カレー界のみなさんから見た、水野さん。
聞いた人05「新宿中村屋」総料理長 二宮健さん
<「新宿中村屋」と二宮健さんについて>

和洋菓子や中華まんでも知られる
1901年創業の老舗「新宿中村屋」は、
日本ではじめて本場のインド式カリーを
発売したお店です。
今も人気の「純印度式カリー」は
インド独立運動の革命家ラス・ビハリ・ボースが
祖国の味を日本に伝えたもの。
スパイスをふんだんに使った、
小麦粉を使わない本格カリーは、
濃厚なブイヨンとヨーグルトにより
とろみや旨みを作りだしています。
二宮健さんは、昭和27年に「中村屋」に入社。
シェフたちの先頭に立ち、伝統の味を守りながら、
さらなるおいしさを追求されてきました。
現在は総料理長兼チーフテイスターとして
伝統の味やこだわりを、
後継者に伝えていらっしゃいます。

▶︎「新宿中村屋」ホームページ
水野さんって、どんなかたですか?
お話しするようになったのは数年前からですね。
それ以前から「東京カリ~番長」のことは
なんとなく聞き知ってはいたけれど、
「どんな人かな」と思ってたんです。
はじめてお会いしたときは、びっくりしました。
若くて。少年のようで。
私は今年80なので、水野さんは私の
子どもくらいの年なんだけど、
なんだかすごく魅かれる人だなと思いました。
それが第一印象です。
こんな言いかたをしていいかわかりませんが、
大ファンですね。
私にとって、大好きな人間のひとりですね。
誘っていただいて参加しはじめた
「ラボ・インディア」は、日本人シェフが集まって、
みんなで料理を研究しようという集まりです。
最初は私も「中村屋」は日本ではじめて
本場のインドカリーを出した店ということで、
下手なことはできないぞという気持ちがありました。
だけど実際入ってみたら「デリー」の田中さんがいたり、
個人的に気に入っている店のかたが何人も来てる。
田中さんなどはほんとうに博識で、
いろいろと思いがあって発信されるかたですし、
このグループはただものじゃないなと感じました。

参加していると、水野さんが中心になってみんなを集め、
互いの見識を交わらせたり、絆を作ったりしている。
すごいなと思いました。
彼の周りには、「ずっと屋台をやってたけど、
こんどは店を出す」とかね、
向上心のある、おもしろい若い人たちが
たくさん集まってくるわけです。
それで、我々もなにか力になりたくて
「中村屋にみんなで集まるといいんじゃないの?」
という話になって、厨房の一部を使っていただきました。
「ラボ・インディア」の日、
水野さんはいつもかなり早くに来て、
みんなが来るのを待っている印象がありますね。

また、私は「ラボ・インディア」に
「中村屋」の若い料理長と一緒に
参加しているのですが、
このようにシェフのグループでなにかやることは
我々にとってもすごく珍しいですから、
そういった部分も含めて、とてもおもしろいですね。
そんなふうに水野さんは、
店をやっている個性のある人たちを集め、
お互いを先生にして学びあう場所を作ってしまった。
「シェフたちがみんなで料理を作って食べ合う」
という場はふつうはなかなか作れないと思います。
ふだん、お客さまを相手にしてやってることを
そのまま見せるわけですから。
水野さんがいるからできること。
そして、水野さんの気分がみんなにも移って、
みんな非常に素直な気持ちで
自分で作ったものを持ってきて、
他の人が作ったものを食べて、
素直に感じ入るということをやっている。
非常に良い場になっているんです。

水野さんがいると、みんながとても
前向きになって、物事がどんどん
「やろうやろう!」と進んでいくんです。
彼にはそういう意味での
リーダーシップ性がありますね。
穏やかな人だから、最初はどうして
「番長」ってつけたのかなと思いましたが、
ずっと見ていると、
「まぁたしかに番長だな」と思いますよね(笑)。
さらに水野さんは、そうやって
みんなでやったことをもとに本も出しちゃう。
今までのインドカリーの世界には
いなかった人だと思います。

