ITOI
ダーリンコラム

<ありがとう、から>


今回は、いつも以上に雑談でもするように、
のんべんだらりと書いていきます。

自分のこどもとメールのやりとりをしていて、
たまに、昔の自分の言ったことばを思い出させられて、
「へーえ」っと思う。

知り合いの芝居の切符をとってもらって、
娘がそこに出かけた後のメールだった。

『稽古場にいた若い女の人がチラシ配りをしていたので、
向こうはわかってなかったけれど、
名乗って、挨拶&お礼してみました』
その部分に、ぼくは、
「よいことじゃ」と書いた。

で、そのまた返信。

『ちっとは大人になったっしょ?あっしも。
そういうことは、大事やからね。
昔、パパが
“キミは、ガムをもらったときに、
いつもちゃんとお礼を言うね。それはいいことだ”
って言ったときから、無意識に意識して、でも無意識に』
と書いてあった。

そういえば、豆みたいに小さい頃から、
よく「ありがとう」と言うこどもだった。
それこそ、あめ一個、ガム一枚をポンと渡す時でも、
「ありがとう」と言っていたので、
きっと、それはいいねと、ほめたのだと思う。
「ありがとう」が、ぼくの耳によく聞こえていたのだろう。

それこそ、もう大人になっていく娘が、
ありがとう一発で世の中を渡っていけるとは
考えはしないけれど、
たった5文字のこの言葉を発することに
ケチにならないでいってほしい。

自分自身はどんなもんなんだろうと、
ここんとこ送信した693通のメールに、
「ありがとう」の検索をかけてみた。
154件のありがとうが見つかった。
2割2分2厘のありがとう率だったか。
693通のなかには、半分くらいの転送メールも
あるから、実際には5割くらいになるかもしれない。
閑だね、俺も。

しかし、こんなことを書きはじめると、
これからは意識しちゃいそうで、ちょっとまずいなぁ。
ま、気にしないで書き続けよう。

「ありがとう」とは、いったい何なのか?
商売をしている人たちは、買い物のお客さんに
ほとんど必ず「ありがとうございました」と言う。
感謝の、礼のことばだ。
それに対して、お客のほとんどは、
「ありがとう」を言わないものだ。
言わないのがいいとか悪いとか考えているのではない。
なぜなのだろう、ということだ。

商売をしている売り手は、
モノなりサービスを提供している。
お客さんのほうは、それに対価としてお金を支払う。
どちらも、対等であるはずである。
しかし、売り手は感謝の言葉を付加し、
買い手は、それを当然のことのように受け取る。
その社会的システムの奥には、
「売り手がちょっと余計にトクをしている」というような
共通認識があるのだろうか。

ただ、食うことに関わるサービスの場合には、
案外そうでもなかったりする。
例えばぼくが「ごちそうさまでした」とお礼を言う確率は、
8割5分くらいになると思う。
言わないケースというのは、
とても「ごちそうさま」じゃない場合、
つまりおいしくなかったとか、
ここでお礼を言ったらウソをついたことになる時。
あるいは、ファーストフードなどの店で、
作り手がそこにいないような気がする場合などだ。
おお、ありがとうについての考え方のヒントが、
そのあたりにありそうだよ。

そうだ。わかってきたぞ。
ぼくらは、自動販売機にありがとうを言わない。
相手が人間であるということを前提に、
人間のつくったものやサービスに対して、
お礼を言ったりするのだ。

ファーストフードの店や、
感情を出さないようにして
「アリガトウゴザイマシタ」と呪文を唱えるコンビニで、
ぼくらがありがとうを言わないのは、
人間として関わらないでくださいと、
相手のほうが先にメッセージしているから
なのかもしれない。

世の中は、自動販売機と人間とが
ごちゃまぜになっている。

自動販売機になったほうが都合がいいという
仕事のやり方もあるのは確かだ。
例えば、税務署の督促状なんかを
詩人のことばで書いたりしたら、
督促するほうもされるほうも、どちらもつらくなるだろう。

ぼくの友だちの川崎さんなんかは、
「スターバックスってさー、
店に入ると『こんにちは』って言うんだよ。
あんなとこ行きたくないよ」と語っている。
これなんかは、マニュアル化した「こんにちは」に対しての
嫌悪感なのかもしれないのだが、
親しすぎない距離感を売る側のスタッフに
求めている人や場合も、多いと思う。
だから、人間が自動販売機になることも、
いけないと言いたいわけじゃ、もちろんない。

人間と自動販売機が混ざり合って存在する社会では、
買い手(客)のほうも、
この売り手は「人間なのか自動販売機なのか?」
ということを判断していかなければならなくなる。

「ほぼ日」永久紙ぶくろを買ってくれた人たちが、
買い物をした側なのに、
「無事到着しました。ありがとう」などと
お礼のメールをたくさんくれたことも、
ぼくらの売るシステムのなかに
人間を発見してくれたからだろう。

いっぽうで、時々ぼくが感情的に怒ったりしている、
読者からのメールは、自動販売機に宛てたものだと
考えれば(こっちは不愉快だけど)納得がいく。
質問という入力をすれば、答えという出力が
オートマチックに返ってくると
考えているらしい人もいるようだが、
人間の誰かが調べて返事を出さない限り、
出力はないのよねー。

「ありがとう」は、人と人との間だけを行ったり来たりする
ボールのような言葉である。

きっと、うちのこどもが小さいときに、
ぼくは、ガムを一枚あげるということを、
どっちでもいいこととして機械的にしていたのだろう。
それに対して、幼稚園くらいだった彼女が、
そのたびに「ありがとう」というボールを
投げ返してきたので、「それは、いいぞ」と
ぼくが言ったのだろうな。

ま、長くなったので、これくらいにしとこ。
ほな、また来週。

2000-05-15-MON

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