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イナカモン外伝、逆襲のサガ。
都会の正体とはなんだろう?

<『ほぼ日刊イトイ新聞』と『痔』の相性>

退院してから四日が経過。
そろそろ、この連載も佳境に入って参りました。
というのも、「かなり治ってきた」からです。
走ったり跳んだり、重いものを持ったりは
まだ一週間ほど無理そうですが、
痛みと完全にさようならできる日は
そう遠くはないようです。

ところで手術で根治した「いぼ痔」は再発しないのか?
先生に尋ねたところによりますと、
術後、あらためてゼロから肛門周辺に負担をかけて
再びまた痔核が形成されるようになるには、
20年以上の月日が必要なんだそうです。
(痔瘻、切れ痔はこの限りにあらず、らしいですが)
何十年に一度のいぼ痔。
彗星とか流星群を一生のうちに何度見られるか、
みたいなもんですか。

もちろん、予防を心がければ
もっともっとこのスパンは長くなるわけですから、
普段からの心がけを忘れないのが大事。
「また手術すりゃいいや〜」っておっしゃるならば、
無茶すんのもいいですけど。

さて、この連載では、
読者の方からいろんなメールをいただきました。
「私も痔を治そうと思いました!」などの
告白アーンド決意メールや、
「身内が先日手術して、大変そうでした」とか
「私も以前、手術しました」など、
経験談的なメールもたくさんたくさんいただきました。
痔が決してマイナーな病気じゃないんだなぁってことが、
数値やグラフなどではなく、
「声」として理解できたとき、
私はなんともいえない安心感に包まれたのでした。

例えば、本を買って読んでも、
テレビの特集でたくさんのデータを知らされても、
その親近感には限界があると思うんです。
なんていうか・・・
「そうは言っても対岸の火事」みたいな、ねっ。
手応えがないというか、
手を伸ばせるような気にならなかったり、
例えば実験などが行われたとしても、
それが「分かりやすい情報」でしかないということを
無意識に感じてしまって、どうも親近感が湧かない。

だけど、インターネットで、
しかも『ほぼ日』というこのメディアは、
これ自体がものすごい「ドキュメンタリー」
だったりするじゃないですか。
ただのインフォメーションには、決してならない。
手応えとか、読み応えなど、
しっかりと細胞で感じられるような
「応え」が底にあるから、
『ほぼ日』は立派なメディアになってるんだと、
私は思うんです。
だから、全てのコンテンツ・・・
たとえばそれがお知らせなどの
「情報」でしかなかったとしても、
そこには必ず「温度」があったりするでしょう?
人間味、テンション、バイオリズム・・・等。
普通のメディアでは
「もっとかっちりやってよ!」
と削除されてしまう主観の部分を、
「それもこれも、君だよね」っていう緩さで以て、
どこか許してしまってる。
その弱さこそが、実は何よりも強いと思うわけです。
だって、生き様丸出し、
人間への愛情の塊なんだもん。

今回の連載、私は、その『ほぼ日』のドキュメンタリー性に
賭けていました。
「ただ、笑われて終わるかな?」
なんとなく、決死の勝負でありました。

結果、皆様からいただいたメールは、
まるで握手してるような感覚で、心に届きました。
実際に痔で切実なんだーっ、ていう
絶対的な焦りだけでもなければ、
私には無縁のことで、ただの笑い話として読んでます、
ってだけでもない。
素直でリアルで、弱くて強い
「思いやり」が漂ってるメールばかりだったんです。
まさしく人間味っていうんでしょうか。
「やっぱり『ほぼ日』ってすごいなぁ。
 ここで書かせていただいて、ホントに良かったなぁ」
と、とても励まされたのでありました。
『ほぼ日』で公表してなかったら、
私、この病気と手術に対して、もっと凹んでたと思うから。

痔は、ホントへんてこりんな病気。
二足歩行の人間だけに、神様がくれはった、
恥ずかしい病気。
だから痔の話が、どんなメディアよりも
「人間」に向かい合ってきた
『ほぼ日』と相性バッチリだったとしても、
何ら不思議はない、と。
・・・って、こじつけすぎかぃ?

さて、次回あたりで最終回でしょーか。
次回は皆様からいただきましたメールでの質問、感想など
ご紹介しつつ、奥田先生のメッセージも交えながら
それにお答えしていく所存です。
もちろん「そこまで言うかよ、痔乙女!」な話も
炸裂させるつもりですので、よーろーしーくーっ!

2001-05-09-WED
TANUKI
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