ITOI
ダーリンコラム

<極端は、あぶないっすよ>

いろんな人が、それぞれの思惑で生きている。
ある人にとって利益になることが、
別の人には害になることもあるし、
ある人の大好きなものが、
別の人には不快であるということもある。

だから、自分の好きなようにばかりはできにくい。
たいていのオトナは、そのことを知っている。
で、「中を取ろうじゃないか」ということになる。
一方が、100を主張して、
もう一方が0を押し通そうということならば、
まん中の50にしたら、
どっちも半分は不満でも、半分は満足でしょう、と。
そういう決め方をすることになる。
いつまでも、100か0かで争っているよりも、
50に決まったほうがいい、というわけで、
そんなふうに収まる。

しかし、100か0で中を取ってる場合なら、
中も50というあたりになるからいいけれど、
100だ0だの争いの輪に、
100000000を持ってくる人間がいるとタイヘンだ。
中を取っても、50000000とかになっちゃう。
こういう意見が出てくると、
こんどは0のほうの陣営でも、
防衛的にというふうな理由で、
マイナス100000000を持ちだしてきて、
バランスをとろうとしてくることになる。

そういうわけで、「中を取ろうじゃないか」は、
100000000出してきちゃう作戦に負けてしまい、
改訂を余儀なくされる。
どうするか、というと、
「両極端を切り捨てて、中を取ろうじゃないか」
になる。
会議などでも、よく採用されているやり方だ。
それでも、100000000は極端として切られるけれど、
100か0かが争われているときに、
190くらいを出しておくと、無視もされずに、
100の側に少しでも寄ったところで
妥協されることがある。

ああ、今回は読みにくいでしょう?
ほとんど同じような単語が、
くりかえされるばかりでね。
ガマンしてください。
ぼくだって、ガマンしているんです。
いま、膀胱が破裂する寸前なんですけれど、
この文章を書いているんです。
命を懸けて書いているのですから、
あなたも‥‥うっ‥‥いや、まだ死ねま‥‥っせん。

0だの100だのと、
観念的な数字を出して語ってはいるが、
具体的には「情報戦争」みたいなもののことを、
言いたかったのだ、もう膀胱は破裂しそうだけど。

最終的な落ち着き先を、
少しでも自分に有利にするように、
「中を取る」の「中」の位置を引っ張り合うことが、
あちこちでひんぱんに行われている。
意識的に行われる場合もあるし、
まったく無意識にやっていることもある。

いわゆる男女のケンカなどで、
どっちが食器洗いをするか程度の発端だった争いが、
「じゃぁ、あの引き出しのなかにあった写真はなによ!」
というような物件の登場があると、
とんでもない重要問題に発展していって、
「死んでやる」だの「詐欺師!」だのという
極端なことばも飛び交うことになり、
もう中を取ることさえ不可能になって、
永遠の別れになったりすることだってあるということだ。

逮捕された容疑者なんかも、
これまでにやったらしい悪いことの情報が、
人間の噂の渦のなかにどんどん投げこまれていって、
とんでもなく悪いやつになっていく。
そこに対抗的に、
彼が過去にした「善いことカード」を出しても、
とりかえしがつくようなものではない。
「でも、こういう悪いことをやったんですよね」
と言われておしまいだ。

なんか、ねぇ、
「両極端を切って、中を取る」という方法が、
そんなに優れたものだとは言いにくいけれど、
爆弾みたいな使われ方をする、
極端な情報の投げ合いみたいなことは、
ずいぶん危ないことなんだと思うんだよなぁ。

そういう意味じゃ、正しいことを言うために、
否定する対象のことを、
とんでもないことばで罵る「正義の人たち」なども、
ずいぶん政治的な方法をとっているんだなぁ、と思う。
いったん大声で怒鳴っておいて、
アドバンテージをとろうという方法とか、
泣き叫んだりする「強い感情」を、
プレゼンテーションに混ぜ込むとか、
いろんな駆け引きが(もしかしたら無意識で)
あちこちで、たえず行われている。

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2007-07-02-MON

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