ITOI
ダーリンコラム

<簡単に言えない>

簡単に言うということは、ほんとうにむつかしい。
よく、「もっと簡単に言ってくれ」とか、
あちこちで言いあっているけれど、
簡単に言えるようなら、
みんなとっくに簡単に言っているはずだ。
辛い料理を食って「辛い」と言う、これは簡単だ。
しかし、そんな簡単なことはあんまりない。
簡単になんか、言えるものじゃないのだ。

だからこそ、どう言えばいいのか、
どんなふうに見ればいいのか、
どんな補助線を引けばいいのか、
どんなたとえをすればいいのか、
それぞれに、懸命に考えて試し続けているのだ。

簡単に言えない、ということは、
こどものうちには、なかなか理解できない。
「おとうさん、お酒をやめると約束して!」なんてことを、
平気で言えるのは、こどもだからだ。
ぼく自身も、酒のみの父親に、そういうことを言ったし、
それを言うことに、なんの恥じらいもなかった。
「約束する」ということばの重みを、こどもは知らない。
酒をなかなかやめられないという人間の弱さも、
こどもは知らない。

おとなたちは、自分が
はからずもつかざるを得なかったウソを憶えている。
だから、人はウソをつくものだということを
悲しみとともに知る。
そのウソが、人を傷つけるようなことになった場合には、
自分というものの恐ろしささえも知ることになる。
だからと言って、
その恐ろしさばかりを意識していたら、
自分も他人も、信用できないということになってしまって、
何も約束できなくなるし、何も決定できなくなる。

そういう意味では、いくらおとなになっても、
こども時代のように、
約束をしては破りつづけたり、
まちがったことを言っては痛い目にあったりしながら、
生きていくことを、覚悟しなくてはならない。
だからと言って、
なんでも簡単になんて、言えちゃいけない。

わたしは、あなたをしぬまであいします。
わたしは、ひとのものをぬすみません。
わたしは、ひとをころしません。
わたしは、うそをつきません。
こういうことを、10歳のこどもが言うとバカにされる。
おなじことを、100歳の老人が言うと
ひょっとしたらほんとうかもしれないと思われる。
でも、100歳の老人は、それまでにさんざん
逆のことをやってきたのかもしれない。

人は、何かを簡単に言っているときに、
いちばんウソをつきやすい。
人は、なにかをむつかしく言っているときに、
そのものごとから逃げていることが多い。

じゃ、どうすりゃいいんだって?
簡単には、言えないっつーの。

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2004-02-02-MON

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