ITOI
ダーリンコラム

<国語のまちがい方教えます>

ぼくは、ことばの使い方についてあれこれ言うのは、
なるべくやめようとしている。
それでも、たまにおせっかいにも口が出てしまう。
「全然」は、「だめ」とか「よくない」とか否定的なことを
言うときに使うものだとか、ね。
こどもとか、スタッフに反射的に言ってしまって、
「しまった!」と思うことがある。

どうして、ことばの使い方について
うるさく言いたくないのかというと、
ひとつは、自分が「快適にまちがっている」国語を、
他人にだけ禁じるわけにはいかないという理由だ。
まちがいながら突っ走ることの快感は、ロックファンなら、
きっとわかってくれるだろう。立ち小便的快感、かな?
もうひとつは、よく指摘されやすい日本語の使い方
というものに「誰でもがよく指摘する定番」があって、
その定番を指摘することが、気恥ずかしいのだ。

その数例を知っていることが、たいしたこととは思えない。
たった一日で直せば直ることだと思うのだ。
まちがったことばの使い方に対しては、
おもしろがって笑ってやればいいのであって、
注意するような大事なことではないと、ぼくは思う。
時には「許せない」とさえ言う人がいるけれど、
そんな些細なことを許せないようじゃ、小物すぎないか。
けつの穴の大きさがばれちゃうよ。

「ら抜き」も「語尾のばし」も、やればいいじゃん。
「どこいらへんの、「らへん」部分だけを活用して、
「渋谷らへん」ということばを聞いたときなんか、
おっもしろいなぁ、と、おおよろこびしたよ。
どんどんルールを減らして、快適にまちがいながら、
もっといっぱい「じぶんのことば」を語り合おうよ。
決まり文句や、借り物のことばをペーストするんじゃなく、
自分が感じたことを、自分のことばでしゃべろうぜ。

そうやって、「じぶんのことば」をしゃべっているうちに、
相手を傷つけるのは、どういう時だったかとか、
人がよろこぶことばって、こんな時だったなぁとか、
自分のことばを聞いてもらえるようにするための
「じぶんのルール」が洗練されていくのだろうし、
沈黙の深く重い意味をくみとることも
できるようになっていくのだろうと思う。

借り物のことばを使うときには、
「これは借り物」と、意識していればいいのだろうし、
まちがっているのをわかっていながら使うことばにも、
かっこいいまちがいと、かっこわるいまちがいがある。
借り物と気づけなかったり、
借り物であることを忘れて得意になっているのは、
ちょーかっこわるい。

本当に始末におえないのは、
「借り物だらけの正しい日本語」にしばられていて、
それを自由な民に押しつける人々のほうなんじゃないか。

電子メールがおもしろいのは、
うるさい人の監督なしで、ことばを「書ける」ってことを、
いままで書かなかった人々が知ってしまって、
「じぶんなりの書き方」で、
書くコミュニケーションをたのしんでいるからだ。

幼児どうしが、たのしそうにおしゃべりしているのを、
うらやましく思えなくなったら、だーめだよねー。


1999-12-06-MON

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