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ダーリンコラム

<写真とは、思い出の天引き貯金なり>

観光地ぶらぶらしてたら、びっくりするよ。
とーにかく、みんながみんな、写真を撮ってるんだよ。
ま、自分も写真を撮ってるのに、
そういうふうに驚いたふりするのも失礼だけどさ、
「国民総写真生産量」というものは、
圧倒的に加速しているんじゃないの。

老若男女、誰も彼も、みんなが
写真を撮ったり、撮られたり、
写真を撮るためになにかの都合をつけたり、
写真を撮られるためになにかを我慢したり、
すごいことになっちゃってるよ、特に観光地はね。

観光というのは、写真を撮るためにするものなのか?
ふとね、そんなことも考えてみたよ。
もっと言えばさ、
人生は、写真を撮るためにあるのかもしれませんか?
そんなこたぁないのは、わかっているんだけど、
ちょっと、それくらいの迫力で、
写真は人間を従えていると思うね。

さてさてさ、たいていの人は、
どういう写真を撮るかというと、
いま見ているものを、撮っている。
あるいは、写真に撮るためのものを見ている。
そういう方法で、写真を増産しているわけです。

なぜ、そういうことをするか、というと、
目で見ただけのものは、消えちゃうから、
写真というかたちで貯めておこうと思ってるんだ。
人間には記憶というものがあるから、
憶えておけと言われたら、
「思い出」としてある程度は憶えておけるけど、
写真に撮って「記録」に変換しておけば、
まちがいなく消えないぞ、と考えているんだよね。

これって、現金を手にしたら、
うかうかしてると使って消えちゃうから、
何も考えずにまず貯金箱に入れておこう、
というのと同じ考え方だと思うんだよ。
つまりさ、
「写真とは、思い出の天引き貯金なり」だよ。

現金を前にしたら、つまり、思い出の素に出合ったら、
それをその時その場で使っちゃう人も、いると思うよ。
いや、あたしはもともと、そういう主張をしていたもの。
『気まぐれカメら』という場がなかりせば、
たぶん写真を撮る機会もかなり減ると思うよ。
でもね、そのときにあわてて使うより、
もっとあとで、落ち着いてゆっくりと
お金を使いたいものだ‥‥と考えるように、
思い出も、いったん写真に貯金しておいて、
あとでゆっくりじっくり楽しもうというわけだよ。

さらに言えばさ、
ただ写真を眺めてゆっくりじっくり楽しむだけじゃなく、
そいつをプリントして、仲間にプレゼントしたり、
体系だったアルバムを完成させたり、
なにかの印刷物の素材として使用したりね。
貯金をしておけば、使い道は無数に考えつく‥‥はずだ。
だから、とにかく、写真を撮れ、撮っておけなのだ。
というわけで、人々はとにかく写真を撮る。

あとで見るとか、見ないとか、
もうすでに忘れているかもしれない。
役に立つだの立たないだのは、もっと忘れてる。
ちょうど、お金の話をするときに、
「あって困るもんじゃないし‥‥」というのと同じだ。
「撮って、損するもんじゃない」ということだ。
特に、デジタルカメラや携帯電話のカメラだったら、
フィルム代や、現像代、プリント代も手間もいらない。
だから、撮る、写真を撮る、バチバチ撮るんだなぁ。

いくら写真を撮っても、なんにも損はないから、撮る!
そう思っているんだよ、みんな。
でもねー、
まったく損がなくて、得ばっかりなんてことが、
世の中にあると思うかい?
「思い出の天引き貯金」としての写真というのはさ、
未来に使う予定の「思い出」が、
現在から「天引き」されて、保存されるってことだ。

つまりはさ、現在の「思い出になる予定のなにか」は、
感じるより先に、
未来の自分が使うために、
「天引き」されているということだよね。

なんかね、いまの世の中って、
未来の自分のほうが、地位が上みたいなところがあって、
いまの自分ってやつが、
未来の自分に奉仕していることが多いと思うんだよね。
(いや、そのほうがホメられるってだけかもしれないか)
未来の自分のために、いまの自分が
「思い出」の「天引き貯金」を、
すすんでやっているんだから、
まったく問題なし、かまわないとも言えるんだけど、
「いま」その「現場」で感じを消費するよろこびって、
天引きの分だけ味わえなくなってると思うんだよ。

知りあいの家のご子息が通ってる幼稚園が、
運動会のとき「カメラ持ち込み禁止」なんだって。
運動会で活躍するひとりひとりの子どもたちの写真は、
契約している写真屋さんが撮ってくれるので、
写真そのものは残るんだけれど、
「親が子どもの勇姿を写真に撮る」ということは、
この幼稚園では禁止にしたんだという。
父兄も、それを承認してこの幼稚園を選んでいるので、
特に問題は起こってないらしいよ。

たぶん、この幼稚園の運動会では、
お父さんやお母さんの、感じることは、
天引きされずに済んでいると思うんだよ。
その場でしか味わえない感じや、
その時にしかできないことを、
せいいっぱいやっていたら、
未来の自分たちのために天引きされる分は、
けっこうキツイ負担だよね。
それを「なしにしましょう」としただけで、
おそらくさ、この幼稚園の運動会は、
「運動会の写真撮影会」じゃなくて、
ちゃんと「運動会」になってるような気がするんだ。

カメラって、おもしろいし、
思い出を撮っておけるというのも、
とてもゆたかなことだと思うんだけど、
「いま」「その場」のほうが、貴重でさ、
二度とないんだということを、
もっと、もったいながったほうがいいと思うんだよね。

もともと、ワタクシ、写真を撮らない人間でしたので、
撮らなかったときの自由さについては、
とてもよく知っております。
その気持ちを忘れずに、
カメラを持ち歩こうと思ってるんだよねー。

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2007-12-03-MON
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