ITOI
ダーリンコラム

<としよりの言うようなこと>

真っ暗闇の深夜に、
早く明るさに会いたいと思って、
朝日よ早く顔を出してくれといくら言っても、
決まった日の出の時刻が来るまでは、
どうにもなるものじゃない。

とても若いころに、
そういうことを教えてもらったことがある。
時を待つ、ということは、
できそうでできないものだ。
若い人だと、時を待たずに何かを成す、
ということを
いいことだと思っていたりするから、
なおさら待てなくなってしまう。

そういうことを教えてもらったときには、
なんだか煙に巻かれたような気がしたものだ。
うまいことを言って、なだめられたような気がした。
「日の出の時が来るまで、日は出ない」という
当たり前そうなことをわかるのには、
ずいぶん時間がかかったと思う。
このことも、
「時が来るまで」ということだった。

年をとって、いろいろな経験をしてきた人たちは、
若い人からすると逆説にしか聞えないようなことを、
よく言うものだ。

広告のことを教える教室で、
ある老先生に頼まれて、
代理の講師をすることがあった。
一所懸命にいろんないいことを
伝えようとするのだけれど、
しゃべっていながら、
しょっちゅうネタ切れを感じていた。
青息吐息で講義を終えて、老先生に報告に行った。
「しゃべることが無くなっちゃいそうになったら、
 どうしたらいいんでしょうね?」
先生は、なんでもないような顔をして、
「しのげばいいんだよ」と言った。
黙っていようが、寝ていようが、歌を歌おうが、
なんでもいいから「しのげ」と教えてくれた。
「そのうちには、時間がくるから、終わるよ」と言う。
ずいぶんインチキな話に思えるだろう?
講師はそれでいいかもしれないけれど、
生徒の立場はどうなるんだ、
という気もするだろう?
ぼくも、ちょっとそう思ったのだ。
しかし、ちょっとそう思ったからって、
どうなるものでもない。
「しのげ」以外に何かあると思うことが、
たぶん、若気の至りであり、
傲慢さだということだった。

こんなふうな話が、いまはおもしろくてしょうがない。
「ほぼ日」を読んでくれているのは、
それこそ老いも若きもだから、
「どこがおもしろいんだ?」という方々も、
たくさんいるのかもしれないけれど、
ぼくは、できるだけ、こういうようなことを
忘れないように書き留めておこうと思っている。

古代中国で、すでにこんなことを考えていた。
ギリシャの時代に、人間はこんなことをわかっていた。
徒然草には、こんなことが書いてある。
‥‥なんていうようなことを、ぼくは、
あんまり習いもしないで生きてきたけれど、
いまいちばん大事なのは、そういうことのように思う。
昔の人がすでに考えに考えてわかったこと、が、
おもしろくないわけがない。

「としよりの言うようなこと」
というアンソロジーが
ちゃんと編めるなら、
その本は、誰にとっても、
とても大切な一冊になりそうな気がする。

あ、つまんなことばっかり言うとしよりも、
もちろん、いっぱいいるんですけどね。
それは、もとより承知です。

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2006-08-07-MON
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