ITOI
ダーリンコラム

<つまり、あなたを応援します>


自分でも、いつごろだったかはわからないけれど、
そう言ったことがあるんだけどね、
「がんばってください」と言われるのはイヤだって。

でも、これまたいつごろからか、
「がんばってください」は、オッケーなんじゃないかと、
思うようになった。

そんなに嫌がることはないし、
どういうところがイケナイんだろうと、
あらてめて考えると、
どうも嫌がる根拠があいまいなのだ。

うつ状態にある人に「がんばれ」というのは、
研究によると、かえってうつを悪化させるらしい。
らしい、というのは、
ぼくは研究しているわけでもないし、
自分が「がんばれ」と言われて
さらに落ち込んだことがあるわけじゃないからだ。
だから、そっちの方面にまで適用できない
ということを前提に話を進めることにする。

もともと、ぼく自身が、どうして
「がんばってください」と言われることを
一時的にでも嫌がったのかを考える。

1.みんなが、同じようにそう言うから。
2.何をどうがんばればいいのかわからないから。
3.もう十分にがんばっているつもりだから。

というようなことだったのではないだろうか。
特に、「みんなが同じように言う」ということが大きい。
なんだか、通り一遍なお愛想を言われているようで、
その言った人と自分とのコミュニケーションが
感じられないということだと思う。
ひねくれたとらえ方をすれば、
「そっちは軽くがんばってくださいとか言うけれど、
こっちは、そんな軽いもんじゃないんだ」
という気持ちなのだと思う。
「がんばってください」という人のことを、
無責任だと感じてしまうのだろう。
たぶん、自分が感じていたのは、
そういうことだったのではないかと考える。

では、いまはどうしてオッケーなのか。
これは、単純なことである。
「がんばってください」以外に、
どういう言葉をかければいいのか、わからないからだ。
たぶん、「この人がもっと活躍してくれますように」
という気持ちを、伝えたいのだが、
「もっと活躍しますように」と言うのも変だ。

自分が、誰かに「がんばってください」と
言いたいときのことを考えてみればもっとよくわかる。
他になんと言えばいいのだ。
がんばってほしいのだ。
がんばって、気分よくなってほしいのだ、その人に。
そして、よろこんでほしい、幸福になってほしい。
それを、自分も見たいのである。
つまりは応援しているのだ。
それを伝えたいのだ。
そんな心は「おう!」じゃないでしょ。
「わーい」でも「しっかりやれよ」でもない。
やっぱり、「がんばってください」になるのだ。

そう思うと、「がんばってください」はイヤだ、
というような考えは、まったくなくなる。
だれかに応援されているほうが、がんばれるもん。
「ほぼ日」には、
ONLY IS NOT LONELY
という言葉があるのだけれど、
どんなに強い人でも、ほんとうに孤独に戦うというのは
力を発揮しにくいものなのだ。
大きな恨みとか、復讐とか、人には言えない目的とかを
持っている場合は別なのかもしれないが、
やっぱり、自分の必死になってやっていることが、
みんなのよろこぶことなんだと知ると、
エネルギーが全面的に出し尽くせるんだと思う。
ほら、いまだったら、甲子園での阪神の応援が
どれだけ選手たちを活気づけているかという例があるから、
わかりやすいだろう。

よく、
「がんばってくださいとは言いませんが」というような
但し書きのついた応援メールをいただくのですが、
ぼくらに関しては、何も考えずに
「がんばってください」はウエルカムです。
どんどん、言ってください。
「がんばらなくていいのよ」と言われて
ラクになるほど追いつめられていないと思うので、
安心して、がんばってくださいと言ってください。
ぼくも、これからは、もっと遠慮せずに、
平気で「がんばってください」を使います。
何をどうがんばればいいのかについては、
知りませんが、がんばってください。
(つまり、あなたを応援します)

2003-07-28-MON

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