ITOI
ダーリンコラム

<ラーメンの話だけど、ちょっと長いよー。>

このところラーメンづいてますね、と言われる。
そういえばそうだ。
ラーメンはもともと好きだったけれど、
自分にとってのうまい店ベスト3みたいな番付があって、
それは一生変わらないだろうと考えていたのだった。
しかし、それは、次々に参入してくる
ベンチャー・ラーメン屋によって、書き換えられていった。
ぼくの知らない新しい味覚を刺激する新興ラーメンが、
ラーメン好きたちの食べ歩き地図を変えていった。
その変化を、参考書程度には読んでいたけれど、
進んで新しい道に踏み込もうという気にはならなかった。

しかし、そう言って古典のみを大事にしているのは、
ちょっとダメなんじゃないか、というふうに思いはじめた。
まずは、ぼくの考えていた「古典」が、
老いていったというか、動機を失っていったというか、
隆盛期の感動が維持できなくなってきていた。

ある店の主人は、老齢で、
朝のスープの仕込みだけをチェックして、
あとは休んでいるという。
それで、システム的にはなんにも問題はない。
むしろ、店の雰囲気を「恐怖と緊張」に演出していた
怖いおやじがいなくなったことで、
リラックスしてラーメンを食べられるようになった。
しかし、ここでこの店のラーメンの、
生きものとしての成長は、もう固定化されてしまった。
職人の姿勢としては、同じであり続けることは、
正しいことなのかもしれないけれど、
昔のままであることは、
「同じ」とは感じられないはずなのだ。

またある店の夫婦は離婚して、店がふたつに分かれた。
もともとあった場所で元奥さんがやっているほうは、
あいかわらず賑わってはいるが、
ぼくにしてみれば「似てもいない非なるもの」だ。
まったく別の場所でスタートした元ご主人のほうは、
このところまた復活したという噂を聞くけれど、
酔客や近いから寄るというような客の相手に、
力のふるいどころが見えなくなってしまったように思えた。
全盛期に比べて、きりっとしないラーメンになっていた。
店は、客といっしょに育っていくものだということが、
しみじみとわかる。

なんだか、古典落語のファンみたいな気持ちでいたわけだ。
だから、ラーメンへの情熱も、ゆるゆると失われていって、
「ラーメンは好きだよ」とは言うものの、
ひんぱんにチェックするようなことはしていなかったのだ。

だから、喜多方、佐野、博多、熊本、尾道、和歌山と、
お国自慢ラーメンが話題になっても、
いちおうチェックという以上には燃えなかったのである。

しかし、ラーメンの新しい波は、
ラーメン隠居したつもりのぼくのところにも、
否応なしに押し寄せてきた。
周囲の人々の話題に、ラーメンがひんぱんに登場するし、
試しに一度と食べてみたラーメンの味が、
いままでのぼくの番付では評価のしようのない、
「いまどきのうまさ」に変わっていることに気づいたのだ。

そして、「武蔵」との出会いであった。
この店は、新しい波を考えるためのあらゆる要素があった。
特に、ぼくが古典と考えていたほうのベクトルで、
最近の流行とは逆の道を志向しながら、
オリジナルなうまさを追求している主人のコンセプトには、
とても共鳴するものがあった。

「武蔵」には、青山と新宿の店があって、
どちらも同じ経営らしいのだが、
ぼくはまだ、青山しか知らないので、
新宿にいるらしいコンセプターの顔は知らない。

この店のラーメンを続けて食べにいっているぼくは、
ここのいくつかのアイディアや、方法について、
感じては考え、反芻するように考えを味わっていた。
ここのラーメンは、「うまけりゃ客はくる」といった
昔ながらのラーメン屋発想でもなく、
「ラーメンはビジネスになるから」と始めた
商社的発想でもない、
「お客(受け手)出身の送り手」の思想があるのだ。
自分がお客さんだったら、どう味わいどう感じるか、を、
毎日動きながら考え試行錯誤しているのが、
とてもよくわかるので、
ぼくは、その心に触れて感じいってしまうのだった。

小さな資本で、
いままでになかったものを、
考えるのはタダだからそのコストをたっぷり、
信頼と繁盛が両立するように、
いつでも次の最上を目指していく。

そういう姿勢は、ぼくのイメージする次世代の経営の方法
そのままなのではないかと思ったのである。
「起業家ラーメン」と呼んでしまったら、
ちょっとおいしくなさそうだけれど、
科学(システムやマニュアル)と、
信仰(情熱やまごころ)とが、
見事に溶け合って、「武蔵」という店を創っている。

まるで、この店の宣伝のために書いている文章の
ようだけれど、そういうんじゃないんだ。
ぼくの「未来観」を、いま、
現実的なかたちで見せてくれている
会ったこともない人に向けて、
ラブレターを書いているのさ。

この店がダメにになる可能性についても、
おそらく創業者はすでに研究しているのだとは思うが、
そのへんのことも含めて、
いつかインタビューしてみたいものだ。

1999-06-11-MON

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