ITOI
ダーリンコラム

<竹下佳江は、あきらめ方を知らない?>

これを読んでいる「あなた」の身長が、
どのくらいの高さなのかは知らないけれど、
おそらく、180センチ以上という人は、
あんまりいないだろうと思う。
特に女性だったら、すっごく背が高いと言われる人でも、
175センチくらいのものだと想像する。

ぼく自身の背丈は、最盛期で175センチで、
いまは縮んでしまったらしく174センチで、
どういうことか先日の測定では173センチに下がっていた。
なんだか、さみしい気持ちになった。
いや、そんなことはどうでもいいことだ。

だいたいの人が、目の前に190センチの人が現れたら、
「わぁ、でかい」「ある意味、無限にでかい」と、
思ってしまうに相違ない。
190センチの人というのは、とんでもなくでかい。

190センチの人を、ぼくは個人的に一度だけ
「あんまり大きくないな」と思ったことがあった。
それは、234センチとかいう身長の、
バスケットボール選手(当時)岡山恭崇さんの
隣りにいた2人の選手たちを見たときだ。
いや、そんなこともどうでもいいことだった。

身長173〜175センチのぼくにとっても、
とにかく190センチの人は、とんでもなく大きく感じる。
なんというか、人間として負けちゃう‥‥
とまでは言いたくないのだけれど、
恐れ入っちゃう気持ちになっても自然なことだ。

さてさて、ここまでは、マクラだ。
映画『スターウオーズ』の最初の、文字が流れている場面。
あれで、あの映画全体のスケール感(モノサシ)を
提示しているということなのだろうけれど、
ぼくの今回の話も、おなじ構造になっている。
以上、だらだらと書いたけれど、早い話が、
「ふつうの背丈の人が、とてもでかい人を見ると、
 ちょっと臆してしまうよね」というようなことだ。

さぁ、もうほとんど言うことはない。
159センチの人が、190センチの人を見たら、
どんな気持ちになるか、ということだけだ。

バレーボールの全日本女子メンバーの
竹下佳江さん、159センチだよ!
世界最小のセッターって‥‥。
これが、190センチの人たちと同じコートで、
時には得点につながるサーブを打ったり、
状況によってはブロックもしてるんだよ。

バレーボールには、セッターという役割があって、
そのセッターの選手は、たしかに
背丈の大きくない人もけっこういたし、
小さくてもできる役割ということなのかもしれないが、
それにしてもすごいなぁと、感動してしまう。
いまは解説席にいる
天才セッターと言われた中田久美さんが、
テレビの画面では小柄に見えたものだけれど、
177センチだったと知ったら、
竹下佳江さんの159センチという数字が、
なにか魔法のタネのようにさえ思えてくる。

190センチだの、187センチだのの人たちのことが、
彼女にはどんなふうに見えているんだろう。
おそらく、毎日、竹下選手は
上ばかり見て生活しているんだろうと思うのだけれど、
その上ばかり見ているという視線が、
彼女に、精神的な何か影響をあたえているのだろうか。
自分のあまりに人並みな背丈に、
「このままでは世界的な選手になれない」と、
思ったことはなかっただろうか。
とにかく、これまで、どうしてあきらめなかったのか?
試合を見ていても、いろんなことが知りたくなる。

監督はじめ、スタッフも、選手たちも、
プロモーションをするテレビ局も、観客も、先輩方も、
それぞれに、女子バレーボールの盛り上がりに
貢献していると思うのだけれど、
ぼくは、その盛り上がりの中心に、
竹下佳江というセッターがいるように見える。

ぼくは、バレーというスポーツには詳しくないのだけれど、
こんなに(同時に放送されている巨人戦よりも)
おもしろがって観ていられるということは、
このところのフジテレビが編成している
女子バレーボールというコンテンツは、
物語として「何か他にないおもしろさ」があるのだろう。
前回おもしろがらせてくれた、
カナ・メグの若さが世界に挑戦という物語も
わくわくさせてくれたけれど、
今回の物語の軸は、
チビの竹下を主役とする
「やればできる」の物語のように思える。
(人気の『電車男』も『ドラゴン桜』も、
 同じようなコンセプトが根っこにある)
それは、コトバを換えれば、
「あきらめ方を知らない人たちの物語」とも言える。
159センチの主将、竹下佳江は、その象徴だ。

次の、仙台で開かれる決勝ラウンド、
観に行けたらいいなぁ、
という気持ちにさえなっています。

このページへの感想などは、メールの表題に、
「ダーリンコラムを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-07-11-MON

BACK
戻る