ITOI
ダーリンコラム

<みんな中学生だった>

ぼくは、仕事がらということもあって、
たくさんの人に会ってきた。
なかには、エライ人といわれる人もいたし、
有名な人という人もいたし、
コワイと思われている人もいたし、
ムツカシイ人という評判の人もいた。

どうして、そういうさまざまな人と、
対談をしたり、インタビューをしたり、
打ち合わせをしたりできたんでしょうねぇと、
質問されたことがある。

ああ、そういえば、そうだ。
誰それさんに会うから大変だぞ、とか、
あんまり考えることもなく、やってきた。
なにか「方法論」と言わないまでも、
コツみたいなものがあったのだろうか?

いまごろになって、それを考えてみて、
すぐに、こうじゃないかと思い当たることがあった。

女の人たちは、また別なんだけれど、
だいたいの男の人たちは、
若くても老いていても、ほとんど全員が、
「中学生」の顔を持っている。
それが、ちょっと見えるのだ。
中学生のときに、この人が学校のなかで
どんな生活をしていたか、どんなことを思っていたか、
彼の「中学生」の表情のなかに見えるような気がする。

もちろん、どんな人も中学生じゃないわけだよ、いまは。
その後にたくさんの経験をしたり、
いっぱい勉強をしたりしているわけだから、
ちらっと見える中学生の表情なんてものは、
ほんのちょっぴりしかないわけだ。

しかし、教養やら知識はどんどん蓄積しているだろけれど、
最初に「社会」に接したときの
自分なりの欲望みたいなものは、おそらく
あんまり変わらないんじゃないかと思うのだ。

で、どんな人も、中学の卒業写真のなかの
どこかにいるような気がするんだ。
強いとこ、弱いとこ、立派なとこ、ろくでもないとこ、
ぜんぶ含めて、
「ああ、こういうやついたっけなぁ」と、
中学の教室のどういうところで、どんな話をしていたかが、
見えるように思うんだよ。

だから、たぶん、誰に会っても、
妙な緊張とかしなくて済んでいるんだと、思ったのだ。

方法でも、コツでもないけれど、
なんとなく、ぼくには
その人の中学生時代が見える。
で、中学生なんてものは、
だいたい、たいしたこたないもんでさ。
いま現在のその人がどんなに立派な人でも、
その「たいしたことない」ものを核にして、
出来上がってる作品なんだという気がするんですよ。

人をなめているわけではないのだけれど、
十分に尊敬しつつ、男のなかに中学生を見ることって、
こりゃ、自分のクセみたいなものだからなぁ。
だいたい、そんなにやたらと立派な人なんて、
現実に存在していたら、おかしいでしょ。
でもね、ユーミン様の『卒業写真』なんて歌のなかに
登場している「あなた」なんて、
これは高校生かもしれないし大学生かもしれないけれど、
「いい中学生」の大きくなったやつだよねぇ。

<蛇足>
ここで終わるつもりだったのだけれど、
いま、タイピングのミスで、
『卒業写真』のことを、いったん「卒業社員」と
打ってしまったことを、ついでに報告しておきます。
オレのばか。

2003-03-10-MON

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