プロの人たちにあれだけ好意と興味を
持ってもらってる人は、あの年でそうそういませんし、
そういうところもすごいんですよ。

そういえば以前、水野さんのお宅にみんなで集まって、
カレーの会をしたことがあるんです。
作ったカレーを持ち込んだり、そこで作ったり、
写真を撮ったりしたんですけど、楽しかったですね。
家にあるタンドール窯も見に行きました。
最初に雑誌かなにかで写真を見たときに
「ここまでやるか」と思ったけど(笑)。
あそこまでやるっていうのもすごいですよね。

そんなわけで水野さんのことは
私も大好きで、非常に尊敬している人です。
会ったときはほとんどカレーの話だし、
直接言うことはないんですけれども。

「水野仁輔」さんという人に、新しい肩書きをつけるとしたら‥‥?
水野さんはまだお若いから、
これからどういう方向に行かれるかはわかりませんけど、
私はやっぱり水野さんに、
やってもらいたいことがあるんです。
それは「伝承」という部分のこと。
「ラボ・インディア」でやっているような
人々の知識の集積や体系化を、
もっともっと進めていってほしいと思っているんです。

たとえば彼が数年前に出したこの、
『カレーの教科書』という本も素晴らしいんです。
私どもも、長年やってきたことを
ぜんぶ数値にして書きとめているんですが、
この本にはかなりそういうことが
しっかり書かれています。
科学的に合理的にカレーを解説し、
カリキュラム的に出してる。
この本をはじめて見たときに、
「ああ、この人は『技術の伝承』ができる人なんだ」
と感じました。
日本ではこの何年かで、インド料理を
本格的にやる人たちが、少しずつ増えてきています。
ただ、そういう人たちが培った技が
次世代までしっかり伝わるかというと、
インド料理はやっぱり難しいと思うんです。
ほとんどの場合は1代で終わりかねない。
そんななか、水野さんはみんなを集めて、
次の世代につながることをしている。
インドに行ったり、イギリスにも行ったりして、
次へ次へと研究を深めている。
すばらしいんですよ。

あと、水野さんの教えかたにはなにか、
「これを明日やってみよう」というような、
みんながやってみたくなる感じがあります。
ぼくは彼から直接なにかを教わったわけじゃないけど、
彼の質問とかメモの仕方というのが、
非常にツボを得ているんです。
だから彼に教わったり、
彼と一緒に料理を作ったりすると、
学ぶ側に、インド料理で大事な部分が
おのずと伝わるんじゃないかと思っています。

だから水野さんには将来的に、
「インド料理の塾」とか「カレーの研究塾」みたいな
学校を開いてもらえたらと思ってますね。
彼といっしょにいると、みんなカレーが好きになるし、
みんなのカレーの技術が上がっていく感じがある。
だから、そのきっかけとなる学校みたいな場所があれば、
自然にまたいろんなことが広がっていって
いいだろうなと思うんです。
そのなかで彼は「番長」から
「校長」になるかもしれませんよね(笑)。
基本的に水野さんは、指導者になっていく人
なんじゃないでしょうか。
よく勉強している上に、これからさらに
知識や技術を積み重ねて行かれるお年だし。
学校みたいなことがきちっとできると、
これからの日本にまたこれまでと違う形の
カレーの文化がひろがっていくと思うんですよね。
私自身、彼のこれからの活動を
とてもたのしみに見ています。
「新宿中村屋」総料理長
二宮健さんの思う水野仁輔さん=
未来の「校長」
2016-04-30-SAT
01 「デリー」社長 田中源吾さん
02 「dancyu」編集長 江部拓弥さん
03 「ナイルレストラン」3代目、「東京スパイス番長」ナイル善己さん
04 「ナイルレストラン」2代目店主 G.M.ナイルさん
05 「新宿中村屋」総料理長 二宮健さん
06 放送作家 小山薫堂さん