みんなCM音楽を歌っていた。 大森昭男ともうひとつのJ-POP


“三木鶏郎との縁

糸井重里 鈴木慶一くんという人は
ぼくととても似たところがあって、
お客さんであるときの自分というのが
すごく好きなんじゃないかな、って思うんです。
受け手として生きている、というか。
彼がとても好かれている理由っていうのは、
遊び人志願だからなんですよ。
舞台の下にいるんですね。
で、じゃあ演奏しようかって、
向こう側にまわる。
生き方として最高におもしろいですよね。
人がなにを喜ぶかを、
自分基準で確実にたのしんでいるわけだから。

みんなが鈴木慶一くんのように
なっていくっていうのが
ぼくの予言なんです。
世界中にいっぱい、そんなふうな
おもしろいお客さんがいるって、
素敵なことじゃないですか。

(糸井重里)



今日の立ち読み版

鈴木慶一が大森昭男と初めて会ったのは1977年、
二人が最初に制作することになった
ナビスコのコマーシャルだった。
鈴木慶一にとっても初めてのコマーシャルだった。

鈴木慶一は、そうやって大森昭男と
仕事をするようになって
初めて判明したことがあったと言う。
それまで記憶に残ってはいたものの、
何の曲なのかは分からない、そんな曲があった。
「そうなんですよ。ずうっと分からなかった。
 誰が作ったものか、
 何のために作った音楽なのかも分からずに
 ずっと頭の中で鳴っていたんですよ。
 大人になって音楽関係者と話すようになってから
 『この曲知ってますか?』って
 聞いたりしてなんとなくは判明したけど、
 タイトルまでは分からなかったんです」

その曲は、三木鶏郎が1955年に書いた
「かぐや姫」(吟遊詩人の唄)という曲だった。
その年に三木鶏郎が朝日放送の
「クレハホームソング」のために
書き下ろした作品である。
「小学校に入るか入らないかの頃ですよね。
 ラジオから流れてきた。
 鶏郎先生の作品とは知らないで聞いている曲が
 たくさんあったんでしょうね。
 鶏郎先生の曲で歌っていたのが
 河井坊茶さんだというところまでは
 後で知ったんですけど、そこから先が分からなかった」

三木鶏郎が日本の広告音楽の
生みの親的存在であることは
この連載では何度となく触れてきている。

ただ、鈴木慶一がそうやって
記憶の中に温め続けていたのは
コマーシャルソングではなかった。

三木鶏郎資料館のデータによると
「かぐや姫」(吟遊詩人の唄)は、
朝日放送のホームソングとして大ヒット、
1955年には朝日放送制作で
ミュージカル「かぐや姫」が誕生した。
そのミュージカルは三木鶏郎が音楽を手がけ、
朝日放送芸術祭参加作品として放送される。
この時の出演者が
河井坊茶、雪村いづみ、ダークダックス、
トニー谷、高英男、フランキー堺。
そしてその後、1956年には
東京松竹少女歌劇大阪公演でも上演される。

「あの曲は河井坊茶さんの歌い方も独特で、
 鶏郎先生にしてはマイナーな曲だったんで
 印象に残ったんでしょうね」

大森昭男もその曲はラジオで聴いて覚えていた。
彼は高校生だった。
「あれはあの人がかなり気に入っていたものですよね。
 誇らしげな一曲みたいな感じでしたよ。
 つまり『コマソンばかりやってるんじゃねえよ』
 という反動かもしれないんですけど」

三木鶏郎の書いたミュージカル「かぐや姫」と
その中で歌われた「吟遊詩人の唄」について
改めてそう言ったのは広告研究家の山川浩二である。
山川は昭和30年代、電通のプロデューサーとして
三木鶏郎の仕事の窓口になっていた。
「あれは気に入っていたと思いますね。僕が作っていた
 『トリローサンドイッチ』という番組は、
 鶏さんの過去の曲を一曲ずつ持ってきて
 それにコントをつけるという番組だったんですよ。
 新しい曲も時々書いてくれたんだけど、
 ほとんどが古いものを使っていた。
 でも、『かぐや姫』関連の曲は、
 出してこなかったものね。
 自分にとってはやっぱり『かぐや姫』だ、
 という話は聞いたことがある。
 大事にしていたんでしょう。
 それと、河井坊茶がいないと
 駄目だったのかもしれない。
 『トリローサンドイッチ』は、
 ほとんどがダークダックスでしたからね」

三木鶏郎は、資料館の年表に従えば
1951年のコマーシャルソング第一号とされている
小西六写真工業に始まり、
1973年のアサヒビール
「なにはともあれアサヒビール」
「アサヒビールグッとやるぞ」
「Folk Rockアサヒビール」まで
22年に亘ってコマーシャルソングを作り続けている。
ジャンルとしては、金融・百貨店、電気・家電、
健康・薬、飲料・酒、衣料・靴、
生活・日用品、食品、趣味・文具、地方PR・社歌、
その他とほとんどの分野にまたがっている。
まさしく“コマーシャルソングの父”にふさわしい
実績を残している。

とはいうものの、彼が年代を追って
「自薦ベスト30」としてあげている中に、
コマーシャルソングはほとんど入っていない。
「吟遊詩人の唄」は16番目の曲として
リストアップされている。
ミュージカル「かぐや姫」の中ではその一曲だけだ。
「やっぱり大事にしていたんだと思いますね」

大森昭男もそう語る。
大森が初めて広告音楽の制作に関わったのが1960年。
三木鶏郎が主宰していた音楽工房の
制作スタッフとしてだった。
生前の三木鶏郎と仕事をしている
数少ない現役制作者としてこう言う。
「リリックソングとコマーシャルソングと
 分けてましたからね。
 鶏郎先生の中ではリリックソングは
 まだやり残していたという感じが
 あったんじゃないでしょうか」

鈴木慶一が、大森昭男と組んで制作した
コマーシャルソングは80曲にのぼる。
その中には、コマーシャルソングを元に
レコード化された曲はあっても、
コマーシャルのままレコードにはなっていない曲が
大半だった。

それらがアルバム「MOONRIDERS CM WORKS
1977-2006」として発売されたのは2006年12月、
この連載が世に出た後だった。

鈴木慶一と三木鶏郎。
もし、彼が、子供の頃にそんな風に
鶏郎作品に出逢っていなかったら、
それだけのコマーシャルソングを残していただろうか。

大森ラジオ 1977年
ナビスコ「ピコラ」
作曲・アーティスト 鈴木慶一
▲クリックすると音楽が流れます。

2007-09-07-FRI





(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN