ほぼ日刊イトイ新聞

妻 と 夫 。 02 保坂俊彦さん+乙幡啓子さんご夫妻 友だちでも、両親でも、ご近所さんでも、 「妻と夫」を見ていると、 なにかとふしぎで、おもしろいものです。 ケンカばっかりしているようで、 ここぞの場面でピッタリ息が合ってたり。 何でも知っているようで、 今さら「え!」なんて発見があったり。 いつの間にやら、顔まで似てたり‥‥。 いろんな「妻と夫」に、 決して平凡じゃない「ふたりの物語」を、 聞かせていただきます。 不定期連載、担当は「ほぼ日」奥野です。

第3回
砂像、それは夏のまぼろし。

──
保坂さんは、どういった経緯で、
あのような砂像を、
つくるようになったのでしょう。
保坂
ぼくは、東京藝大の彫刻科という‥‥。
──
あ、あの、超少人数の。
保坂
そう、1学年20人くらいでした。
よく知ってますね。
──
有名なグラフィックデザイナーの
永井一正さんも
そこで学ばれていたということを、
以前、おうかがいしました。

でも、そうでしたか。
つまり、彫刻エリートでいらした。
保坂
いえいえ、まあ、でも、
そういう学科を卒業したんですが、
だからといって、
すぐ仕事にありつけるわけもなし、
いろいろ試行錯誤していたら、
たまたま親戚のツテで、
「砂の彫刻を、つくってみないか」
という話をいただきまして。
──
それが‥‥。
保坂
20年くらい前のことで、
砂像のキャリアのスタートは、そこです。

もちろん、砂の彫刻だけでは、
食べていけない時期も長かったですけど。
乙幡
30代の半ばくらいまでは、バイトしながら、がんばってたんですよ。
──
その「砂でやってみないか」というのは、
イベントか何かで、ですか?
保坂
ええ、秋田県の三種町という海辺の町で
「サンドクラフト」という、
大きな砂のお祭りをやっているんですよ。

ちっちゃな町に
毎年10万人くらい人が集まるんですけど、
そこに叔父が住んでまして、
第1回サンドクラフトの立ち上げのときに、
イベントの目玉として、
巨大な砂の彫刻はどうかとなったんだけど、
誰もそんなもの、つくったことがなくて。
──
そこで、叔父さんが、
甥の保坂さんに白羽の矢を立てた、と。
保坂
まあ、砂像をつくったことはなかったけど、
彫刻科を出ていると言うし、
「お前やってみないか」という軽いノリで。
──
巨大砂像を発注。

じゃ、はじめは
「来た球を打った」とでもいいますか、
「受け身」だったんですね。
保坂
そうなんです。
──
先ほどうかがった「木の枠を組んで‥‥」
という砂像のノウハウって、
その当時から、確立されていたんですか。
保坂
はい、確立していました。

というか「砂像、サンドアート」って、
日本だと、まだまだ知られてなくて、
プロでやってる人間も、
自分以外にもうひとりくらいなんですが、
海外には、ゴロゴロいるんです。
──
あ、そうなんですか。
世界には「砂像の歴史」があるんですね。
保坂
ええ、たぶん、日本に入ってきたのは、
30年くらい前だと思います。
乙幡
ほら、ヨーロッパなんかでは、
ギリシャ彫刻からの流れが、脈々とね。
──
ああ、そうか、なるほど。
ダビデ像みたいな、揺るぎない伝統が。
保坂
ヨーロッパ以外でも、
中国とか、ちょっと恐ろしいです。
──
恐ろしい。
乙幡
旦那クラスの作家が何十人もいる‥‥
みたいなところらしいんです。
──
保坂さんは、
つい最近も台湾の世界大会で優勝して
ニュースになっていたし、
砂像界では、
世界トップレベルの腕前だと思うんですが、
そんな猛者どもが、ゴロゴロと。
保坂
いやあ、すごいです。あきれるほどに。

