ITOI
ダーリンコラム

<人間の手を噛み砕ける犬の歯>

もう、やめられなくなっちゃったので、
今回も、口調を変えてお届けします。
今回は、「新作落語の台本」風にお送りします。
いや、「おもしろくない漫談」になったかな。

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家に、長いことおりますと、
妻とか犬とかを見ている時間が長くなりますので、
自然と、妻とか犬とかいうものついて考えますね。

妻について考えることというのは、
そのままいくらでも言えばいいというもんじゃない。
言っていいこと悪いこと、そのあたりを
注意深くですな、吟味をいたしまして、
ま、女性はいいものでございますな、というふうに、
まとめることになるわけです。

しかし、犬については、
ま、みなさんもごぞんじのことと思われますが、
字が読めないというような関係もありまして、
こういうところで、何を言ってもいいんであります。
ほめたからといって、
よろこぶということもございません。
ここで大層ほめたから
何がうれしいということはないです。
「直接にほめたらいいのに」と、そう思うでしょうな。

犬については、前にも言ったことがありましたっけ、
『犬の十戒』というものがあります。
どこのどなたがつくったものか、
定説はわからないのですけれど、
インターネットで『犬の十戒』と検索をしたら、
たくさん出てまいりますな。

これ、旧約聖書のモーゼの十戒に倣ってまして、
犬が人間にしゃべりかけることができたら、
こんなことをお願いするんだろうな、ということを
10項目並べているわけでございます。
犬が、実際にこんなふうなことを
考えているかと言えば、
そんなことではないのでしょうけれど、
「犬の側に立って人間を見る」という
想像のお話ですから、
これをつくった人は、
犬と人間をよくよく見ていた人なんだろうと思います。

人間にとって、痛いことがたくさん書いてあります。
人間さまというものが、
犬というものを下に見て、
苦しめているんじゃないかというような、
そんな見方でつくられているんですねぇ。
人間が、犬との関係で、
ついつい考えそうなこと、やりそうな悪いことを、
先回りして書いてあります。
犬が黙っているから、
気づかないままになっていることを、
代弁するように書いているわけでございます。

第1の戒から、第10の戒まで、
なかなか読みごたえのある文章でございます。
‥‥こんなことを書きますと、すぐに
「全文掲載してください」だとか、
「どこで全文は読めますか」とか、
お願いや質問のメールをね、出してくる人がいます。
でも、少しくらいは自分で探す、
自分で調べるということを
してくださいよ。ほんとに。
質問もお願いも、悪いことじゃないんですけれど、
「質問を読む、そのことを調べる、答えを出す」という
少なくとも3つの仕事を、
誰か人間がやってるんですから。
あなたが調べようとしないことの、代理で、ね。

GoogleでもYahoo!でも、なんでもいいんですから。
検索エンジンに、とりあえず『犬の十戒』と
文字入力してみたら、出てきますから。
お願いしますよ、1度これ言いたかったんですよ。

すっかり横道に入りこんじゃいましたけど、
さて、なんだっけ?
そうそう、『犬の十戒』のなかで、
いちばんスゴミがある一文というのが、
これなんです、第7の戒。

Remember before you hit me
that I have teeth that could easily crush
the bones of your hand
but that I choose not to bite you.

わたしをぶったりする前に、
思い出してほしいんです。
わたしたち犬は、あなたの手の骨を
簡単に噛み砕けるような歯を持っているけど、
あなたを噛まないようにしてるんだってことを。

そうなんですよね。
犬は、固い骨のかたちのおしゃぶりとかね、
野球のボールなんかでもね、
オッケーだってことなら、
ガジガジに噛み砕いちゃいますからね。
すごいですよ、あのアゴのちからね、歯の強さね。

とってもちっちゃい犬だったら、
多少はちからも弱いんでしょうけれどね、
うちの犬だって、あたしの手のひらくらいだったら、
ガジガジ砕いちゃいますよ、やる気になったらね。

でも、やらないんですよ。
たまに、ボール投げのときなんかで
ひょいっとした弾みで、犬の歯がね
あたしの手を噛みかけちゃうことがあるんですよ。
いままでで、3回ほどあったですかねー‥‥。
そうときは、犬のほうがびっくりしちゃうんですね。
「これは、なに?!」って、噛まれた手を見せると、
頭を低くしてどこかに隠れようとしちゃうんですよ。
へたすると、半日くらい、犬小屋に入ってて
出てこないようにしてますね。
ま、事故みたいなもので、歯が強く当たった程度でも
こっちは痛いんですけど、ね。
噛ませちゃった人間のほうも、
ちょっと知恵が足りなかったかな、と、
軽く反省したりもするものなんですよ。

