ITOI
ダーリンコラム

<消費者と消費労働コスト>

ぼくの買い物は、速いぞ。
自慢じゃないけれど、とにかく速い。
と、これは、単なる個性であると思っていた。
ゆっくり買っても、じっくり検討しても、
後悔する時は後悔するのだし、
最良の選択をしたという満足を得るために、
あんまり時間を使っていたら、
もっとしたいことのために(ごろ寝とかだけどね)
使う時間がとれなくなってもったいない。
そう思っていた。
「こちとら、気が短けぇんでぇっ」というような、
江戸マッチョな気質も、あったかもしれない。
江戸っ子の美意識のデフォルメ型が、
東京文化圏の地方にはあるものだ。
ファッションでも、安価な真似ブランドのほうが
過剰に流行的でしょ。それと同じです。

そういうぼくが、時間がない時間がないと言いつつ、
土曜日に買い物に行った。
いつもは、だいたいの目的があって買い物に行くのだが、
この日には、仕事がらみの市場調査的な意味もあって、
いつもより時間もかかってしまった。

道の側から、店内をながめることも、
歩いている人々の服装や持ち物を見ることも、
ショップのなかでディスプレイされた商品を見ることも、
実は、かなり時間もかかるし、体力も使う。
アタマもココロも、心臓の鼓動が少しはやくなるくらいの
やや高めのテンションで動いている。
もし、これが仕事だったら、
ぼくにとっては、真剣な会議をしている時くらいの
労働をしているようなことだと思う。

しかし、もちろん、
真剣な会議がつらいけれど楽しいように、
一所懸命なショッピングも、楽しいのではあるヨ。

よく考えられた店に入ると、わくわくする。
自分のいままで知らなかった商品や、売り方が、
不断にプレゼンテーションしてくる。
「そんなに情報処理できませんよ」
と言いたいくらいに、忙しいことになる。
ただ、周囲にいるお客さんたちは、
このプレゼンテーションの嵐を、平然と受け流している。
見たことのないものには、それなりに驚き、
知っているものの小さな変化を楽しみ、
何も買わないで帰ることまでも選択肢に入れて、
店から店、売場から売場を回遊しているようなのだ。
『この客たちは、消費のプロフェッショナルだ!』
ぼくは、驚いてしまった。

ぼく自身は、情報商品というものの
「生産のプロフェッショナル」として生きてきている。
しかし、その「生産のプロ」であることに特化して
自己限定してしまうと、
「消費のアマチュア」どころか、
「消費のはぐれ者」になってしまうかもしれないのだ。
いっやぁ・・・努力しないと置いていかれるぞという、
受験校の先生に言われたようなセリフは、
不景気の社会でも胸に突き刺さるけれど、
「買い物客」にもそれが言えるのかと思った瞬間、
ああ、おれはさぼってたもんなぁ・・と、
肩を落としました。

「ほぼ日」を、「ほのぼの日」として読んでいる方には、
ちょっと面倒な記事になっているので、
いやなら読み飛ばしてくれてかまいませんが、
すっごく早い話が、
『時間と労力をたっぷりかけた消費行動は、
たいした仕事なのではないか』
ということです。

情報生産のプロであると自覚している人々も、
生産のスピードが加速度的にあがってくると、
「時間というコスト』を
削減せざるを得ない状態になっていく。
そうなのだ。いまさらのように言うけれど、
時間はコストなんだ。

そうなってくると、
現実の「給料」につながる仕事や、
経営に直接かかわるような仕事で、
時間を使い果たしてしまった人たちは、
消費のイニシアティブをとれなくなってしまう。
すると、どうなるか?
自分のほしい商品と、人がほしがる商品との間に、
「しあわせな一致」というものが失われてしまうのだ。

マーケティングをいくら精緻にやっても、
消費の現場の結果を
計数的にとらえなおしていくことしかできない。
そして、その「消費の現場」には、
時間コストをたっぷりかけられる、
従来の言い方をすれば「ひま人」「あそび人」しか、
いないのだ。
そしてさらに、消費に時間コストをたっぷりかけられる
「ひま人」「あそび人」も、
自分の生活を維持していくために、
生産の現場にほとんどの時間を使うようになったら、
買い物などの消費行動に時間コストをかけられなくなって、
「ひま人」失格になってしまうのだ。

現在の「売れ筋」とか「ヒット」というものが、
ある程度は納得できても、なんとなく
ほんとうに腑に落ちない感じがするのは、
どうも、そのあたりに原因があるという気がする。
まだ、仮説の素という程度のことなんですけどね。

だって、あーた、いままじめに働いていたら、
時間がいちばん「高い」でしょう?
インターネットが、もっと「実用化」してきたら、
時間の使い方に、もっと別の可能性がでてくるような気が、
しないような、するような‥‥。

最後まで読んでる人も、疲れたろうな。
わるかった、時間つかわせちゃって。

1999-10-04-MON

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