ITOI
ダーリンコラム

<勝っているときに、悪い芽が育っている>

また野球の話かい、と思わないでね。
入り口に野球があるだけだからさ。

藤田元司さんが、巨人の監督だったころに訊いた言葉。
「負けているときは、何をすればいいのかわかるから、
 まだいいんですよ。
 勝っているときのほうが怖いんです。
 勝っているときに、悪い芽が育っているんです」
これ、長年リーダーをやっている人なら、
あたりまえの言葉に聞こえるのかもしれないけれど、
単なるファンとして聞いたぼくには、
そうとうな驚きだったなぁ。
だから、たぶん、「ほぼ日」でも
何度か書いたような気がする。

それ以来、いろんなことに、
この言葉を当てはめて考えるくせがついてしまった。

この言葉を、いちばん普通にとらえると
「油断」や「慢心」がうまれて、
その間に切磋琢磨している他チームにつけこまれる、
というふうに考えられるのだけれど、
もっと広い意味で考えるべきなのかもしれない。

つまり、こういうことだ。
この場合で言うと、
「巨人にとっての悪い芽」というのは、
内部に育っているだけではない。
ライバルのほうに育っている「よい芽」が、
見えなくなるというのが、また怖いというわけだ。

負けている側、弱い立場にいる側が、
あきらめてくれたり、
負け犬になって遠吠えしているなら、少しも怖くない。
うるさいかな、というくらいのことだ。

そして、勝っている自分たちの土俵で、
同じような強さを目指している場合も怖くない。

しかし、ライバルのチームが、
まったくあきらめずに、
ぜんぜんちがう場所から芽を出しているという場合は、
根底からの大逆転がありうる。

ぼくは、日本のビールの歴史を
少し調べたことがあったのだけれど、
たとえば、これがとてもいい例になると思う。
かなりおおざっぱなのですが、こんな感じです。

日本のビールは、もともと、
料理店で、「外で飲むもの」として流通していた。
高級料亭みたいなところから、
ちょっとした飲み屋まであったのだろうけれど、
飲食店に取引のあるビール会社が、
まずは、「勝っている」状態だったらしい。

そのころは、Kビールは弱かった。
飲食店に自社のビールを入れる戦いには、
勝ち目がないということで、
「勝っている」会社がお目こぼししていた
酒屋(酒販店)に納入するということになった。
しかし、当時のビール消費は、
ほとんどが飲食店(料飲店)だったから、
酒屋での売り上げは、たいしたものにはならなかった。

ところが、時代がだんだん豊かになっていって、
ビールを飲むことが、
「手の出しやすいごちそう」になってきた。
徐々に、家で、晩酌としてビールを飲むという
いままでなかった景色が普通になってきた。
食事の前に、会社から帰ってきたお父さんに、
お母さんが、「ビール、つけましょうか?」などと
ちょっとよろこばせるセリフがよくあったわ。
小津安二郎の映画みたいな世界。
こうなると、
酒屋から各家庭に配達されるビールの量は、
一気に増えていくというわけだ。

かくして、酒屋の流通網を得意としていた
Kビールの売り上げはぐんぐん伸びていって、
とうとう「勝っている」はずだった他社を追い抜き、
日本のビール売り上げのシェア50%を超えてしまった。

酒屋(酒販店)という新しい土地に、
新しい芽が育っていたというわけだ。

その後は、まだいろんな読み方があるけれど、
ぼくの考えでは、
「酒屋から配達される」
あるいは、「酒屋で買って帰る」というのが、
新しい時代の人の生活になじまなくなっていった。
安売りのスーパーでのまとめ買い、
少量ずつを近くの自動販売機や
コンビニで買うという方向になっていくと、
「酒屋に強いビール会社」は、不利になっていく。
Aビールの躍進の理由には、
むろん商品そのものの改良もあるのだけれど、
酒屋の販売ルートに強くなかったせいで、
それ以外の販売チャンネルを
必死で開拓したということもあるだろうと思う。

時代の変化によって、
「勝っている」チームの基盤の「外側」に
新しい芽が育っていたということだ。
だから、「勝っている」側は、
自分たちの内側の「油断」や「慢心」の他に、
外側に起こっている変化に目を向けないとね、
ということは、やっぱり当たっているわけだ。

最近では、「外側」で育った芽を、
「勝っている」人たちが、
まるごと買ってしまうという方法が出てきて、
もっと話は複雑怪奇になってきているんだけれどね。

インターネット・バブルという時代には、
まだ痩せた開拓地だったインターネットという土地に、
じゃんじゃん種まきした芽が、
明日にも大木や森林になるというような幻想が
人々をとんでもない速度で突っ走らせた。

「芽はすぐには大木にはならない」という
ごく普通のこととか、
「農薬や肥料や、水を与えすぎると生命力が失われる」
という永田先生の言葉とかを知っていたら、
もうちょっとやりようはあったんだと思うけどねぇ。

つぶれるかつぶれないかのギリギリで、
ここまでやっと育ってきた「ほぼ日」としては、
おかげで強くなったとも言えるんだけれど、
何を考えるべきか、どこに目をやるのがいいのか、
守備を強化しながら探していきたいと、
ま、思っているわけです。

2003-02-24-MON

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