カレーライスの正体
第4回
カレーはインドから
日本にやってきた?
2017.2.26 更新
# 「インド人は毎日カレーを
食べている」は本当か

 カレーのルーツがインドにあることは誰もが知っている。でも、インド人が日常的にどんな食生活を送っているのかをよく知っている人は少ない。僕は、この10年ほどの間、毎年欠かさずインドを訪れ、インド料理の探求に精を出している。そのことを知ると多くの人がこう尋ねてくる。
「インド人は毎日カレーを食べているんですか?」

 答えはもちろん「YES」である。ただ、我々日本人がイメージする“カレー”が千差万別だから、スパイスを使ったカレーに似た何かしらの料理を食べているという注釈をつけたくなる。まあ赤ん坊の離乳食から辛みのないスパイスを使って調理することもあるわけだから、毎日カレーを食べているというのは大げさではない。

 インド料理をひと言で説明することはできない。さまざまな要素がスパイスの配合のように複雑に関係し、食文化を形成しているのだ。たとえば、宗教。インド国民の実に7割近くを占めるヒンズー教では、牛を神聖視する戒律上、牛肉を食べない。豚は汚れた生き物だという認識がある。一方、第二勢力の宗教であるイスラム教徒は、豚肉を食べてはいけない。要するにインドで食べられる肉は、マトンかチキンがメインということになる。

 とはいえ、肉を食べるインド人は、それほど多くない。インドにはかなりの比率でベジタリアンの存在がある。特にベジタリアンの人口比率が高い西インドのグジャラート州では、実に60%以上が肉を食べない。

 ただし、インドのベジタリアンは、世界のそれとは少し毛色が違っていて、健康に配慮した取組みだったり、思想やら哲学やらのスタンスのためのものではない。制度や宗教による影響もあるが、多くは、貧困が原因である。要するに肉を買って料理をするような贅沢ができないのだ。また、一家に一台冷蔵庫を置けない環境から、タンドーリチキンに代表される、ヨーグルトとスパイスによる生肉のマリネのような手法が育った部分もある。

 また、動物性のものを口にしないのが欧米のベジタリアンだが、インドでは、乳製品だけは特別扱いである。問題は、殺生につながるか否か。ミルクを飲むのは、殺生には当たらない。でも、卵は食べない。現に乳製品がインド料理を豊かにしている例は多い。というか、乳製品なしでは成立しない。

 地域によって味わいが違うのもインド料理の魅力である。日本でも関東と関西では味わいが変わるし、ご当地料理もたくさんある。インドはわかりやすく言えば、東西南北で味の傾向が違う。州ごとにご当地料理があるという人もいる。あまり知られていないことだが、そもそも主食も違う。北インドはパン。南インドや東インドではライスを主食としている。

 西インドは全体的にジャガリーという砂糖で甘味を増幅した料理が多い。ある種、日本の家庭料理的な味わいを持つ。西インドのグジャラートで食べたターリーは、豆を煮た料理にすらどっさり砂糖が入っていて辟易した覚えがある。一方でいくつかの野菜料理は目を見張るほどうまかった。

 東インドの大都市、コルカタで食べたベンガル料理は、「インドにこんなうまいものがあったのか!」と思わずレストランで声を上げてしまいそうになるほどだった。

# インドの食とムガール帝国

 アーユルヴェーダというインド伝承医学では、人間の体をいくつかのジャンルに分類し、食事の在り方と健康、体作りを強く結びつけている。たとえば、酸化しにくい“ギー”という精製バターの存在や、ターメリックのクルクミン成分を吸収しやすくする乳製品との融合などは、現代でこそ西洋医学、分子病理学の観点からその効果が立証されているものだが、はるか太古の昔からアーユルヴェーダでは推奨されてきたものである。すなわち、インドの食文化は、おいしい食事を味わうためではなく、体を作るために存在している部分が大きい。