あるイベントで、ああ、自分も、
ようやく彼らと競っても、
通用するようになったかなと思っても、
次の大会へ行くと、
ぜんぜん別の上手い人が次から次へと。
──
中国という国は、
あらゆるジャンルで「母数がちがう」
という感じがしますね。
保坂
海外の大会やイベントに参加するたび、
いちいち衝撃を受けて、
すっかり、グッタリしちゃうほどです。
──
聞き書き作家の塩野米松さんが書いた
『中国の職人』という本には、
急須だとか、
京劇の人形をつくっている名人たちが、
たくさん出てくるんですが‥‥。
保坂
ええ。
──
そこには、違法コピーや粗製乱造みたいな、
いわゆるステレオタイプな
中国の製造業のイメージとは、
まったく別の世界が、ひろびろとしていて。
保坂
でしょうね。

中国の、職人的なものつくりの頂点って、
とんでもなく高いところにありますから。
──
そのこと、身をもってご存知であると。
保坂
砂像やサンドアートの世界でも、
日本では、自分以外に1人か2人しか、
これで食ってる人間がいないけど、
中国大陸や台湾では、
100人からのプロが競い合っています。

彼らとくらべたら、自分なんか、
ようやっと
レギュラーの片隅に入れてもらえるかな、
という感じだと思います。
──
切磋琢磨というか、
ライバルが近くにいて横目が効く状況は、
絶対に、ちがってきますよね。
保坂
台湾の世界大会でも、
15メートルくらいのお城をつくってたし。
──
15メートル‥‥って。
サイズ的には「本物の小さい城」ですね。
保坂
たしか、ギネスブックに載っているのは、
「高さ25メートル」で、
それってもう「山」ですから、みたいな。
──
はあー、世界は広い‥‥というか。
乙幡
とんでもない、というか。
──
あの、すみません、話はすこし戻りますけど、
はじめての砂像は
イベントでの「頼まれ仕事」だったと
いうことですが、
その後「2体目」も、つくったわけですよね。
保坂
はい、また呼ばれたんです。次の年に。
──
その、秋田のイベントに?
保坂
そうです。だから、最近こそ増えてきたけど、
まだ初期のころは、
砂像をつくる機会そのものがほとんどなくて。

最初の10年ぐらいは、
1年に1個か2個、つくってたくらいです。
──
そうか、砂像じゃ個人練習もできないから。
保坂
場所や費用のハードルが高いので、
誰かに依頼してもらえないと、基本的には。
写真提供:保坂俊彦
──
で、10年くらい前から、
だんだん増えていった感じなんですか?
保坂
そうですね、3体、4体‥‥と増えて、
今ではだいたい
年に「15体くらい」はつくってます。
──
月に1体以上は、つくってらっしゃる。
シーズンとしては‥‥。
保坂
やっぱり「夏」です。砂像と言えば夏。

今年も、明日から北海道へ行きますが、
そのあと会場から会場へわたり歩いて、
帰ってくるのは、ヘタしたら9月かも。
──
まだ6月ですが‥‥その点、奥さま?
乙幡
我が家の「書き入れどき」ですので、
がんばってきていただければと。
──
ひとつ、保坂さんは、
一週間とか10日くらいの時間をかけて
砂像をつくるわけですが、
イベントの期間が終了したあとには、
壊されてしまいますよね。
保坂
そうですね、はい。
そういう約束で、つくってますので。
──
それって、どういう気持ちですか?

うまくいって気に入った作品でも、
苦労してつくった作品でも、
愛着のある作品でも、
あとかたもなくなっちゃうわけで。
写真は撮るにしても。
保坂
そうですね、そのことについて、
ネガティブな感情は一切ありません。
──
あ、そうですか。
保坂
そういうものとして、つくってますから。

もちろんね、
ずっと残したいと思ってつくった作品が
途中で壊されたりしたら、
そりゃ悲しいし、腹も立つでしょうけど。
──
最初から「いつかなくなるもの」として、
つくってらっしゃる。
保坂
あと、僕は、ひとつの砂像が完成したら、
すぐに次の場所へ移動しちゃうので、
壊される場面って、目にしないんですよ。

だから実感がないのかも、あんまり。
乙幡
不思議なんですよね。

あれだけ全身真っ黒になってつくって、
写真には残ってるんだけど、
これもう、ぜんぶないのかあと思うと。
保坂
いつの間にか、消えてなくなってる。
──
夏のまぼろし、みたいな。
乙幡
ああ、いいですね。ありがとうございます。

旦那の仕事を、
そんな、いいふうに言っていただいて。
写真提供:保坂俊彦

<つづきます>

2017-08-16-WED