噛むってことは、
犬と人間との、長い長い付き合いの歴史のなかで、
犬の側が犯してはいけない大きなタブーなんですね。
つまりは、その、「噛む」という実力は、
発揮しないことになっているんでしょうねぇ。

ちからを最大限に発揮する、ということが、
犬と人間との間では、ないんですよね。
いざ戦ったらどっちが強いか、なんてことを、
ほんとうに試していたら、
どちらも「なかま」や「ともだち」じゃ
なくなっちゃいますもんね。
脳の大きさの小さいほうの犬の側から、
知的なはずの人間に向けてね、
先に「武装放棄」をしているってわけですよね。
それをいいことに、
りこうなはずの人間が、ぶったり蹴ったり、
暴力をふるうようなことをしちゃぁいけない。
当然のことですよねぇ。

これで、ま、犬というのはえらいもんだ、と、
そういうことでまとめてもいいんですけどね。
もうちょっとあるんですよ。

この、犬が人間との関係のなかでね、
「噛む」という実力を
自分で発揮しないようにしている、
ということがですね、
他のさまざまな関係でも、言えるんだと思うんですよ。

例えば、ですよ。
男と女の、夫婦とか恋人どうしとかの関係。
一方的に、ま、叩きゃしないにしても、
片方が格段にちからを行使している場合がございましょ?
「このダメ男が!」だのね、
「バカ女め!ぐず」みたいなセリフが、
ドラマなんかじゃ、出てくるじゃないですか。
みなさまの周囲にはね、ないとは思うんですけどね。
そういうのって、言われた側がね、
あるいは、暴力をふるわれた側が、
「武装解除」しているから、セーフなんですよねぇ。
だって、人間だって、
ほんとうに本気になって相手をやっつけようと思ったら、
寝込みを襲ったっていいわけだし、
刃物だの銃器だのという物騒なものだってあるし、
薬だって、手に入れようと思えば入れられるんですよ。
犬の歯と同じものを、いじめられてる側の人間だって、
ほんとうは隠し持ってるとも言えるわけですからね。

先輩と後輩だって、そうでしょう。
どんなに暴力に自信のある先輩だって、
ほんとうに何でもアリの戦いになったら、
ころっといのちさえ失っちゃうってことが、
ニュースの番組とか見てたらわかりますもんね。

あと‥‥親と子どもね。
「誰のおかげで食っているんだ?」って、
わりとよくありそうなセリフですけどね、
親のおかげで食ってるに決まってるんですから。
子どもが自活してるなんてことがあったら、
かえっておかしいんですからね。
生活をどうこうできる自由は、親にしかないですから。
そのうえで、さらに、暴力を振るったり、
脅かしたりしている親がいたら、
『犬の十戒』の7番目を思い出してほしいですよね。

せっぱつまったら、「武装解除」は解除されますから。
ほんとうに、もうやってられないとなったら、
犬だって命がけで人間を噛むと思いますよ。
弱い人間だって、きっと、ね。

ほんとうに実力と実力がぶつかりあうような関係、
とか、
全力を発揮できる会社とか、
どんなことをしてでも勝つための組織とか、
なんだか簡単に言いすぎてるんじゃないですかね?
そんな社会あったら、毎日寝首かかれたりね、
毒盛られたりしてますよ。
肉食の化け物の社会じゃないんですからね。
ある生ぬるさのなかにいて、
そこで、共感しあったり笑ったりがあってね、
やっとリラックスして、
いいことおもしろいことも、やれるんですよ。

いまね、ほら、サッカー負けちゃってね、
国家の威信を賭けてとか、
ある種命を懸けるような、とか、
言いたい放題言ってる人がいますけどね。
そんな「撃ちてし止まん」だの、
「一億火の玉だ」だのみたいなことで、
うまくいった歴史なんて、ないでしょうが?
あたしがサッカー選手だったら、怒りますよ。
「おれたちは弱いんだ、このやろう!」ってね。

よくね、あたしは思うんですよ。
信号待ちをしてる列のなかに自分がいましてね、
そこにいる全部の人が、それぞれ
なにかを考えてるんですよね。
それぞれの弱々しい人間たちが、それぞれに、
犬の歯を持っているんですよね。

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2006-06-26-MON

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