ITOI
ダーリンコラム

<ほめの効用>

「ほぼ日」が主催した『春風亭昇太ひとり会』が終了して、
家に帰って夜中にこれを書きはじめた。

今日は、いろんなうれしいことがあったのだけれど、
外からのお客さまが、会場で案内係をしていた
「ほぼ日」の乗組員たちのことを、
にこやかで親切だったとか、気配りがあったとか
わざわざぼくのところに言いに来てくれたことが、
いちばんうれしかったかもしれない。

身内のことを、こんなふうに書くのは、
ひょっとするとマナー違反なのかもしれないけれど、
このところ「ほぼ日」の乗組員たちは、
連日ほんとうに忙しく働いていて、
徹夜があったり難しい課題があったりで、
そうとうに疲れていたはずなのだった。

せっかくの休日の日曜日に、朝から集合してのイベント。
途中で居眠りをしている者がいても、
おかしくないくらいの状況だったのだけれど、
失礼のないご案内ができたということは、
かなり自覚的にいいサービスをしようとしていたのだろう。
夜に、会場に行っていたというお客さまからも、
「ほぼ日」の人たちの対応がよかった、と、
お礼のメールが何通か届いていた。

こうなると、当日のイベントのお手伝いをいただいた
関係各社の方々への感謝の他に、
身内の諸君にも、よかったねーとお礼を言いたくなる。

日本の慣習としては、身内にあたる人たちのことは、
過剰なまでに低い評価をしてみせるものらしいし、
ぼくも、それは意識してそうしてきたはずなのだけれど、
もう、そういうことはやめようと考えはじめている。
思えばね、日本のマスメディアだって、
「よくやった北島選手!」とか、同じ国の、いわば身内を、
言葉のかぎりにほめているではないか。
よくやった「ほぼ日」の乗組員諸君、と言っても、
誰にも迷惑がかかるわけでもないと思う。

あえて言えばね、「ほぼ日」の誰かに、
不愉快なことをされたという人だって、
絶対にいないということはない、わけだ。
ぼく自身でも、外で人に迷惑をかけたりしている
という自覚はあるし、
「ほぼ日」の誰かさんが、
誰かを怒らせていることだってありうるだろう。
だから、そっちの怒っているどなたかが読んだら、
「ほぼ日」の諸君、エラかったね、なんて文は、
「なんて図々しいウソをついているんだ!」
ということになるかもしれない。

つまり、その、たとえは悪いけれど、
人命救助で表彰された犬がいたとしてさ、
そのニュースを読んだ人が、
「あ、この犬はうちの玄関の前に糞をする犬だコノヤロー」
と怒っているということだってあるというわけだ。
いつも糞をしやがるかもしれないけれど、
その犬が人命を救助したということはほめてもいいよね。
‥‥って、たとえが犬になっちゃったけど、
ま、そういうようなことで。

ほめるのに、機会を失っちゃいけないんじゃないかと、
そんなことを思ったのだ。

こういうことをほめたいけれど、
こう思われるかもしれないからやめておこう、なんて、
考えていたら、人のことをほめることなんて、
できなくなっちゃう。
反対意見は、かならずあるものなのだ。
そっち側を意識して、ほめる機会を失わないようにしよう。

ほめられるということが、どれだけ人を成長させるか、
誰でも、ほんとうはわかっている。
自分が、ほめられたときから何かが変わったという経験を、
たいていの人がしているはずだと思う。
豚もおだてりゃ木にのぼる、という言葉は、
冗談のネタによく使われるけれど、
いちど木にのぼれた豚は、
やっぱり自信をもって生きていけそうだ。

「ダメかもしれない、怒られるかもしれない、
批判されそうでコワイ」、なんて気持ちがあると、
どうしても身体やココロが硬くなって縮こまる。
そうすると、持っているパワーを十分に活かせなくなる。
欠点があるままでも、いいことはできるし、
悪人でも人の役に立つことはできるし、
まちがってばかりいる人間が、
たったひとり正解を出すことだってある。
そういうことは、ぜんぶ、やっぱりほめるべきことだ。

けなされたり、重箱の隅をつつかれたり、
「好きだからこそあえて言う」なんて、
あんまり親しくもない人から痛めつけられたり、
そんなことで力をつけるというケースは、
あることはあるのだとは思うけれど、
「いいこととはこういうことだ」
「高く評価されるのは、こういう点だ」
というふうに、ありうべき姿が明確になっていたほうが、
その方向に向かった進路をとりやすいものね。
「そっちに行くな」「それは、ちがう」ということは、
たくさん言われ続けても、
「じゃ、どっちに行けばいいんですか?」という答えが、
見つけにくいということなのではなかろうか。

実は、今日書いているような原理を、
ぼくは犬のしつけでおぼえたのだった。
「しかられること=いけないこと」を
いくつも教えるのではなく、
「ほめられること=いいこと」をハッキリ教えてやる。
そして、それができたらしっかりほめてやる。
そのほうが、
昔の「恐怖で支配する」タイプの犬の教育よりも、
ずっと効率もいいらしい。

このへんのところも、
犬と人間をいっしょにするな、と言われそうだけれど、
「あれもだめ、これもだめ」より、「それがいい」を
明確にするというのがほめることの意味だとすれば、
人間にだって通用する原理だと言えるだろう。

なんてことを、「ほぼ日」の人たちをほめた後で、
ぐだぐだと書き連ねているということも、
これまた誤解されそうだけれど、
そこは身内ということで、許されたし、乗組員諸君。

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2004-09-13-MON

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