ITOI
ダーリンコラム

<笑っちゃいけない、というわけでもない>

昔のじぶんと、いまのじぶんは、
あんまり変わってないような気がするのだけれど、
ときどき、
「あ、ここは変わっていたわ」と発見するのは、
なかなか愉しいものだ。

昔はとても嫌いだったものが、
いまはそんなこともなくなっていることが多い。
ことばでも、そんなふうなものがいくつかある。

「人生」ということばは、若いときにはイヤだったなぁ。
どこがどうイヤだったのかな。
人が生まれて死ぬまでの複雑ないろいろを、
「人生」とひとことで表せてしまうということが、
もう、なんだかしゃくにさわっていたのではないか。
表せちゃうのかよ!
というような反発があったように思う。
でも、いまは、口で言う回数こそ少ないけれど、
読んでも、書いても、イヤな気持ちはない。

いや、人生のことを書こうとしたんじゃなかった。
「ユーモア」ということについて思ったのだった。
「ユーモア」ということばも、
若いときには気持ちのわるいものだった。
なんとなく、自然な笑いとは別の、
お約束だとか、そまつな様式のように思えた。
ひも状のネクタイをした、ちょっと長髪なおじさんが、
「ゆ〜もあ」とひらがなで言ってる感じ。
笑いや、笑いのある場面は大好きだったのだけれど、
それは「ユーモア」とは
まったく対極のところにあるように思っていた。

しかし、いつのまにかだ、
「笑い」ではなく、
「ユーモア」ということばで表されるものが、
大事なんだよなぁと考えるようになっていた。
大事なんだ、ほんとうに。
でも、「ユーモア」ということばの、
なんとなくのもっともらしさを
気持ちわるいと感じるのも、否定できない。
正直言って、いまでも、ぼくはその気分が残っている。
だけど、「ユーモア」が大事なんだよなぁ。

生きてるうちに、「ユーモア」が大事だと、
じわじわと思うようになってきたのだけれど、
その過程に、いったいなにがあったのだろう。

‥‥いや、もう答えはわかったんだ。
ずっと考えていたことだからな。
つまり、こういうことだったように思う。
「人生」長くやってると、
「笑っちゃいけない」場面に、しょっちゅう合う。
ほんのちょっとでも、
笑いを許してくれるような何かがあったら、
ずいぶんみんなが助かるのに‥‥と感じる場面が、
オトナになるにしたがって増えて行くのだ。
子どもや、若者とってには、そういう場面は少ないから、
「笑っちゃいけない」ということの、
なんとも不自由で理不尽で、ある意味正しい感じを、
ただやり過ごすことになる。

しかし、オトナになってからの
「笑っちゃいけない」場面というのは、
ある種の人間(あ、おれおれ!)にとっては、
死に体みたいなものなのだ。
いや、最低限の礼儀として、
「笑っちゃいけない」ことがあるのくらい知っている。
葬式だとかは、そういうシチュエーションだとは思う。
あとは、謝罪の会見だとかもね。
それでも、ほんとうのほんとうを言えば、
謝罪は様式そのものが謝罪の要素になっているから
さすがに「笑っちゃいけない」だろうけれど、
葬式なんかだと「笑っちゃいけない」とはかぎらない。
こう書くと、さっそく怒る人もいそうだけれど、
ぼくは何度も、
いい感じの笑いのある葬式を見てきている。

真剣な会議だとか、まじめな集会だとか、
重大な折衝だとかは、どうなんだ?
と、思う人もたくさんいるだろう。
そうなのだ、「笑っちゃいけない」場面なのだ。
たいていは、そういうことになっている。
しかし、
そんなことでいいのか!
と、ぼくは唾を飛ばして怒鳴ってやりたいくらいだ。
99%の時間、「笑っちゃいけない」としても、
人々がついつい見逃しちゃうような
死角みたいな1%弱くらいの時間に、
「笑っちゃいけない、というわけでもない」感じを、
混ぜてくれてもいいじゃないっっっっっすか!
と、何回も何回も感じながら、
認められそうもなく、
つらくつらく生きてきたのが、おれの人生だった。

ぼくにとっての「ユーモア」というのは、
「ユーモア」のない状況や、
「ユーモア」を禁じられた場面や、
「ユーモア」を憎んでいる人たちや、
「ユーモア」が抹殺されようとしている局面を、
何度も経験しているうちに、
「そういうのはいややぁあああ!!」と、
つくづく思うようになったせいで、
浮き彫りになって見えてきたものだ。

「ユーモア」という単語、
ぼくがもし辞書の編纂をする立場だったら、
<「笑っちゃいけない、というわけでもない」
 ということを明らかにしてしまうもの>
と、まだるっこしい説明をすることになるだろう。
それは、「ループタイのゆーもあおじさん」と、
まったく関係ないものなのかもしれないが、
案外、そういうおじさんは、
ぼくらの知らないところで、
泣きながらおならをするような「ユーモア」を、
かまして生きてきたということも考えられる。

以上で、終わろうと思ったんだけど、
「ユーモア」で思い出した映画があった。
好き嫌いはあるかもしれないけれど、
ロベルト・ベニーニって監督(主演も)の
『ライフ・イズ・ビューティフル』は、
ここでぼくが言った、
「笑っちゃいけない、というわけでもない」の
すごみみたいなものを表現していたなぁ。

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2007-07-23-MON

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