 そのインド料理が食味を追求する方向にある進化を遂げるキッカケとなったのは、ムガール帝国によるものである。イスラム教には「6つの快楽」というものが存在するという。「食事・酒・衣服・セックス・香り・音」である。このうち「最も崇高で重要なもの」は食事であると言われているそうだ。

 イスラム教徒の巨大勢力であるムガール帝国が、アフガニスタンからインドへ侵攻したのは16世紀初めのことだ。17世紀後半のアウラングゼーブ帝時代に最盛期となり、ほぼインド全域を支配したが、ヒンドゥー教徒との融和がうまくいかず衰退し、18世紀には英仏などヨーロッパ諸国の侵攻を受けて弱体化。1858年に滅亡している。

 この支配下に置いて、土着の質素なインド料理は、帝国の王が食べるにふさわしくなかった。彼らは、ムスリムの贅沢でリッチな味わいの料理手法をインド料理に応用し、進化させた。インドで親しまれているムグライ料理と呼ばれるものがそれにあたる。

# 日本における
インド料理浸透の歴史

 日本におけるインド料理の草分け的存在は、『新宿中村屋』と銀座『ナイルレストラン』だろう。中村屋が日本で初めてインドのカレーを提供したのは、1927年のこと。東インド・ベンガル地方出身だったインド独立運動の革命家、ラス・ビハリ・ボースが伝授した味をメニュー化したものである。だから『中村屋』のカレーは、東インドカレーである。

 一方、1949年に創業した日本最古のインド料理店『ナイルレストラン』はこの出来事と深い関わりを持っている。ラス・ビハリ・ボースの通訳となり右腕となってサポートした、A.M.ナイル氏が創業したレストランだからだ。ナイル氏は、南インド・ケーララ州の出身。だから、『ナイルレストラン』のカレーは、南インドカレーだ。続いて東京、九段下に登場した『アジャンタ』も南インドの家庭料理を提供する店だった。

 ここで疑問が浮かぶ。日本のインド料理黎明期を支えてきたインド料理店のほとんどは、北インドがルーツとなっている。コクがあってクリーミーなバターチキンにふわふわっとしたナン、香ばしいタンドーリチキンなどの組み合わせは、東インドや南インドではマイナーな存在だ。ムグライ料理と呼ばれ、かつて北インドを支配したムスリムの影響を色濃く残したものか、北インド・パンジャーブ州の料理によく見られるのが、日本で大流行したインド料理のルーツである。

 具体的な店名で言えば、『モティ』、『タージ』、『マハラジャ』、『ラージマハール』、『サムラート』などなどである。これらの店は、後発だが、1970年代後半から1980年代に一世を風靡したレストランたち。すなわち、『中村屋』、『ナイルレストラン』、『アジャンタ』は早すぎたヒーローだった。ただ、孤高の存在として支持され続け、今もなお、トップクラスの人気を誇っているのには頭が下がるが……。  

 さて、ここで大事なのは、どの店が古くからあって、どの店が人気で、どの店が偉いのか、などではない。インド料理が日本にいつやってきたのか、である。日本で初めてのインドカリー(中村屋)は、今からおよそ90年前に登場した。日本最古のインド料理店(ナイルレストラン)は、今からおよそ70年近く前に創業している。日本にカレーという料理が伝わったのは、明治維新(1868年以降)のころと言われているから、150年近く前になる。

 当然、「150-90」という引き算をせざるを得ない。その結果、浮かび上がることは何か。我々日本人が、「インドカレーは知らないが、カレーは知っている」という時代が少なくとも60年は続いたという事実だ。おかしいじゃないか。カレーのルーツがインドなのにインドカレーよりも前に別のカレーが日本に伝わっているのだ。そのカレーとは、ブリティッシュカレーというものだ。すなわち、日本のカレーはインドから伝わる前にイギリスから伝わっていたのだ。

……つづく。
2017-02-26-SUN