ITOI
ダーリンコラム

<自分という動物を飼う>

犬の散歩をしていて、
おもしろいなぁと思っていたことがある。
犬って、スノコ状のふたのある穴を、
安全だと認識していないらしいのだ。
ま、自分の足の大きさからしたら、
スノコのすきまに足がスポッと挟まってしまうという
危険も感じるのかもしれないけれど、
その前に、スノコをふただと思えないらしい。
よく、排水路を、ぴょんと跳び越していた。

思えば、スノコ状の、あるいは編み目状のものの上に、
乗っても安全だとぼくらが思うのは、
そういう知識があるからというだけだ。
もしかしたら、ぼくらも、
危なそうに見えて危なくないような
厚いガラスの上を歩くときなんかには、
ほんとうは犬のように嫌がっているのかもしれない。

見た目が不気味な食物に、料理としての名前が付いている。
好きか嫌いかは別にして、
ぼくらはそれを食べられものだということを知っていて、
それを食べている。
これも、知識のなせるワザだ。
ワサビや唐辛子のように、あきらかに辛いものを、
毒かもしれないと吐き出すこともなく、
そのまま食べ続けられるのも、知識があるおかげだ。

ジェットコースターで、いくら悲鳴をあげていても、
ほんとうに怖いと思ったら乗りこむ段階で、
拒否してしまうはずだ。
それをしないのも、知識があるからということになる。

しかし、思うのだけれど、
気味の悪いものが食べられなかったり、
怖そうだったり危険そうだったりするものから
遠ざかろうとしたりすることは、
人間がもともと動物でもあることを考えれば、
しごく当然のことである。

人間は、動物とは別の生き物であることを、
ただひたすらに強調しながら、
近代の歴史はつくられてきたように思う。
「けだもの!」というのは、れっきとした悪口だし、
「あいつは動物だからな」というような人物評も、
決していい意味で言われているわけじゃなさそうだ。
けだものの「け」は、たぶん「毛」のことで、
女性は、ほとんどすべての体毛を削除してしまって、
全身つるんとした状態で、生きることが普通になっている。
このごろは、男性も
徐々に「つるん化」が進んでいるらしい。

しかし、どうしたって、
人間だって動物の一種であることは隠せやしないわけで。
どこまで「毛」をなくして「けだもの」から離れても、
メシを食い、糞をたれ、番い、死ぬ。
ぼく自身の趣味としては、
「美人、屁もすりゃ糞もする」といったような、
暴露趣味は嫌いなのだけれど、
けだものであることを忘れた人間観は、
結局、自分のなかに潜んだ動物性からの反乱を
招くような気がしている。

どんなに人間ぶっていても、
人間はけだもの出身なのだ。
しかも、そのけだものであることが、
いまでもキープされているがゆえに、
人類は、存続しているわけだ。
これこそを、「健康」というのではなかろうか。

ぼくは、夜中に自宅の窓から、
新しくにょきにょき建ってきたビルを眺めながら、
いつも思う。
「高い階に住んでいる人たち、
 ほんとは怖いんじゃないか」と。
自分だって高いところが大好きで、
70階でも80階でも、高いところに住んでみたいとか、
口では言っているくせに、
「ほんとは、怖いんじゃないか」と、思ってしまうのだ。
たぶん、動物寄りのぼくが、そう言わせているのだろう。

前に、こんなことを思ったことがあったのだ。
高層ビルのすべての建材が「透明」にできるとしたら、
ビルの持ち主は、その珍しさを選ぶだろうか、と。
天井も、壁も、床も透明なビルなんて、
新奇さからしたら、すごい商品価値のある建築だと思う。
でも、おそらく、こういうビルは建てられないだろう。
それは、住んでいる人が「怖い」と思うにちがいないから。
実際、たとえ7階やら8階やらでも、
床が透明になっていたら、
怖くてとても住めるものじゃないだろうと思う。
そう感じるのが、動物としての人間だ。
透けていたら怖くてしょうがないから、
それを忘れさせるように、高層の建築はつくられている。

たぶん、落ちたら死ぬような高いところで暮すことは、
動物としての人間に対して、
無意識のストレスをかけていると、ぼくは思うのだ。
知識があるから、安全だと信じているけれど、
動物としてのぼくらは、いつでも
「怖いけれど大丈夫なんだよ」と、
自分自身に納得させながら、生きているのではないか。
なんか、そういうようなことが、
ぼくらのいまの暮らしには、とても多いように思う。

けだものである自分の思うままに生きる、
というのは、自由そうでいて、
かえって不自由を増やしてしまいそうなのでイヤだが、
人間である自分の思うままに、
動物としての自分を押さえつけるのも、
いいことじゃないよなぁなどと思う。

ま、こんなことを、
デジタル音源の音楽を聴きながら、
夜中の4時だの5時に、明かりを煌々とつけて、
10階の部屋で書いているというのが現実なんだけどさ。
もうしわけないねぇ、自分のなかの動物くんよ。
釣りか、温泉かに行きたいなぁ。

2003-06-02-MON

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