ITOI
ダーリンコラム

<6周年を前にして>

もうじき、2004年の6月6日がやってきます。
この日で、ほぼ日刊イトイ新聞は6周年を迎えます。
そこからは、「ほぼ日」7年目のシーズンになるんです。
そんな日が近づいていて、考えています。

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「いつもある」ということが大事なんだなぁと思う。
嵐のようにやってきて、喝采を浴びて去っていくことより、
「いつもある」存在になるほうが、むつかしい。

「いつもある」になるためには、時間がかかるのだ。
彗星のように現れて10連勝する投手もすごいけれど、
それ以上にすごいのは、100勝100敗する投手だ。
100敗しても、出場できるだけの理由を持ち続けていた、
そういうことを意味しているのだ。

情熱的な恋人として、燃えるような1週間を過ごすことも、
それはすばらしい夢の世界なのかもしれない。
だが、見合いで結婚して何十年も添い遂げる夫婦は、
とんでもなく大きな事業を完成させたようなものだ。
「いつもある」夫や、「いつもある」妻として、
薄くかもしれないけれど、相手に必要とされて生きること、
そういう人間になるのは、並大抵のことではない。

建立された時には、盛大な儀式もあったろう寺社などが、
10年も100年も1000年も、
ただただ「いつもある」状態をキープしてきて、
いまもあるのを見る。
何もしてなかったように思われるかもしれないけれど、
「いつもある」を続けてきたことの仕事量は、
よくよく見つめる者に、ため息をつかせることだろう。

そのうち無くなりそうなものを、
人々は応援したがらない。
近いうちに消えてしまいそうな店から、
人はモノを買わない。

「いつもある」を、ほんとうに自分はめざせるのか、
「ほぼ日」をスタートさせたときに不安はなかった。
逆に、「それしかできることはない」と思っていたので、
「いつもある」だけは続けられるという自信があった。

でも、まだまだほんとうの「いつもある」には遠い。
やっぱり、10年続けるまではね。

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2004-05-24-MON

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