布のきもち。 アートと手工芸と量産品のあいだ。 [ラオスの布・谷由起子さん篇]布のきもち。 アートと手工芸と量産品のあいだ。 [ラオスの布・谷由起子さん篇]

第4回 布がいのちを終えるとき。


ラオス北部のルアンナムターに暮らし、
少数民族のひとびとといっしょに
彼らの技術と、みずからのアイデアを組み合わせて
布をつくっている谷由起子さん。
その仕事のようすをお聞きしていくなかで、
谷さんのかんがえる「布」の在りかたについての
お話になってゆきます。
谷由起子さんのシリーズ、最終回です。

オスのルアンナムターは
クロタイ族の割合がいちばん多いところです。
ラオス全体から見ると少数民族なんですけど、
国の北のはしにあるルアンナムターは、
いわゆるラオスにいちばんたくさんいる
ラオ族っていわれている人たちは少ないんですよ。
クロタイ族の人たちは、もともと、蚕を育てて
絹の糸を作る伝統がありました。
いちばん最初に段ボールにいっぱい
布が送られてきたっていうのも、
このクロタイ族の人たちの布でした。
つまり、私がこの仕事をするとっかかりになったのは
クロタイ族の人たちなんです。

クロタイ族の人たちってね、
ちょっと語弊があるのかもしれないけど、
ひじょうに沖縄の人に近いような‥‥。
研究してるわけじゃなくて、
ただ感じてるだけですけれども、
髪型も昔の琉球の方とそっくり。
性格もすっごく明るくって、
お酒飲むことが大好きで、大らか。
だから仕事のやり方はかなり、
レンテンの人たちと違っています。
レンテンの人たちはいまも
自分たちの着る衣装として布を作っている。
でもクロタイの人は、
布を作ることは好きでやっているけれど、
自分たちはほとんど民族衣装を着ることは、もう、ない。
誰か買ってくれる人がいたら買ってもらう、
みたいな状況でした。
たとえば、これは二重織りっていう
織り方なんですけれども。


ちょっと専門的なことで言うと、
織物って筬(おさ)と綜絖(そうこう)が
必要なんですけど、その綜絖の枚数を変えたり、
足を踏みながら綜絖を動かして織物を織る踏み木、
それを今まで2本しかなかったのを
4本に変えたりすることで
こういう織物ができるんですね。
そういう、今までなかったことを
ちょっとやってみようっていうような感じのことが、
クロタイ族の人とは、やりやすいんですよ。
何て言うのかな、手織りなんだけど、
機屋さんみたいっていうか。
「ちょっとこういうことやってみようよ」とか、
「こういう糸交ぜてやってみようよ」とか。
で、そういうことをやってみるための道具も
自分たちで作るんですね。
そういうところを面白く乗ってくれる性格っていうかな、
民族性があって。
だからクロタイ族の人とは、
彼らの持っている素材とか地元にあるものを使って、
道具なんかも自分たちで工夫しながら、
今までやってみたことのないことを
やってみるっていうようなことを
いろいろやってます。

たとえばこういうような、
ちりちりしている糸は、
彼らはやったことがなくって。
強く撚るために、水車を作ったりもしました。
参考にしたのは日本の江戸時代の道具で、
八丁撚糸機(はっちょうねんしき)っていう、
たくさん、糸の紡が並んで、
回すといっぺんに10本とか20本、ばーって撚糸できる、
別に電気とか使わなくてっても
できるような道具があるんですね。
そういうものを日本の博物館みたいなところで
見つけてきて、現物を譲って下さるところを探して、
それをラオスに送って、
村の人たちと、みんなでこういうものを作ろうよって言って、
村で撚糸機を作ったんですよね。
それがクロタイ族の人たちのとの仕事です。

 

そして、こちらはね、
他のものと違うということは、
触っていただけばわかると思うんですけれども、
使い古しの生地なんです。
レンテン族のものです。
レンテン族は、24時間、民族衣装を着てるんですよね。
もちろん着替えるんだけど、
着替えても同じものを着てるんですよ。
寝るときも、いかなるときも
同じ服装してるんですよね。
同じものを着回してる。
それで、これは、畑で働いたり、毎日肉体労働をして、
着古した布を回収して、もう1度洗い直して、
もう1度手縫いで縫い直したものなんです。
どう言えばいいのかな、
糞掃衣(ふんぞうえ)ってご存知ですか。
昔々ってティッシュペーパーとか
トイレットペーパーとか、
そんなものが、なかったじゃないですか。
だから、布って、
使って、使い古して、ぼろぼろになったものっていうのは
いちばん最後に、おしめになる。
おしめにして、またその布はたぶんいちばん最後に
何か汚いものを拭き取って捨てられていくような、
最後の最後までそういうふうに使われて
一生を終わっていくものだったんだと思うんですよね。

布って、大昔のものってなかなか残ってないんですよね。
そういうふうに最後まで使って、
捨てられて終わっていく。
いいものが捨てられるんじゃなくて、
溶けるようにぼろぼろになったものも、
最後、汚いものを拭き取って、
その一生を終わる、
そういうものだったんだと思うんです。
レンテンの人たちもティッシュペーパーとかないから、
自分たちが着て使い込んで柔らかくなった布は
赤ちゃんの服を作ったり、
縫い直していろんな用途に使っています。

お釈迦様の時代に、弟子が、修行をするときに
身に付けるものは何を身に付けたらいいんですかって
聞いたときに、お釈迦様は、
そういう布、最後、汚いものを拭き取るような布を
つなぎ合わせてまとえばいいじゃないかって
おっしゃったそうなんです。
それが袈裟の始まりだそうですが、
そういう布のことを糞掃衣っていうんですって。
聖徳太子もそういう糞掃衣を着て
修行をされたっていいますね。
わたしはその話がすごく好きで、
捨てられていくような布をもう一度つなぎ合わせて、
1枚の布にしていくっていうことに、
ひじょうに魅力のある美しさを感じるんですよ。
それを実際見たことあるわけじゃないんですけど。
そういうような想像で作ってみたんです。
今回の展示では、そういうものを、
初めてたくさん出しています。
すごい肌触りがよくて気持ちがいいでしょう?
ちょっとぼろぼろなんですけどね。

使い込まれた、藍染めの藍の色は、
時間の経過を経たからこそ出てくる色だと思うので、
そういうところを今回、
見ていただけたらいいなと思ってます。


2011-11-13-SUN


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