第1回 かたちをつくらないデザイナー

糸井 ぼく、飛行機で
ロンドンのヒースロー空港に
下りていくときの感じが好きなんです。
どこが好きかというと、
街並みの中で古さが肯定されているところ。
「直しようがないから」と肯定されているところが
きれいだなと思います。
まっさらなところからきれいにデザインされた
街というのもありますけど、
いろんな要素が混じっていて、
そういうつくりかたでは出せないような
魅力を感じるんですよね。


山崎 はい、わかります。
古さが肯定されている街って、
2つの建物どうしを
あいまいにつないでいるような空間とか、
「これ誰の場所?」みたいな場所が
なんともいえない良さを作り出していますよね。
糸井 そう思います。
はっきりとわかりやすいところではないところに
魅力が含まれている。
山崎 クリストファー・アレギザンダーという
アメリカ人建築家の
「パタン・ランゲージ」という考え方が、
その、「あいだのなんともいえない良さ」に
近い発想かもしれません。
その人は
「アルファベットは組み合わせることで、
 ただの文字の並び以上の意味を
 出すことができる。
 だから、街をつくるときにも、
 街を構成する
 『こうなるといいよね』という要素を
 文字のように考えて
 その『パターンの組み合わせ』で考えていくと
 いいんじゃないか」
といった考え方をしています。


糸井 へえー。
山崎 それでその人は、
1977年に『パタン・ランゲージ』という
図鑑のような本を作ったんです。
人々が心地よいと思う253の項目をあげて、
まちづくりや建築の参考にしてね、という本で
非常におもしろいです。
どこから読んでもいいつくりの本なんですけど、
その本では、いろんな項目と項目が
「リンク」しているんです。
たとえばあるページには
「道路に面した場所には
 座れる階段があるといいよ」
という項目があるんですけど、そのなかに、
「道と建物の高さの関係はこっちを見てね」とか
「階段のサイズについての項目もあるから
 ここを参照してね」
という別の項目のことがふれられています。
糸井 うん、うん。
山崎 街も建築も「パターンの組み合わせ」ですから、
さまざまな要素を行ったりきたりしながら、
全体と部分を照らし合せて考えていかないと
ほんとうにみんなにとって心地よい街や建築って
つくれないんじゃない?
という考え方です。
だから本もそうなっています。


糸井 はあー、なるほど。
なんとなく、数学っぽいですね。
山崎 あ、その人、元数学者です。
そのあとに建築をやり始めた人で‥‥。
糸井 そうなんですか。
へえ、おもしろいなあ。
それで本が‥‥1977年?
その人の研究って、
その後、どうなっていったんですか?
山崎 それがですね‥‥
そういった、たくさんの項目が
リンクしていることって、
本よりもインターネットのほうが得意ですよね。
だから、その
『パタン・ランゲージ』の本そのものを
ホームページにしてしまって、
興味のある項目から読んでいけば
どんどん他の項目へと
つながっていくことができます。
彼はそういうものをつくって、
自分たちの街を考えるためのツールとして
つかってほしい、と言ったんです。
糸井 なるほどねえ。
山崎 建築のことはよくわからなくても、
たとえば自分の好みの「部屋」から考えていけば、
「部屋」から「家」、「家」から「庭」、
「庭」から「道」というかたちで
街のことも考えられます。
糸井 うん、うん。
山崎 ただ、残念なことに、その人自身は
中世ヨーロッパの街並みを「良し」としていて、
よくよく読み込んでいって街をつくると
中世ヨーロッパ風の街並みになってしまいます。
日本でもいくつか彼の手法で
街をつくったんですが、
建築系の人たちには好まれなかった、
ということがありました。
糸井 ああ‥‥おもしろいなあ。
そうやって、数学のように組み立てているのに
「中世ヨーロッパ」みたいに、
どうしてもその人の価値観が入るんですね。
数学者であっても整理できない価値観というのは
当然、持っているわけですから。


