ITOI
ダーリンコラム

<こだわりは、ゴメン>

嫌いだ、と強くいうのもおかしいので、
自分からはできるだけ言わないようにしているのが、
「こだわり」ということばだ。
応援してくれるような意味で、
「さすがに、こだわってますねぇ」などと言われたとき、
とっさに、「いや、そんなことないです!」とか、
つい言ってしまうこともある。
相手の方は、「だからいい」んですよねと、
好意でこのことばを使ってくださってるので、
わざわざ否定するのも失礼だと思うのだけれど、
ああそのほめられ方はアブナイ、という気がするので、
やっぱり否定しておきたくなる。

「こだわり」を持つんじゃない、とか、
「こだわり」すぎなんだよ、とか、
そういうわるいこととして使われていたことばが、
いつのまにか、逆にほめことばになってしまった。

おなじように、
「頑固(がんこ)」ということばもそうだ。
頑迷だとか強情だとか因業だとかの意味が強かったのに、
知らないうちに「オヤジも、頑固だなぁ」などと、
ある種の尊敬をこめて使われることばになっていた。

これらのイメージが肯定される理由も、
わからないわけじゃない。
「こだわり」にしても「がんこ」にしても、
「相手側に立ったときに、見えやすい」
という利点がある。
笑っちゃうくらい極端な例でいうと、
「俺は、じゃんけんは、グーしかださないんだ。
これだけはこだわってるんだ」という、そんな
がんこな人がいたら、相手はつきあいやすいだろう。

逆に、なにをするかわからないというイメージは、
「相手側に立ったときに、見えにくい」から、
なんとなく気持ち悪がられる。
男らしいのか女らしいのかわからない人だとか、
モラル的なのかアンモラル的なのかわからない人とか、
明るいか暗いかわからない人だとか、
とにかく、「どっちなんだ?!」と聞かれやすい人。
ぼく自身は、たぶんそういう人間だと思う。

先日の『はじめての中沢新一。』というイベントで、
冒頭の吉本隆明さんが中沢新一という人のことを、
「融通無碍ということなんだと思います」
と評していたけれど、膝を打つ思いだった。
そこにいたタモリさんも、そういうタイプだ。
イグアナのものまねで、評判とった人だものな。

ぬるり、ひょろり、ひょい、ふわり、するり、
そういう液体的、気体的な表現をされるような
あり方や行動が、ぼくは好きだ。

「こだわり」は、がちがち、こちこち、かな?
いずれにしても、ぬるり、ひょろり、
ひょい、ふわり、するり、なんて感じとは
ちがい過ぎるほどちがう。

「動きながら、存在する」ということが、
たぶん、
この「ぬらり派?」のコンセプトだと思うのだが、
これ、「こだわり」状態になったら死んでしまうのだ。

「こだわってますねぇ」だの、
「いい意味でがんこですね」などとおだてられて、
わかりやすくて固まった存在になったら、
それこそわかりやすい「支持」は受けるかもしれないが、
あとは死ぬだけになってしまう。

これからも、ぼくは「こだわり」だとか
「がんこ」というような「称賛」をいただいた時には、
失礼を省みずに、「そんなことはないです、ぬらり」と
否定しつつ身を翻すと思いますが、
どうぞ、これこそがぼくの生きている証なので、
寛容にお許しください。

おまけ的に言うと、ぼくは、
他人ががんこであったり、
なにかにこだわっていたりするのは、
そんなに嫌がってないんですよ。
だって、そういう人たちとか、そういうことって、
ほんとうにイヤだと思ったら、
近づかなきゃいいんだから。
‥‥あ、でも、「がんこ」とか「こだわり」を、
芸風にして商売してるのは、手に負えないかもしれない。

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2005-12-12-MON

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