ITOI
ダーリンコラム

<やめられないけれど、やめられないこともない>

ぐだぐだと、具体的な例もあげずに、
同じような単語をなんどもなんども使って、
いつ終わってもいいような話をするのは、
ぼくの悪いクセなのだ。
でもねー、そういうふうに言わないと、
伝えにくいことってあるもので、
今日も、そういう話をしてみたい。
しょっちゅうこういうことばっかりやってると、
見放されちゃいそうですけど、
まずは、今日はやってみます。

テーマは、
「やめられないけれど、やめられないこともない」。
この一行だけです。

タバコをやめるというのは、とてもむつかしいことだ。
いちど吸うようになってしまったタバコは、
なかなかやめられるものではない。

しかし、ぜったいにやめられないかというと、
そんなこともなく、
じつは、やめることもできる。

「やめられないけれど、やめられないこともない」
つまりは、そういうことだ。

これは、
「やめられるから、やめられる」というのとは、ちがう。
そんなに簡単に「やめられる」なんて言えるもんじゃない。

「やめられないから、やめられない」とも、ちがう。
ほんとうに「やめられない」ことだったら、
それこそ、死んでもやめないということもあるだろう。
しかし、「死にますよ」と脅かされてもやめないけれど、
ほんとに目の前に死ぬという現実をつきつけられたら、
やめられるというようなものだ。

なにを言ってるんだ、と
じれったがられそうだけれど、
あくまでも、
「やめられないけれど、やめられないこともない」
なのだ。

ぼくは、タバコをやめてみて、
「やめられないけれど、やめられないこともない」
というような境地を、ひとつおぼえた。

この「やめられないけれど、やめられないこともない」
という世界があると知ると、
「やめられるはずがない」と言われているものが、
ほんとうは、そうとも言えないということがわかる。

「やめられっこない」ことというのは、
だれもが思っているよりも、少ないのではないか。
そんなふうにも思うのだ。
いや、そういうものを「やめられる」と、
かんたんに言うつもりはない。
人が本気で「やめられない」と言ってることを、
他人に「やめられる」と決めつけられるのは、
ひじょうに腹が立つものだ。
だから、
「やめられないけれど、やめられないこともない」
ということなのだ。


「わけわかんないよ」と言われそうですが、
言ってる本人は、
「やっとわかったんだよなぁ、こういうことが」と、
すっかりいい気持ちになっているのでした。
でも‥‥すいません。

まだ、言っちゃおう。
「やめられないけれど、やめられないこともない」。
タバコばかりじゃなく、金やら恋やらプライドやら、
あなたが取り憑かれているたいていのことは、
「やめられないけれど、やめられないこともない」
のかもしれないというお話でした。

このページへの感想などは、メールの表題に、
「ダーリンコラムを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2007-09-17-MON
BACK
戻る