COOK
調理場という戦場。
コート・ドールの斉須さんの仕事論。

第20回 一生懸命な人の言葉しか、通じない。


みなさん、こんにちは!
『調理場という戦場』の事前の抜粋紹介も、
大詰めをむかえてまいりました。
次回からは、単行本原稿を完成したあとの
斉須さんの感想や、みなさんのメールを読んで
斉須さんが考えたことなどを、特集してゆきますね。

さて、先行限定発売のほうも
残り250冊ほどと、終盤をむかえつつあります。
(※『海馬』は昨日28日(火)午後7時に
  5000部が完売いたしました。感謝です)

そろそろ在庫が切れてしまう状態にありますので、
もしよろしかったら、
こちらの単行本先行販売ページで、おはやめにどうぞ!

今日、抜粋紹介をするところは、
チームワークについて語っている箇所になります。
「必死で一生懸命な人には、
 一生懸命な人の言葉しか、通じないんです」
という言葉って、いったいどういうこと?

ぜひ、今日もじっくりと読んでみてくださいませ!





<※第2章より抜粋>


ぼくは福島の白河出身だけど、
東北人とフランス人は似ているなあ、
と思ったことがあります。
我慢強さ、ねばり、忍耐、
肉薄すれば見えてくる優しさ……。
東北人の持ち味を、フランス人にも見たのです。

相手を認めるまでは、遠くにいてこちらを眺めている。
だから最初はこわいですよ?
ただ、見ているだけ。
干渉もしないかわりに、肩入れもしない。

表面では仲良くにこやかに接しているかもしれない。
しかし、本当に親しくならないうちは、
内なるところで常に刃がこちらを向いているのです。
不用意に近づいてきたならば、
いつでも刺す準備はできている。
そのあたりは、人間の老獪さを感じるというか、
底知れないものがありますよ。
まず距離をおいて、観察して、
簡単には仲良くなろうとしていないわけですから。

だけど、東北人もフランス人も、
一度その人のことを認めたら、一気に距離をつめますよね。
ぼくが「フランスの表層深海まで至りたい」と思ったのは、
そんなような意味でなのです。

誠心誠意の関係になった時に自然に出てくる態度は、
世界共通なのかもしれません。
ぼくはフランスと日本の料理の世界しか知らないので
大きなことは言えないけど、経験上、
優れた人が他人を判断する時に目をとめるところは
「ひとつひとつのことをきちんと処理しているかどうか」
なのではないかと思うのです。

一度認めたら、あとは懐が深い。
これはフランス人がそうだったと言うよりも、
「一流の人はそういう人が多い」
と言ったほうがいいことかもしれません。
いったん認めたら、
その相手への「読み」が早いと言うか……。

「こいつは、やるかもしれない」と思ったら、
すぐに大きな権限のあることを任せてしまう。
その任せ方は、大胆ですよ。
そして見こまれた人も、それに必ず応えますね。
そこがかっこいい。

「こんな仕事をやらせてくれるなんて、うれしいなぁ。
 あの人が、自分のことをここまで認めてくれたんだ。
 絶対にやってやる! やりきってみせる!」

そのエネルギーのすごさ。
すばらしいものがありますよ。
見こまれた人が報いる時に出るパワーを見ると、
「人間っていいなあ」と思います。

技術がある……それは
日々専門分野に従事しているのだから、
当たり前なのだと思うのですよ。
重要なのは、そこから先でしょう。

技術を使う人が、ものを作る裾野にあるものを
クリアに処理しているかどうか。
それこそが職場での信頼関係のキーになるのです。
おおもとにある考えかたがきちんとしているからこそ、
仕事もちゃんと遂行できる。ぼくはそう感じます。

思い出してみると、ぼくの場合は、
信頼関係は、必ず「いさかい」を通して
深まっていったような気がします。
まずは出会い頭に何らかの「いさかい」が起きる。
その中で絆を深める。
そういう経験を通っているから、
のちのちに多少の起伏があっても、
人間関係や信頼性に対してのブレが出ることはないですね。

きれいごとだけでは信頼関係に至れないです。
ゲーム感覚の「いさかい」と言うか、
小さな起伏は、あって当たり前でしょう。
相手に言いたいことは日常に溢れているのだから、
気持ちを飲みこんでなんていられない。
みんな吐きだして、相手と言い争って、それではじめて
相手の行動の意味や理由を納得できるのです。
親しくなればなるほどお互いの「我」も出てくるから、
ある時にガーッとやりあわざるをえなくなる。

それでもまたしばらく経つと、
「あいつがいないと寂しいな」と思う。
そのくりかえしで、徐々に
人間関係が深まっていくような気がします。

フランスに行った日本人の中には、
人種差別を受けたという人もいますよね。
確かに、断片的にそういういろいろな場面は見ましたが、
自分がそういう扱いを受けたことはありません。

実力が違えば平等でないということは、
当たり前でしょう?
何かを宿している人の仕事に対して、
何も宿していない人が口出しをできるはずがない。
それはまっとうなことだと思います。

それは、差別ではありません。

一生懸命に必死に仕事をやっている人には、
一生懸命な人の言葉しか、通じないのです。
当人も毎日必死にやっているのだから、
具体的にきちんと考えている人の提案しか
採用するはずがない。

中途半端な
「言うだけなら、誰だってできる」
という程度の意見ならば、自分で考えたことを
押し通すほうが結果がよくなるのですから。
これは、ごく普通のことなのです。

フランスは基本的には大人の国だから、
実力がなかったらだめだという
シンプルなよさがあります。
実力がなければ世間一般の
地位や報酬はないということです。

甘くないし、結果と評価が比例している……
フランスのその厳しい実力主義は、
とてもあたたかく見えました。
あとは一生懸命に頑張ればいいだけだから。
ぼくがいつも見つめていたフランスは、
そういう姿なのです。

ハングリーな部分は、
いまでも絶対に必要だと考えています。
負荷を絶えず負っている。
これができなければいる意味がない。
そう思っていなければ、人はすぐに
「まあ、こんなもんか」
と感じてしまうのではないでしょうか。



             (『調理場という戦場』より)





(※こちらの単行本先行販売ページも、
  ご覧になってくださるとうれしく思います)

2002-05-29-TUE

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