ITOI
ダーリンコラム

<まだコトバにならないもの

オーストラリアに交換留学生として行っている
木村俊介くんという学生のともだちからメールがくる。
出発してから、まだせいぜいひと月くらいだが、
現地で知り合った友人たちとの交流のようすが、
興奮気味に報告されている。
もともと彼は『奇抜の人』(平凡社)という、
作家・埴谷雄高の周囲にいた人々に取材した著書を
学生のうちにだしたような人だから、
ものを書く修練はある程度以上に積んでいる。
だけど、いま彼から受け取るメールは、
単語の選び方さえちがえ、
ほとんど「ぼーっとした女子高生」のようなものなのだ。
どういうことがあって、どういうふうにたのしかった、
という事実がかざりっけもなしに書いてあるだけだ。
しかし、それがかえって、
いまの彼のいる状態や気持ちの揺れるようすを
よく伝えてくれている。
読んでいてうれしくなるものがあるのだ。
ぼくの返事も、何をどう書けばよいのかわからない。
こどもの話を聞く父親のように、
だまってうなづいていればそれでいいのだろうが、
メールはコトバを送るものなので、
無言で送信するわけにもいかない。

返事を、こんなふうに書いた。
『東京で、いままでの枠のなかにいては味わえないものを、
毎日のようにもりもり食っているいるようですね。
かわいい子には旅をさせろ、というけれど、
普通はまったくその逆になっているようで。
一般に、オトナというものは、
すぐに役立つ、すぐに身になることばかり考えついて、
若い人たちに学ばせようとします。
しかし、いまの木村くんの、
まだコトバにはなっていないけれど「驚き」のある経験は、
枠の外側が感じられて、
読んでいるほうも興奮させられます。
書いてある交流の他に、
なにかボディ全体が感じているものが、
たくさんあるんだろうなと思いました。

食い物でも、食った時には
「甘い」だの「やわらかい」だの、
味覚のセンサーで感じたことばかり伝えあいますが、
ボディのほうは、栄養として受け止めなおします。
そんな感じ』
書いているうちに、
途中まで書きかけていた自分の原稿の続きが、
急に書きたくなった。

このところ何度か紹介している、
ジャズシンガーの綾戸智絵さんのことだ。
9日の金曜日の夜、とうとうライブを体験した。
新宿DUGでの、40分の弾き語りソロだ。
金曜日というと、この「ほぼ日」の週末の準備に、
みんなが忙しい一日なのである。
40分のワンステージを聴いておいとましようと、
ぼくは考えていたのだけれど、
夜中の鼠穴でぼくの帰りを待っているスタッフのことなど、
どうでもよくなってしまった。
もうワンステージ残って聴いて、
帰りは11時を回ってしまった。
まいった。
すらすらとコトバにできる自分でないことを、
ぼくは「そのほうがいいよ」とほめてやりたい気分だった。
ぼくを誘ってくれたイソダさんにも、
どうですか? と聞かれもしなかったし、
ぼくも、ほとんど何も言わずに、
「じゃ、帰ります。ほんとにありがとうございました」
とだけ言って帰ってきたのだった。

綾戸智絵さんの
ポストカードです

この感想をどう書けば、
みんなに伝えられるのだろうかと、ぼくなりに、
ずうっと考えていたのだが、本当にいまだにわからない。
声という楽器のすばらしさについても語れよう。
その声という楽器をみごとに演奏する歌手のことを、
語るのもいいかもしれない。
歌ってものがあってよかった、と、
朴訥に書く方法もあるだろう。
どちらにしても、
綾戸智絵という人を、
ヒューマンドキュメンタリーの主役として描くのでなく、
音楽的に正しく批評するのでもなく(できないけどさ)、
なんとか自分のコトバで、伝えたかった。
かなり、それは難しいことなんだろうけれど、
綾戸智絵にまつわる事実を商品説明のように
書いていく方法でないところで、
ぼくは伝える必要があると思っていた。
これは、金曜の夜の経験のたのしさとは逆の
苦しい仕事にさえ思えた。

そこに、木村俊介くんのメールが来てくれたために、
ぼくはとても気持ちを楽にすることができた。

「伝わらなくてもいいや」と、いったん思ったのだ。
ていねいに言うなら、
「全部伝わることをあきらめる」ことで、
ぼくの気持ちが伝わることもあると、思い直したのだ。
だって、木村くんのメールの件名が、
「exciting!」なんだもんね。
それで、ぼくは、彼のいまの状態を想像して、
共感してしまったのだからね。

だから、ぼくは、
ぼくの詩の方法で書くことにした。
綾戸智絵さんの歌が書かせた詩のようなものを、
ここに掲載しますが、
詳しい情報は、彼女の公認ホームページで読んでください。
JAZZ SINGER CHIE AYADO
http://www.dmi.co.jp/chie/index.html


「たてに流れるおおきな川」

森には おおきな川がながれている
樹木のなかを 下から上へとながれる おおきな川だ
毛細血管のような根っこの先の先が
土のなかの 水を見つけだし
少しもらっていいかなと 土にたずねる

数えきれないほどたくさんの  
根っこの先の先たちは
それぞれに そのあたりの土と はなしをつけて
ほんの少しの水を もらう
根っこの先の先は あんまりたくさんなので
もらった水を ぜんぶあつめると 川になってしまうだ

下から上へ 土から空にむかって
どうどうどうと何本もの川がながれている
行き先の空に くもをつくったり
もういちど 雨になって もどってきたり
どうぶつや 虫を きりでつつんだり
いろんなことをしながら 川がながれている

森には おおきな川がながれている
樹木のなかを 下から上へとながれる おおきな川だ
ぼくらは その川で ずぶぬれになりながら
泳ぐことだってできる

川だ 川だ 川で
ぼくらは 森の川を見つけて 森の川で泳いで
ときどき 川になってしまった


ぼくは、綾戸智絵という人の、
いかにもジャーナリスティックにとりあげられそうな、
このボーカリストの半生やら性格やらについて
何も書かずに、「この人の歌を体験した自分」を、
伝えたかった。
今回のこの「ダーリンコラム」を読んだ人が、
聴いてみたいなと思わなかったとしたら、
ぼくの力の足りなさのせいだが、
ちょっと誰かが興奮しているくらいのことで、
人間がそんなに簡単に動いてもらっては困ると
いうような気も、あるにはある。
近いうちにNHK総合テレビでも観られるらしいので、
よろしかったら、観てみてくださいな。

4月23日 23:45〜24:30
「トップランナー」という番組です。

1999-04-19-MON

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