みんなCM音楽を歌っていた。 大森昭男ともうひとつのJ-POP


“ミノルタの「今の君はピカピカに光って」

糸井重里 大森さんの耕した畑が実って、
大森さんがいいなと思ったリストが
大森商店にならんでいる。そんな時期ですよね。
ここに並ぶのは品質保証がしっかりしている商品。
さらに箱を入れ替えてみたり、
別の苗をかけあわせてみたり。
そういう大森さんは、スポンサーたちから
絶大な信頼感をもたれていたんです。
品質のよさは、アレンジャーもそうで、
かならずすごい人をおくんですね。
瀬尾一三さん、樋口康雄さん、井上鑑さんとか、
坂本龍一さんもそうですよね。
中島みゆきさんが採用するくらいの人たち。
そんななかで、
非常にユーティリティープレーヤーだったのが
ムーンライダーズというバンドであり、
鈴木慶一さんだったんです。
彼らがいまも続く長寿バンドでいられたのは
大森さんと組むような仕事が
確実にあったから、ですよね。

(糸井重里)



今日の立ち読み版

話を大森昭男に戻そう。

広告音楽関係者の多くが“黄金時代”と例える
80年代前半に大森昭男が制作し
話題になったコマーシャルに、
1980年に放映されたミノルタカメラの
「今の君はピカピカに光って」がある。

あの映像は、いまも懐かしく思い出す人も
多いのではないだろうか。

木陰で水着になる宮崎美子の
はにかんだような笑顔のみずみずしさと
そこに流れてくる“ピカピカ”という言葉の組み合わせ。
コマーシャルフィルムと音楽が、
クライアントを離れて一人歩きしていった例としては、
あの時代でも際だっていただろう。
大森昭男はまずこんな話をしてくれた。
「あのコピー(詞)を作ってもらった時、
 まだ映像は出来ていなかったんですよ。
 『週刊朝日』の表紙を見せられて、
 この人を撮りに行くんだ
 ということしか聞いていなかった。
 音楽はポップソングを作りたいんだと、
 それだけの説明でしたね。
 撮影でみんなが留守の間に話が進んでいった。
 それでキャッチーなスローガンみたいな
 詞が欲しいなと思って、糸井さんにお願いしました」

作詞は糸井重里。1979年から始まっている、
彼を起用しての大森昭男プロデュースの仕事としては
5作目に当たっていた。
演出は岩下俊夫、作曲は鈴木慶一である。
糸井重里は、コピーを書いた時、
絵コンテを見ているだけで
あの映像自体は見ていなかったことになる。

糸井重里は出来上がってきたあの映像を見た時のことを
こう言う。
「言いにくいですけど
 ダッサイなあって思ってました(笑)。
 どう言ったら良いんでしょうね。
 のぞき見のアングルですから、
 光の分量とか構図とかザワザワしている。
 美しさが足りないんですよ。
 モデルの子もスタイルがいいとは言えないし。
 当時の田中一光さんや浅葉克己さん、
 操上和美さんたちが作り込んでいた
 作品とは違うんですよ。
 岩下さんは僕と同じ
 セントラルアパートにいたもんだから
 よく雑談もしていた人で、
 とっても美意識の強い人だったんで、
 こういうのも作るんだって意外だった。
 でも、これはこれで“あるな”と思ったんですけどね」

あの“ピカピカ”に驚かされたのは、
そんな映像の印象だけではなかった。
特に音楽ファンにとっては歌い手の選択があった。
歌は斉藤哲夫である。
彼を起用したのはどういういきさつだったのだろうか。
鈴木慶一はこう言った。
「演出の岩下さんが音楽に詳しい人で、
 “斉藤哲夫君はいま何をしてるんだろう”
 って言い出したんですよ。彼がこの
 “イタリアな感じって哲夫だよね”って。
 この間、一緒にレコーディングしましたよ
 というところから話がまとまっていったんだと思います」

斉藤哲夫は何をしてるんだろう。
その頃、そんな風に思っていた音楽ファンが
少なくなかったはずだ。
70年代から80年代という時代の変わり目の中で、
スポットの当たるシーンの
表舞台から見えなくなっていった。
彼もそんな一人だったからだ。

斉藤哲夫は70年代のフォークシーンの中でも
独自の存在だった。

1970年にインディーズのはしりだった
URCからシングル「悩み多き者よ」でデビュー、
内省的な歌詞で注目され、
1971年のデビューアルバム
「君は英雄なんかじゃない」では
“フォークの哲学者”という異名を取った。
ただ、メッセージ色の強かったURCでの作品をのぞけば
当時のフォークシンガーの中でも
メロディーメーカーとしての評価が高かった。
にもかかわらず商業的な結果に恵まれないまま、
1975年以降アルバムが出ていないという状態だった。
鈴木慶一が参加した1979年のアルバム
「一人のピエロ」は、レコード会社を移籍した
4年ぶりの作品だった。
「ムーンライダーズは入り口で
 彼に非常に世話になったんですね。
 哲夫君が見つけてきたミュージシャンで
 バンドを作ってしまったようなものだから」

鈴木慶一が斉藤哲夫に初めてあったのは1970年のことだ。
二人の仲を取り持ったのは
「赤色エレジー」のヒットを持つ
あがた森魚だったと言われている。
ムーンライダーズの前身となったバンド、
はちみつぱいは、当初、
“あがた森魚とはちみつぱい”と名乗っていた。
つまり、日本のフォークやロックの創成期を
作ってきた者同士ということになる。
はちみつぱいは1973年にアルバム
「せんちめんたる通り」を一枚だけ発売。
1976年に鈴木慶一とムーンライダーズとして
再デビューした。
その時の東京郵便貯金会館のコンサートに
やはりデビューしたばかりの矢野顕子がゲストで出ている。

“イタリアな感じ”というのは
斉藤哲夫のステージでの歌いっぷりを知っていたからこそ
出てきた例えだろう。
ハイトーンの鼻にかかったようなボーカルは、
フォークシンガーの中でも独特だった。
“イタリアな感じ”。
どこかにカンツォーネを感じさせる
ボーカリストとしての起用だった。
「今のキミはピカピカに光って」は
1980年の10月にレコード発売されている。
斉藤哲夫にとって最大のヒットになった。
“斉藤哲夫復活”。
それもコマーシャルという思いがけない形でだ。
それは確かに“事件”だった。

コマーシャルを制作した時から、
そうやってレコード化することは決まっていたんだろうか。
その窓口になったのが大森昭男だった。
「最初に30秒を作って、
 それがオンエアされて二、三日して
 キャニオンレコードのディレクターから
 あの曲をレコード化したいんで会いたいという
 電話を頂きました。
 会ったのは六本木のルコントっていう喫茶店ですけど、
 その時は、まだ30秒以外は何にもなかったんです。
 言葉も“今のキミはピカピカに光って 
 あきれかえるほどすてき”しかなかった」

鈴木慶一はこう言う。
「アッと言う間に急いでレコーディングしましょう
 ということになりましたから、
 あれは結構苦労しましたね。
 コマーシャル分しか出来てないし、
 15秒、30秒で完結するように作ってるんで
 その先をつけないといけない。
 しかも一週間くらいの間でやらなければいけない。
 後々、大瀧詠一さんに言われましたよ。
 “あれは最初から一曲分はなかったな、
  付け足しただろ。そういう感じがある”
 って(笑)」

大森ラジオ 1980年
ミノルタカメラ
「今の君はピカピカに光って」
作詞 糸井重里
作曲 鈴木慶一
アーティスト 斉藤哲夫

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2007-09-06-THU





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