ITOI
ダーリンコラム

<まだ、言うかというような>

いろんな職業に専門の知識や
経験に裏打ちされた技術があったりするものだけれど、
それが、どういうもんでしょうねぇ、怪しいよー、
ってなことを書いたっけ。

カメラマンが写真の技術や技能を持っている。
なるほど、そうやったらそうなるのか、と感心する。
でも、そこにいい写真が出来上がっているとは、
限らないものだ。
編集者が「編集は専門ですからまかせてください」とか、
言いながら胸を叩いても、
「果たしてキミ自身が、そう言える編集者なのかな?」と、
思いたくなることもいっぱいあるだろう。
ぼく自身の広告屋という仕事にしても同じで、
へたなコピーライターに比べたら、
企業の優秀な営業マンや、経営者のほうが、
ずっと深い洞察力を持って市場を見ていることが多いし、
コピーだってうまいかもしれない。

インターネットに関係したことは、そういう、
専門家を自称する人の怪しさが、
最も露骨に見えているはずの世界だと思う。
去年の技能のままでは、今年は技能のうちに入らない。
プロだけしかできなかったことが、
あるソフトを買うだけで、
素人が簡単にできるようになってしまうことも多い。
自称専門家というポジションに居座って、
なんとかなると思っていられる時代じゃないのよ。

自分はプロだと言える根拠を、
現在のプロたち専門家たちは、どこに置けばいいのだろう。
おそらく、それは「サービス」と「クリエイティブ」だ。
ぼくはそう思っている。

「ほぼ日」が毎日更新していることを、
みんなが驚いてくれる。
ありがたいことだと思うけれど、
それがぼくらができる数少ない「サービス」なのだから、
当然といえば当然のことなのである。
開店したばかりの新米の定食屋なら、
「そうだ、休日に開けている店は少ないから、
土日も休まずに営業しよう」と思いつくだろう。
だって、味や値段や店構えに自信はないのだから、
他人のやらないサービスをするとしたら、
他の店以上に一所懸命にやることしかないのである。
ぼくらがやっているのは、それと同じことだと思う。

考えてみたら、「ほぼ日」が出発したときに、
インターネットに詳しい人が、
「なんでいまさら、そういうことを始めたわけ?」と、
不思議そうに言っていた。
「バナー広告の限界も見えたし、
有料化は難しいってことはあきらかになっている。
その時期に、なぜ、なんのために始めたのか」と、言う。
約2年前のことだった。

「繁盛すればするほど損をするなんてことは、
基本的にありえないはずだ」
ぼくが、漠然と考えていた『ビジネスプラン』は、
それだけだった。
人がたくさん集まって、楽しそうにしていて、
それが毎日のように続いていたら、
それは大きな、ごきげんな繁華街のようなものだ。
そこには、きっと自動販売機を置いたって、
仕事は成立するはずだろう?
バナーがどうの、有料化がどうのというのは、
やめるための理由にはなるけれど、
ぼくは、こういうことを「やりたい」と思って始めたのだ。
やりたくないことをやってビジネス的に成功しても、
意味がないと思っていたのだ。
それでは、いままでの道を歩き続けていたほうが
効率がいいということになる。

一所懸命やるためには、
自分がからっぽの「とるにたらないもの」だと
思っているほうが都合がいい。
一所懸命以外に取り柄なんかないのだと思っていれば、
なんとか一所懸命やっていけるものだ。
ああ、そういえば、
ぼくのビジネスの師匠が、言っていたっけ。
「○○さんは、どうしてケンカに負けないの?」
「背中に断崖絶壁があるからですよ」
これ、はじめて聞いた時にはしびれたよなぁ。
後ろに引いたら落ちちゃうんだって。
だから怖くても前に出るんだってさ。
すごいなぁと、心の弟子入りしちゃったよ、その時点で。
ぼくの「とるにたらないもの」だという認識も、
その影響を受けているかもしれない。

なにかできると思っているから、
一所懸命にやらなくなっちゃうんだよなぁ。
先日、松本人志さんに会った時、
あんまり懸命な目をしていたんで、感動しちゃったよ。
トップを走っている人たちは、
みんな「まだ、なんにもできてない」っていう渇きを、
みんな感じているようだ。
ハングリー(飢え)という言葉は
死語になったかもしれないけれど、
「サースティー(渇き)」と言いかえれば、
いまだって、通用するね。

「ほぼ日」は注目されていますよ、とか、
この頃、取材にくる人がみんな言ってくれる。
読者も、そんなことを言ってくれる。
もちろん、うれしいよー。
でも、自慢は戦略的にしかしないよ、俺は。
「たいしたもんでしょう?」と、
自分から言うときは、ぜんぶ「宣伝のため」さ。
そう言ったほうが、理解されやすい時には、
あえて自信たっぷりに言うわけだ。
でも、ほんとは、ぜんぜんダメ!
渇いて渇いてしょうがないよ。
一所懸命以外のところに、
少しずつ取り柄が芽を出していることは認めるけれど、
いくら芽を集めてもみんなを腹一杯にはできない。
中華料理の『蚊の目玉』じゃないんだからさ。

ほんとにまったく努力しかないなんて、
思っちゃいないけれど、
クリエイティブもサービスも、
「やらなきゃ、ない」って意味では、
やることが前提でしょう。
泥まみれのユニホームの選手が、
やっぱり、ぼくは好きさ。

なんだか、前々回の続きみたいなこと書いてるけど、
今回も、「ほぼ日」の秘密を明かしたつもりです。

2000-04-03-MON

BACK
戻る