう。
ドラえもんは、時代的にもっと後で描かれはじめたが、
1970年代の日本の子どもたちが主な登場人物なので、
舞台としての日本は「土足厳禁」である。
ドラえもんは、22世紀という未来からやってきた
ネコ型のロボットらしいけれど、
舞台はあくまでも昭和だの平成だのの日本だ。
ここでは、靴は外で履くもので、
家の中では脱ぐべきものなのだ。

21世紀になって、まだ8年しか経ってないとはいうものの、
昭和の人々が考えた日本の「未来」は、
日々の生活という面では、けっこう外れていたと思う。

日本は、欧米に比べて「後進国」で、
徐々に欧米に肩を並べる「先進国」になりつつあるから、
やがては欧米を追い越して「欧米以上」になる。
ある時代の人々は、そういう夢を描いていたのだろう。
そのとき、日本というこの島国の、
昔からある田舎臭いものや遅れたものは、
いつのまにか無くなってしまうと思っていたのかなぁ。

たしかに、トイレはどんどん和式から洋式になった。
しかし、お風呂はバスルームと呼ばれるようになったけど、
「浴槽で身体を洗わないようにしよう」
という人たちのほうが多いのではないか。
出合いのあいさつに「ハーイ!」とか言う若者もいるが、
ほとんどの会話はまだ日本語で交わされている。
着物を着て暮らしている人は、ほんとうに少ないけれど、
洋服のなかに着物が混じっていても
遅れているとは思われない。
ケーキだのパンだのを食べるようにはなったけれど、
米も和食もかえって人気になっている。
そして、なによりも生活の「ホーム」で、
21世紀の日本人は、土足厳禁の暮らしをしている。
ついでに言えば、自分たちの根っこに持っている
この島国なりの「文化」や「習俗」を忘れたつもりになって
欧米人のようにふるまう日本人には、
「欧米か!」というギャグでたしなめることさえある。

20世紀にたくさんの人たち、
特にインテリの人たちが想像した国際的(欧米的)で、
進歩的な先進国としての日本は、
やってきたようにも見えるけれど、
それは会社や都市の「よそいきの芝居」で、
ほんとうの家で、毎日過ごしている生き方については、
ぼくらはいまだって「土足厳禁」なのではないだろうか。

ここまでしぶとく生き残ってきた「土足厳禁」思想を、
なんだかぼくは、大事にするつもりになっている。
ぼくらの希望する未来に行くために、
必ず「欧米」という駅を経由して行かなくてはならない、
などということが、あるわけはない。

ひょっとしたらさ、パリもロンドンもニューヨークも、
いずれは「土足厳禁」になるかもしれないじゃなーい。

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2008-05-26-MON
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