ITOI
ダーリンコラム

<おかしくなっちゃってた?>

古くからのつきあいのテレビ関係者の人と会って、
いろんな話をしていたのだけれど、
そこで、あらためてこんなことを言われた。
「イトイさんが、インターネットをはじめたころって、
この人、おかしくなっちゃったのかと思いましたよ」。
それを聞いているぼくも、言っている人も、
両方が笑いながらの会話だったのだけれど、
いまさらのように、それを言われて
ほんとうによかったと思った。

ぼくが「ほぼ日」をスタートさせたのが、
1998年の6月6日だから、
彼が「イトイがどうかしちゃった?」と感じたのも、
5年か6年前のことだったろう。
正直に言うと、ぼくも、
たぶんあちこちで「あいつおかしくなったぞ」と
噂されているかもしれないなぁ、とは思っていた。
当時、うわさ話の好きな方々から、
落ち目だの、消えただのという陰口を叩かれてますよ、と、
報告もいただいてはおりましたけれど、
その陰口言われているエリアがどれくらいの広さなのか、
ぼくには想像もつかなかった。

想像もつかなかったというよりは、
そういったネガティブな評判について、
想像している余裕もなかった、というのがホンネだ。
そのころの日々や、そのころの気持ちについては、
『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社・刊)や、
過去の『ダーリンコラム』などで読めるのだけれど、
そのころの他人の気持ちについては、
どこでも読むことはできないわけだ。

だから、いまごろになってからでも、
「この人、おかしくなっちゃったのかと思いましたよ」
という当時の感想を聞いてよかったのだ。
そういうものなのだろうなぁと、ぼくはあらためて思った。
「おかしくなっちゃった」と
他人に思われるくらいのことでないと、
新しいことなんかできやしないのだと、
気づかせてもらえたのだ。
あのころは、いまよりもずっと「おかしかった」のだ。
だからできたことがある、ということだ。
そんなに「若々しかったのか」という、
ちょっと笑っちゃうようなことも思う。

「ほぼ日」は、あのころに比べて、変化はしている。
よい変化もたくさんあると思う、
よい変化をしようと思って、変化をしてきたのだもの。
しかし、「おかしくなっちゃった」と思われることも、
かなり減ってしまったはずだ。

ほんとうだったら、ぼくらにしてみたら
『智慧の実を食べよう』などのイベントは、
とても冒険的でどきどきするような企画なのだけれど、
周囲の人たちからしたら、
非常識で「おかしくなっちゃった」ようなものに
見えないということなのだろう。
なんとかなりそうに見えているのかもしれない。
『言いまつがい』やら『オトナ語の謎。』の
自前の出版なんかも、ひやひやしながら始めたけれど、
これも、なんだか「いい流れですね」なんて
評価されちゃったりしている。
ありがたいことでもあるんですけどねぇ‥‥。

今年も、もうじき6月6日がやってくる。
おかしくなっちゃったと思われた「ほぼ日」の
創刊6周年の日だ。
おちついてる場合じゃないよなぁ。
もっと大胆に新しいステップを踏んでいかなきゃなぁ。

ゴールデンウイークの連休に、ひとり部屋にひきこもって、
不気味にファイティングポーズをとっている
糸井重里でした。


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2004-05-03-MON

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