ITOI
ダーリンコラム

<たのしみというもの。>

やぁ、息子。
ひさしぶりだな。
ひさしぶりか?
そうでもないか、まぁいいや。

甘いもの好きなおじいさんが、
年をとってからもますます甘いもの好きになってさ、
やがてお亡くなりになったんだ、と。
んでね、葬式も終わって、
遺品の整理をはじめたわけだ、遺族がね。
そうしたら、隠し財産も、あやしい彼女も、
なんにも出てこなかったけれど、
タンスの引き出しの奥から、
月餅やら落雁やら、干からびた饅頭やら大福やら、
甘いもんがいっぱい出てきたっていうんだよ。
「これが、なによりのたのしみだったんだね」って、
みんなが言ったよ。

他の人から見たら、なにがたのしみなんだか、
よくわからないのかもしれないんだけど、
このおじいさんにしてみれば、
甘いものを食べたり、
また食べようと思ってしまい込んだりするのが、
いちばんうれしいことだったんだろうね。

好きなんだよ、この話。

似たようなおじいさんは、いくらでもいると思うよ。
老人になると、たのしみがしぼられてくるのかな。
いろいろいろいろ何でもできるような気があると、
たのしみもとっ散らかっちゃうからね。
それが、年取るとさ、
つっこめるお金もだいたい限られてるし、
たまにしかできないことじゃたのしめないし、
時間だけはたっぷりあるし‥‥ってことで、
おれにとって、何がたのしみなのかが、
わかってくるんだろうなぁ。

ま、饅頭が、エロ本でもかまわないしね。
ちょっと若い女のこの手を握るとかさ、
そういうしょうがないたのしみも、あるだろうね。
碁会所だとか、将棋だとかもあるし、
俳句や短歌というのもたのしみとしてあるよな。
水彩画、踊り、釣り、地酒がどうとか、
親しいともだちと昔話するとか、散歩、ハイキング、
インターネットだって十分にたのしみになるよなぁ。
バンドやってる人や、山に登ってる人、
激しいスポーツをたのしみにしてる人だっている。

わかるだろう、息子よ。
聞いてるか、聞いてなくても話すけどな。

どんなに平凡に見えても、つまらなそうでも、
やってる本人が、
誰が何といおうがたのしみだ、というもので、
実際にたのしく続けられているものは、
みんなたのしみとしてすばらしいものなんだ。
エロ本みたいなしょうもないものでもだよ。
そして、人間ってものの、
ほんとのところって、
たのしみを中心にして生きたいんだろうな。
そんな気がするんだよ。

しかし、若い息子よ。

だけど、だ。

いわゆる「勤労年齢」にある間は、
たのしみを中心にして生きてますなんて、
言えないムードがあるだろう。
マンガの世界では「釣りバカ日誌」のハマちゃんとかが、
人気があるのは、読者のこころのなかに
ハマちゃんみたいに生きてみたいって気持ちが
あるからなんだろうな。
いや、ハマちゃんみたいにわかりやすい例じゃないけど、
小説でも映画でも、舞台でも、
登場人物たちが何をのたのしみにしているか、
それを描くのはとても重要なことだよ。

つまりさ、たのしみを持たない人を描くと、
役割とか機能だけの、
豊かさのないものになっちゃうからだ。
ドラマのなかで「好いた惚れた」が描かれるのも、
誰が好きだの、どんなふうに好きだのってことが、
その人物のいちばんその人らしい面が出るからだよね。
これは、たのしみと同じこころの問題なんだ。

で、聞くんだけど。
「たのしみは、あるかい?」
どうだろう?

タンスの奥の饅頭でもいいし、エロ本でもいいんだ。
ラーメンの食べ比べでもいいし、草野球でもいい。
ゴルフ、読書、料理、映画、ふつうのものでもいいよな。
恋人に会うことなんかもアリだよ。
たのしみだなぁと思うものがあって、
誰にも言わなくてもほめられなくても、
それを中心に生活がまわってるようなこと、ある?
「ある!」って言い切ると、
仕事してないように思われるかもしれないので、
他人には黙ってていいと思うんだよ。
だけど、絶対に、
たのしみはあったほうがいいし、
たのしみがない、なんてのはいけないよな。
そう思うんだ。
ちょっと言いにくいかもしれないけどさ、
それぞれの大の大人が、
「タンスの奥の饅頭」みたいなものを、
持っていなきゃつまんないだろ。

息子よ。
あ、寝てたのか‥‥。
そうか、よく寝るなぁ。

 

本文は、これでおしまいなのですが‥‥。

ここまで読んでくれた方に、ちょっとナイスなお知らせ。
先日、ぼくが「帯」の文を書いた本が出来あがりました。
ドラッカーの『傍観者の時代』という本です。
『今日のダーリン』でも書いたことがあるのですが、
これはドラッカーのなかでも、ちょっと特別なものです。
著者本人は、そういうことばを
選ばなかったらしいのですが、
とても「自伝」というものに近い著作です。
(帯の背に「事実上の自伝」なんて書いてあります)

ぼくがこの本の帯のために書いたのは、
以下のことばです。

<機知やユーモア、感受性というようなものは、
 ドラッカーの著作の伏流水として流れている。
 この本は、特にその水量が豊かでわくわくする。
 お会いしてみたかったなぁ。>

つまり、「抑制の利いた文学作品」として、
とてもおもしろいよ、という意味でもあります。
「事実上の自伝」の舞台の役者たちも、
有名無名問わず続々と登場するのですが、
みんなとびぬけて一流なんです。
しかも、ドラッカー本ですから、
読み手の置かれている状況に合わせて
なにかの助けになるようなことが学べたりもする。
ほめすぎに聞こえるかもしれませんが、
読んでもらえば、わかると思います。

で、この本を出版社からちょっと余計にもらったので、
読者にプレゼントさせてもらうことにします。
用意させていただくのは、5冊です。
つまり5人の方に差しあげます。
応募者はおそらく5人よりも多いと思いますので、
全員のなかから抽選、ということにします。
住所などなどは、当選の連絡が行ってからでいいです。
自分のお名前と、
ドラッカーを知っていたとか知らなかったとか、
なにかしら書いてくれたらうれしいです。
申し込みの締め切りを、
5月26日の午前11時とします。
それまでに、メールで申し込んでください。
宛先はここ「傍観者の時代」です。

このページへの感想などは、メールの表題に、
「ダーリンコラムを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2008-05-19-MON
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