ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

わかりませんと言えなくて。

年齢でいえば、三十そこそこの時代だった。
いろいろ訊かれるんだよね、ごく自然にって感じで。
そりゃね、もう、いろいろだよ。
「女性のいちばん魅力を感じる部分はどこですか?」
なんてことも訊かれるし、
「この10年の映画ベストテンをあげてください」とか、
「若者の社会参加への無関心について」だとか、
「日本語の乱れは、どうなるんでしょう」だとか、
いろいろ訊かれるんだなぁ。

目の前に、
メモと鉛筆を持った大の大人が
まじめな顔して訊いているのに、
「それは答えられない」だとかね、
「わかりません」と言うことが、
どれほどむつかしいかわかるだろうか。
「ちょっと、わからないんだけど‥‥」などと
口ごもって見せても、
「では‥‥」と質問の形式を変えてきたりする。
ときには、挑発するように、
つまり、怒らせるようにして
答えを引きだそうとする人だっている。

で、ことばとしては成立するようなことが、
しゃべればしゃべれたりするものだから、
目の前の記者なり編集者なり司会者なりに向かって、
「ぼくが思うには‥‥」なんてことを、
ついしゃべっちゃうんだなぁ、
ほんとはわかってもいないことについてもね。

これをくりかえしていくと、
そんなつもりなかったのに「万能のじぶん」が育っていく。
そういうことは怖いんだよなぁ、と知っていても、
そういう「万能のじぶん」になっていくものだ。
気をつけて気をつけてはいたはずだけれど、
ぼくも、そういうものになりかけたし、
いまだって、安心していられないとは思っている。

「万能のじぶん」って、なんだかいいじゃない?
なにせ「万能」なんだもん。
でも、よくよく考えてみようよ、
「万能」なのは口だけだよ。

なんでも知っている。
つまり、知らないことを知らないのだから。
知ってることなんか、ほんのちょっぴりなんだ。
しかも、質問されることなんて、
かぎられたワクのなかのことばかりなんだ。
なんとか答えていくうちには、
どんどんじょうずになっていくさ。
でも、それは受験勉強みたいなもので、
みんながうすうす考えている「正解」に、
ちゃんと触れていればいいというだけなんだ。

もともと、そんなふうになるつもりなかったのにね。
サービス精神なのか、虚栄心なのか、
負けず嫌いがこうじたのか、
知ったかぶって「女の色気はねぇ‥‥」とかね。
「日本の政治家って‥‥」とかね、
「あの国は、結局上層部の官僚が‥‥」とかね、
どっかで聞いたようなことを言っちゃったんだよね。
そこから、すべてのまちがいがはじまるのにねぇ。
目の前の編集者だって、
本気で訊きたかったのかどうかなんて、
わかりゃしない。
仕事だから、それらしいことを訊いて、
雑誌のかっこがつけばそれでいいだけかもしれないのに、
ついには、「この国は、狂ってる」とかね、
声高に言いだしちゃうんだ。

「わかりません」とわかるのが、
どれだけむつかしいことなのか。
「わかりません」と答えるまでに、
どれだけの知ったかぶりをせねばならないのか。
たまに、「わかりません」と言えるようになっても、
まだ、わかったような気になってる
‥‥じぶんに出合う。

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