山崎 そうなんですよ。
たとえば「階段」という項目だと、
その人は
「階段はリビングにななめにつけるべきです。
 2階から主人が『ごきげんよう、みなさん』って
 下りてくるものなんだから」
と書くんですけど、
それは日本の、
「床がきしむ音で人が近づくのに気づく」とか
そういう感覚とは、異なるんですよね。
論理的に考えようとしても、
個人の価値観はどうしても入ってしまいます。
糸井 今の山崎さんのお話を聞きながら
考えたんですが‥‥、
日本って象形文字を使いますよね。
アルファベットの26文字は一個ずつが記号で
意味を考えずに使えると思うんですが、
日本の漢字は、ついつい
その意味以上のことまで受け取ってしまいます。
漢字の各部首に意味があったり、
イメージがあったりしますから。
そういう「余分」があることで、
「整理のしづらさ」と「豊かさ」がありますよね。
山崎 ああ、整理はたしかにしづらい。
ただ、豊かですよね。
糸井 その「余分」に見えるようなところって、
整理されていないぶん、
かっこよく見えないかもしれないんですけど、
実は大切なものを含んでいる気がします。
ぼくは今、そちら側のほうに興味があります。
山崎さんのされていることも
そうだと思います。
「かたち」じゃないことをデザインするのって、
見る人が見れば「余分」にしか見えないんだけど。


山崎 ええ、ええ。
糸井 リーダーだって、
普段から「リーダー」と呼ばれている人より
いざという時にリーダーとして
みんなから顔を見られる人のほうが
リーダーじゃないですか。
なぜリーダーなのかは説明しづらいんだけど、
なにか、豊かなものを含んでる(笑)。
山崎 (笑)、そうかもしれない。
そういえば、ぼくらがいろんな地域に入って
ワークショップをしながら
地域の問題を解決するとき、
リーダーを決めるのに
推薦とか立候補では決めないんです。
まずはあるていど放っておくんですね。
糸井 ええ、ええ。
山崎 話をして、集まって、飲んで騒いで
みんなが「よっしゃ!」ってなっているときって
人数も増えるし、すごく盛り上がります。
でも、そのあとは、人が抜けていったり
ちょっとした喧嘩があったりします。
そういう、雰囲気が下がっていくときって、
コミュニティが壊れる可能性があるので、
最初はアドバイスなどをして
解決しようとしていたんですけど、
あるときから「それは放っておこう」と
決めました。

で、ずっと放っておくと、
ワークショップに来る人も少なくなって、
「これからどうしよう」みたいな話にもなるし、
不安になってくるんです。
でも‥‥そのあたりで徐々に
ほんとうのリーダーは誰か、
わかってくるんですね。
糸井 あぁー。そういうことか。なるほど。
山崎 最後まで残っていて、
ぜんぜんネガティブなことを言わないで
「なんとかなるじゃねえか」「次これやろう」
と、言う人。
「こんなに人数が減っているのに、
 どうしてそんなに楽観的でいられるの?」
みたいな人、
そういう人がリーダーだったりするんです。
そこからまた人が増えていったときには、
もうみんな、誰がリーダーなのか
わかっているんですよ。


糸井 おもしろいですねえ。
それ、ものすごくよくわかります。
山崎 さっき糸井さんがおっしゃったように、
「まずい!」といった時に
「どうしようか?」というふうに顔を見られる人、
そういう人がリーダーになっていくんですよね。
糸井 なるほどね。
そんなふうになるかどうかって、
頭がいいか悪いかとかじゃなく、
「ここでやっていこう」という
根が伸びるているかどうか、ですよね。
山崎 ええ。もしかしたら頭がいい人は
逆にいなくなるのが早いかもしれないですよ。
「ここにいては未来がない」とか思って、
乗り換える。
糸井 そうか。だから最初に大事なのは、
「根が生えるかどうか」なのかもね。
根が先で、それからやっと
「どうやってやるか」になるというか。


山崎 そうかもしれないですね。
うん、ぼくらがコミュニティデザインで
やれたらいいなと思っていることって、
そこに暮らすひとびとの
根の部分をどうデザインしていくかっていうこと
なのかもしれないです。
糸井 ああ、なるほどねえ。根の部分。

‥‥いやあ、おもしろかったです。
ありがとうございました。
なんだかお互いに、
説明しづらいことをやっているから
うまくしゃべれるかな、と思っていたけど
結局しゃべれちゃったね。
山崎 はい。こちらこそ、ありがとうございました。
おもしろかったです。
なんだか今日は、ふだんメディアなどで
しゃべっている話と
すこし違う視点からの話になりました。
やっぱり「コミュニティデザイナー」と
名乗っているから
こういう場では、コミュニティの話を
よくすることになります。
でも今日はほとんど
コミュニティの話をしてないです(笑)。
糸井 (笑)また、お話聞かせてください。
山崎 ええ、もちろん。
こちらこそまた、よろしくお願いします。

(山崎亮さんとの対談はこれで終わりです。
 お読みいただきまして、
 ありがとうございました)

2013-01-16-WED