ITOI
ダーリンコラム

<「ほぼ日」の7周年とバリ合宿>

「ほぼ日」が創刊された1998年には、
ぼく自身ももちろんまだふつうの電話線で
インターネットにつないでいました。
ぴーよびぃ〜 ごろごろごろぴー‥‥というような
なんだか怪しい音がして、画面の一部分が見えてくる。
そんな時代でした。

「ほぼ日」は、アクセスして読むのに
手間や時間がかからないように、という理由や、
写真などの画像を載せるのは手間がタイヘンだ、
というような理由などもあって、
「テキスト中心の軽いサイト」としてはじまりました。

そのころの話は、
文庫本になった『ほぼ日刊イトイ新聞の本』
読んでくださった人にはおなじみかもしれませんが、
いつ消えてしまってもおかしくないくらいのサイトで、
信用もなかったでしょうし、実績もなかった。

「3年もったら、何かが変わる」だとか、
「アクセスが毎日3万人になるまではガマンだ」とか、
ぼくは自分や乗組員に、
そういう予言めいたことを言って、
その日その日のたよりなさを、紛らわせていました。
結果論的に聞えるかもしれませんが、
「3年」とか「3万アクセス」とかについては、
実は、あたりまえのことだと確信していました。
いやいや、直感とかでもありません。
簡単な理由です。

そうなるまでやめなければ、
必ず実現するわけですから。

ただ、「そうなるまでやめない」ということが、
できるかどうか、のほうについては、
自信を持ちにくかったというわけです。
お手本にするサイトもなかったし、
ビジネスのことについてはそれまで食わず嫌いで、
いっさい勉強してこなかったのですから、
「つぶれる?」というようなことも、
いちおうは考えに入れておく必要もあったのです。
ただ、ま、現実には
「心配しているより、目の前のことをやる」
ということに忙しくて、実は
あんまり心配もしてなかったのでした。
そういう意味では、
「ほぼと言いつつ毎日更新」という無謀な決めごとが、
いい効果をあげてくれたのでした。

ただ、日々に追われてるというだけでは、
なんだかさみしすぎるじゃありませんか。
家もない雪は降る、なんて状況で、
「足踏みをしてれば暖まるよ」だけでは、
励みというものがなさすぎる。
何を励みすればいいのかなぁ、と、
そういう状況で、たまには
考えたり話し合ったりしていたのでした。

「ほぼ日」にアクセスすると、最初に
Only is not Lonely.
という「オリジナリティあふれる一行?」がでてきて、
その後、タイトル画面になります。
ほぼ日刊イトイ新聞
という文字の、すぐ下に、

日本語を読める世界のみなさん、はじめまして!
1998年6月6日午前0時(バリ島時間)、
このホームページは放送開始しました。

と記されているのはごぞんじでしたか?
この(バリ島時間)というのは、実際はウソで、
たしか深夜の0時をとっくに過ぎて、
日本時間の朝になったころに
第1回の「ほぼ日」は送信されたのですが、
「ほぼ」だとか「バリ島」だとかいう
のほほんとした単語があれば、
「ま、いんじゃないの」なんて、
おだやかに許してもらえるだろう、と。
そんな気持ちで、「ほぼ日」はスタートしたのです。

なぜここで、ボラボラ島でもなくオアフ島でもなく、
伊豆七島でもルバング島でもなくバリ島なのか、といえば、
ぼくがほんとうにバリが好きだった
というだけのことなのですが。

草創期の、どうなるものやら皆目わからない状態の
「ほぼ日」の人たちに向けて、ぼくは、
「いつか、バリに連れてってやるぞ」
と、目には見えないくらいの遠い距離にある
馬の前のニンジンとして、約束していたのでした。

バリが好きな理由は、数えればいっぱいあるのでしょうが、
ぼく個人にとってのバリの魅力というのは、
滞在するホテルの魅力がいちばんでした。
みんなでバリに行こう、といっても、
バリでさえあればどこに泊ってもいい
‥‥ということではないな、とも考えていました。
実際に、自分が「消費のクリエイティブ」なんてことを、
体感した場所というのは、
アマンリゾートのホテルチェーン以外にはない、と
勝手に思っていましたから。

サービスというものの考え方、
楽園というイメージの具体化、
きっとまたここに来よう、と思わせる何かが、
アマンのホテルにはあるのです。
(そういうことの一部分については、先日連載していた
 さくらももこさんとの対談でもしゃべっていましたし、
 また、このダーリンコラムでも書いたことがあります)。
みんなでバリに行くんだったら、
バリという場所に行くだけじゃなくて、
ぼくをすっかりバリのとりこにさせてしまった
あのアマンに行くべきだ、と思っていました。
そこで、アマンのサービスのクリエイティブを、
身体ぜんぶで感じながら、たのしみのなかに、
自分たちのしたいこと、するべきことを見つける。
そういう合宿というか、研修というか、観光というか、
見学というか、経験の旅をしたいと考えていました。

で、そんなふうな、ある意味ぜいたくな計画だったので、
約束はずっと先延ばしにされてきたのでした。

そしてとうとう、今年です。
創刊七周年の節目に実現することになったのです。
毎度おなじみの「我が社、大暴挙!」のシリーズです。
アルバイトの青年も含めて
「ほぼ日」の乗組員27名全員が、
6月13日から18日まで、日本からいなくなります。
みんなしてバリに行きます。
宿泊は、アマンリゾートのホテルのはしごをする
という理想的なプランです。
この間、はじめて
「ほぼ」というジョーカーを使うことにして、
約1週間の休刊日をつくろうか、とも考えたのですが、
これまで「ほぼ日」は、
なんでもかんでも記事にしてきたのだし、
読者との糸をつなげたままで合宿に出る、というのも
やればできるからやりましょう、という意見もでたことで、
通常どおりとは言いませんが、
バリにいながら「ほぼ日」は出し続ける
ということにしました。
通じにくい電話線を使って、なんとかニュースを送ります。

幻の「3万アクセス」実現の日から、
ずいぶん時が過ぎてしまいました。
いつのまにか100万アクセスの毎日になって、
やっと約束が果たせたという感じです。
おそらく、乗組員のみんな、
相当にたっぷりとした刺激を受けて戻ってくるでしょう。
自分の過去の経験からも、それは断言できます。

今年の「ほぼ日」の誕生日は、
読者プレゼントとか、読者のための企画とかを
特別に用意しなかったのですが、
自分たちの明日のために、たっぷりとコストを支払います。
そのたのしい影響が、その後の「ほぼ日」に
きっと反映されるでしょうから、
どうぞ、あたたかくお見送りくださいませ。

すいません。なんかプレゼント用のお土産は持ってきます。

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2005-06-06-MON

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