ITOI
ダーリンコラム

<「いまさら」で行こう!>

●Steppenwolf(ステッペンウルフ)の
 『BORN TO BE WILD(ワイルドで行こう)』の感じで、
 元気よく読んでみようか‥‥
 い・ま・さ・ら・で・い・こ・う!

つい最近、「ほぼ日」で
『いまさらフラガール』という連載が始まった。
時期として、まさしく「いまさら」の時期だ。

映画の封切り前に、
「こんないい映画ですよ」紹介することが、
いちばんいいのだろうとは思う。
映画が当たりかけてから、
「ほら、やっぱりいい映画ですよ」と特集するのもいい。
どちらにも間に合わなかったら、
映画がDVD化されて発売されるタイミングで、
取りあげるのもいいと思う。

でも、今回の「ほぼ日」の連載は、
そういうグッドタイミングじゃなかった。
迷惑なくらいタイミングが悪いかといえば、
けっしてそんなこともないわけで、
いまでも日本のどこかの映画館では上映中だし、
DVDだって発売から2ヶ月ほど経ったけれど、
しっかり売れ続けている。

でも、はっきりした理由もなく、
いまごろになって『フラガール』の特集をやろう、
なんてことは、おそらくどこでもやってないと思う。
(どっかでやってたらゴメンな、同志よ)
だから、その恥じらいの意味もこめて
「いまさら」ということばをタイトルに入れていたのだ。

はっきりした理由はないけれど、
ちょっとした理由ならあった。
ぼくが、映画館で観ておもしろかった『フラガール』を、
DVDであらためて観たのがきっかけだった。
映画を観た日に、すぐ、興奮ぎみに、
『今日のダーリン』で書いた。
その後、あちこちで評判が高まっているのも知っているし、
たくさんの賞をもらっていたのも知っていた。
しかし、DVDで、もういちどあの映画を観たら、
「時期を逃した」としてもいいじゃないか、
「ほぼ日」で「いまさら」伝えたいと思ったのだった。

さて、ここまでは助走です。

「いまさら」のことが、とても気になりはじめたのだ。
『いまさらフラガール』を企画するよりも、
ずうっと前から、ぼくは
「いまさら主義者」だったのではなかったろうか。
そう思えるのだ。
「ほぼ日」に書いていることの、
とても多くのテキストは、
「あらためて思った」ことについてだったりする。
前々から、思っていることは思っているんだけれど、
「あらためて(よくよく)思った」ら、
ちがうおもしろさに気付いたとか、
感心してしまったとか、そういうことばかり言っている。

「いまさら」とか「あらためて」というのは、
見逃した球を打つようなことなのかもしれない。
別れた恋人とよりを戻すようなことなのかもしれない。
でも、そのほうが、よくわかる
ということはないだろうか?

「いまさら」じゃないタイミングで、
たいていのことがうまくできたらいいのかもしれないが、
それじゃぁ、ただの奪い合いになっちゃうんじゃないか?
流行というのは、たいてい、
我も我もと同じ情報を伝える人々のおかげで生れる。
しかし、「人は流行のみにて生くるにあらず」である。
流行から流行へ、おさるの綱渡りのように
木から木へぶらーんぶらーんと渡っていっても、
慌ただしいばかりである。
そうかと言って、流行はいやじゃと、
古典として定着したものだけを吸収していればいい、
というほど、反俗な生き方をできるわけでもない。
そしたら、話題のピークの時を避けたり、
流行として終わったのを見計らったりしながら、
「それって、おもしろそうだね」と、
おもむろに近づいて、ゆっくり楽しむというのが、
いちばんいいんじゃないかネというわけだ。

人は、いろんなことを言いたがるものでさ、
「もう、古いよ」とか、
「いまごろ言ってるのか」とか、
自分の捨てたゴミのことでも語るように、
流行の波が引いたものごとについて、罵るものだ。
それは、人ばかりじゃなくメディアも同じだなー。
でも、流行の波頭がしぶきを立てて、
あたりが見えにくくなってる時よりも、
潮が引いた海でゆっくり語るほうが、
なにかちがういいものが見つかるように思うのだ。

こう、人がね、飽きただの古いだのと、
言い出したら、そのものごとが終わり
‥‥ってことはないだろう?
ものごとの価値というのは、
そう簡単には、そうすぐには、消えないはずだ。

いままでにも、わざわざ「いまさら」とか言わずに、
「ほぼ日」では、ジャストタイミングでないことを、
さんざんやってきた。
みんなが奪い合うものを獲れる自信もなかったし、
そういう争奪戦に興味もなかったから、
自然にそうなってきたのだと思う。
「なんで?」と言われそうなことで、
企画が進んでいくに従って、
「これを読んでよかった」とか思われるのが、
ぼくらの快感であったかもしれない。
落語だって、ハラマキだって、いや手帳だって‥‥
思えば、そういうものだった。

こう考えていくと、「いまさら」っていいなぁ。
「あらためて」も、いいなぁ。
この先も、いい「いまさら」、いい「あらためて」を、
のんびり探していこうと、あらためて思ったね。

そういえば、なんだけど、
いま「初ガツオ」が話題になりかけてるよね。
いま争って食べようとしているカツオは、
「はしり」ということになる。
比較的量も少ないから値段も高いし、
「初ガツオ」を意識して待っていた人がいるから、
需要も多くなって、値は上がらざるを得ない。
でも、カツオの話題は、どうしてもこの時期に集中する。
この時期のことを旬(しゅん)と言っている人も多い。

しかし、やがて、カツオは、
いまよりもたくさん水揚げされる時期が来て、
市場にたくさん安価に出回るようになる。
「さかり」という時期だ。
カツオを食べたいと思ったら、いくらでも食べられる。
漁獲量が多いこの時期を、旬であるという人も多い。

そしてさらに、秋の戻りガツオというやつがあって。
脂がのっていちばんうまいのは、この時期だ、
この時期をこそ、旬と呼ぶべきだという人も多い。
カツオの場合だと、この時期を「なごり」と言うのかな。

かぼちゃであろうが、はくさいであろうが、
季節の食物には、旬というものがあるのだけれど、
それでも「はしり」「さかり」「なごり」と、
3段階を楽しみにできる。

人や、作品だったら、腐るものでもないんだから、
「はしり」「さかり」「なごり」以上に、
「冷蔵」と「冷凍」、「思いで」「再生」「復活」と、
何度も注目できるはずなんだよなぁ。

「ほぼ日」は、これからも、
「いまさら」に目を向けていきます。
それとも、「ほぼ日」そのものが、
「いまさら」の存在なのかもしれないしね。
あ、「糸井重里」が、
とっくの昔からずっと「いまさら」だったんだっけ。
いいんだ、「いまさらでけっこう」
「いまさらがけっこう」っていう考え方なんだからさ。

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2007-05-21-MON

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