ITOI
ダーリンコラム

<素晴しき「一本化」?>

多重債務者ということばを聞いたことがあるだろ。
あちこちあちこちから、借金を重ねてさ、
どこの誰にどれくらい借りていて、
利息がいくらで、それぞれの返済日がいつ‥‥
っていうようなことがな、
管理できなくなっちゃうんだよ。
もうさ、返した金まで忘れちゃってたりしてね。

そこに「借金を一本化しませんか」という人が現れるのよ。
ぜんぶの借金をさ、代わりに返済してくれるんだってな。
「わたしが、ぜんぶキレイにいたしました、と。
 これで、全体の借金が見えたでしょう。
 うちにだけ、確実に返してくれればいいんです。
 あとは、努力です。お仕事がんばってください」とね。
実にわかりやすい仕組みに変えてくれるんだなぁ。
あちこちに借金が重なっていて、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」
人にとって、
この「一本化する」ってことばは、
うれしい響きに聞えると思うよー。

借金があって、返せない。
だからあちこちから催促される、
ひょっとしたら脅かされる、怖い思いをする。
そういう具体的なつらさだけじゃなくて、
こういう多重債務者の諸君にとっちゃ、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」ことが、
特に苦しいんじゃないと想像するんだよ。
だってさぁ、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」んだから、
どうしていいかなんて、わかるわけないんだもん。
ほら、こんがらがった糸をほぐしていたってさ、
途中までなら誰だってがんばれるんだけどさ、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」場合は、
糸、切っちゃいたくなるだろ。
やけになるんだよ、ぐれちゃうわけですよ。

そこに「一本化する」人が現れたら、
それが、鬼でも生き神様でも、同じに見えるだろうよ。
「一本化」さえできたら、がんばりようがある!
そう思ったら、これまで隠れていた
希望の二文字が見えてくるもんだろうよ。
希望が見えさえしたら、利率だのなんだのも、
どっちでもいいような気さえしてくるんじゃないかな。
「10日で1割の利息でも、がんばれば返せるさ!」とかね。

「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」ってのは、
それほどつらいことなんだということだよなぁ。
ずっごく勉強しないで、すっかり遅れちゃってる子どもが、
ただ「がんばりなさい」って言われたって、
どうすることもできないだろ。
学校の勉強が、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」
んだからさ。
そういうときに、
どんなに低いレベルのことでもいいから
「まず、とにかく、これをしなさい」といわれたら
泣きながらでも渋々でも、やることになるよ。
これも、「一本化する」だよな。

すごいんだよ「一本化」はさ。
いや、「一本化」がすごいというより、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」ことを、
苦しかろうがつらかろうが「わかるようにする」
ということがすごいのかもしれないね。

で、だよ。
多重債務者の話をさ、
他人事だと思って聞いてるんだよ、みんな。
でもさ、同じだよ、誰でも同じようなことしてるんだよ。
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」のだけは、
いやだという気持ちがあるからさ、
とにかく希望を持ちたくて「一本化」したがるんだよ。

典型的なのが、金銭だよね。
誰でもわかるリクツがあるよ、
「たいていのものは、金で買えるみたいだ」
「金で買えないものはあるだろうけれど、
たいていは買えるみたいだぞ」
「じゃ、まずは金を求めればいいわけだ」
「そうだ、金だ」
‥‥おお、
これで「一本化」できちゃうんだよな。
そして、迷いもなく突き進んじゃう人がいるよ。
迷いとか混乱とか、ないほど効率がいいからさ。
「一本化」できちゃった人は、強いんだよ、あんがいな。
あれこれふらふら考えたり迷ってる人間のことを、
笑ってやりたいくらいかもしれないぞ「一本化」の人は。

日本の思春期が、日本の受験期と重なるっていうことも、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」人を
たっぷり増やしてるよなぁ。
あれもこれもと悩んだり、迷ったり、苦しんだりしちゃう。
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」よ。
普通の若者は、そういうものさ。
そこで、受験の神様が言ってくれるんだな。
「いまは受験だ!」
「君たちに、恋だ青春だに悩む資格も時間もないーっ」
これだよ、「一本化」だよ。
すっきりするよ、希望も見えてくるよ。
その道を選んだほうがいいという考え方も、あるよな。
その後の人生もたっぷりあるから、
どっちでもいいとは思うよ。
だけど、ひとつだけ言えるのは、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」状態が、
よくある「一本化」作戦によって、
案外かんたんに解決しちゃったのは、確かだよな。

「一本化」ってのは、すっごい魅力があるんだよね。
なにせ「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」が、
うまいこと解決できる方法なんだからさ。
でも、解決が最善の方法じゃないという問題もある。
もしかすると悩むことそのものが、
その人間にとって大切かもしれないという時期もあるだろ。
笑っちゃうけど、矛盾そのものを学ぶための課題もあるよ。
そういう意味じゃさ、
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」との対話?
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」との交際?
「なにがなんだかわからなくなっちゃってる」を、
ほんとにちょっとずつ、時間をかけて順に解決していって、
「きびしいけどわかる」状態にまで、
自分の力でもっていくということも、
可能性として、選択肢として、
持っていたほうがいいと思うんだよね。

故・植木等の『スーダラ節』のさ、
「わかっちゃいるけどやめられない」って歌詞もな、
正しいほうに「一本化」できないっていう
「人間の業」を歌ってるじゃん。

じゃ、「一本化」はいけないことだって言うんですか?
言いませーんよー。
考え方とか解決法っていうのも、道具なんだよ。
バカとはさみだって使いよう、だろう?
「一本化」っていう、希望を見せてくる魔法の道具も、
信じすぎちゃダメだってことだ‥‥
ただの素晴しい道具なんだから。

「とにかくいまは他のことを考えずに」というのは、
悪いことじゃないし、効率もいいはずだよ。
でも、そのセリフのなかには
「臨時でそうしてる」感じが入ってるだろう?
その「臨時」な気持ちを忘れて、
固定しちゃいけないんだと思うよー。

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2007-07-30-MON

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